くるりくるわのみくりのおさと      たがおさしむる たがためしむる      みくりをささげ みくりをささげ      そのおさしむる そのおさささぐ      あたらしおさは なまいとほしき        みくりのおさはかむなるために      みくりのさとはにえなるために      くるりくるわのみくりのおさと      くくりくるくるおさしめのさと              〜××県××郡M村に伝わる民謡より抜粋〜      お月様が回っている。  くるり、くるり。  くるり、くるり。  夜天の空で、白くてまあるいお月様。  開けられた、障子の向こうに浮かぶお月様。  回っている。回っている。 「……しずねえさま」 「はい。どうしましたか瑞稀(たまき)さん」  それがおかしくて、それが奇妙で、少年は傍らの女性に声掛ける。 「お月様が、回っています。それになんだか、ふわふわします」 「まあ、それは不思議。きっと、酒精が回ってしまったのでしょう」  そうなのかしら、と少年は頷いた。  きっとそうなのだろう。  何故なら先程まで、少年と女性は酒宴の席に居たのだから。 「……しずねえさま」 「はい。どうかしましたか、瑞稀さん」  それがおかしくて、それが奇妙で、少年は傍らの女性に声掛ける。 「しずねえさまが、ぼくのおよめさんなのですか?」 「──はい、そうですよ。靜希(しずき)が瑞稀さんのお嫁さんです」  ぼくはまだ、とおになったばかりなのに?  おかしな話。奇妙な話。  ぼんやりと。夢見心地のような中で、瑞稀は白いそれを見る。 「しずねえさま。ふわふわします……。それに、なんだか……」  あつい。あつい……。  お祝いの席で飲んだものは、舌を焼くような味だったけれど……。 「あつくて、くるしい……」 「あら……。どこが苦しいのですか……?」  それ以上に、全身を火照らせて、少年の脳を揺らしていた。  月が揺れる。  月が廻る。  白い肌が、視界に踊る。  ぱさり、とさり……と。  服を脱ぎ落として露わになる靜希の肌を、白い月光だけが照らしていた。  ────数刻前。  瑞稀と靜希を主賓とする、とある宴席が催されていた。  祝言の儀、である。  齢十になったばかりの瑞稀と、もうじき十八になる靜希。  瑞稀には祝言であるということだけが。  靜希には今宵の手筈の全てが。  それぞれに伝えられ、そしてとある杯を渡された。  御神酒である、と瑞稀には伝えられ、そして靜希には、それが強力な催淫剤であると伝えられた。  何も知らぬ瑞稀と、全てを知りながら黙する靜希。  両者がそれを飲み干して──だから今、こうなっている。 「瑞稀さん、苦しいところはどこですか……?」  はぁ、はぁ、と荒い息を吐く瑞稀にそっと寄り添い、靜希はその頬を優しく撫でる。 「あ、ぅっ……!」  頬を撫でただけ。ただそれだけで幼い身体に過ぎた快感を覚えたのか、瑞稀は切なげに身を捩る。 「瑞稀さん、教えてくれなければ靜希は分かりません……」  嘘だ。  強烈な──否、激烈な、とさえ評して良いその効果を、靜希も今正に身を以て味わっていた。  熱い。熱い……。  身が火照る。肌は薄く汗ばみ、乳房の先端は誰にも触られていないにもかかわらず既に固くしこりを持っている。身を動かす度にぬちり、ぬちり、と微かに響く水音が一体何処から響いているのかなど、靜希自身が誰よりも理解していた。 「瑞稀さん……何処が苦しいのですか……」  分かり切った問いを繰り返しながら、そっと、そぉっと……。  慎重に、靜希は手を滑らせていく。  頬から降りて、首筋を撫でさすり、胸元を優しく通り、腰紐を解き……。  触れた途端に迸りを吐き出してしまいそうな屹立には触れないように、ゆっくりと。 「しずねえさまっ……たすけて……あつくて、そこ、むずむずして……」 「まあ……こんなに腫れて可哀想に……。靜希が治めて差し上げますね……」  豊満な乳房を少年の腕に押し付けながら、女がそう囁く。 「ほら、瑞稀さん……靜希の乳房ですよ……。靜希はもう瑞稀さんのお嫁様ですから、この乳房も瑞稀さんのものです……ほら、触っても良いのですよ……」  染み一つない真白い肌に、ぽつりと黒子が浮かんだ胸元。  催淫剤によっておのこの本能を焚き付けられた瑞稀にとって、それは母性ではなく、より根源的な欲望を想起させるものだった。 「はっ、はぁっ……しずねえさまっ、しずねえさまっ……!」 「あっ、んっ……。はい、靜希はここにおりますよ。どうぞ、お好きなだけ嬲ってくださいな……あ、んっ……」  がばり、と靜希の胸元に飛びつき、何をすれば自分の昂ぶりが解消されるのかも分からぬまま乳房を吸う瑞稀の頭を撫でながら細やかな快楽に身を委ねる。線の細い髪は彼の母に良く似ており、また顔立ちは彼女の姉にどこか似て可愛らしい。紅顔の美少年、とは瑞稀のような少年のことを言うのだろうと、靜希は思う。  実際、村の似たような年頃の少女達にも人気は高いと聞いている。それだけなら男児達からつまはじきにされそうなものだが、その利発さで一目置かれているのだとも。 「美味しいですか、瑞稀さん」 「しずねえさまっ……ぁぅっ、好き、好きっ……」  そんな瑞稀が自分の胸に夢中にしゃぶりついている、というこの光景は、靜希にとっても些か自尊心をくすぐる光景ではあった。  可能であれば一晩中こうして乳吸いをさせてやってもよい、という程度には瑞稀のことを溺愛している靜希だが、しかし今宵はそれでは終われない。 「はい、靜希も瑞稀さんのことが好きですよ」 「ほ、んとうですか……?」 「はい、大好きです。他の人が何を言ったって、靜希だけは瑞稀さんの味方です」  だから、今宵だけは。  今宵だけは、この行いを許して欲しい。 「ですから……」 「はっ、はぁっ、はぁっ……あうっ!?」 「まぐわいをしましょう、瑞稀さん。靜希が、瑞稀さんを男にして差し上げますね」  体勢を入れ替えて、華奢な体躯に馬乗りになる。  瑞稀の彷徨う視線が顔と乳房を行き来しているのが微笑ましかった。 「まぐ、わい……おとこ……?」 「はい、めおとになった者達が行う営みです。瑞稀さんは靜希とめおとになるのは嫌ですか?」  誘導尋問。  薄汚い手管。 「いやじゃないですっ、なりたい、しずねえさまとめおとになりたいです」  ふるふると、首を横に振る顔は催淫剤に侵されていても尚無垢で、健気で。 「そうですか、ありがとうございます瑞稀さん。では、……んっ……」  ──ああ、嫌だ。おぞましい。  そんな目で『私』を見るな。  『ねえさま』に良く似た顔で、『私』を見るな。  などと、脳裏に過ぎった嫌悪を噛み潰す。  嫌なことを押し殺すのは慣れたもの。  この子が産まれる以前はよくあったこと。  そしてそんな感慨を無視して、ずぷり、と。  濡れそぼった女陰に、固く反り立ったものが呑み込まれた。 「あっ、あぁっ!?」  びゅくり、びゅくり、びゅぷる、びゅぷっ。  その瞬間、胎の中で熱い迸りが跳ねる。  びゅっ、びゅーっ……。びゅくっ、びゅる……。  長い、長い脈動。 「ああっ、あ゛っ、あ゛ーっ!?」  この華奢な体躯の何処にそんな量が収まっていたのかと、そんな見当違いの驚きさえ抱く。  熱い。熱い……。  催淫剤の効力か、以前共に風呂に入った折に見たものとは桁違いの大きさ、太さ。それが胎の内で魚のように跳ね回る。 「ふっ、く、んっ……あっ、はぁ……」 「しずねえさっ、これ、飛んじゃっ……!」 「良いんですよ、出してくださいね……全部、靜希のナカに、出して……」  出来るだけ体重を掛けないよう覆い被さって、その口を塞ぐ。  口吸い。瑞稀は目を白黒させて身体を我武者羅に動かしているが、十八の女と十になったばかりの幼子ではおのことおなごであっても力の差は歴然だった。  ちゅぷ、じゅぅっ……れろっ、べちゅっ……。  じゅずずっ、んふ。れぇろ、んんっ……。 「うぅっ、んぷぅっ」  舌を絡ませて、とろり、どろり、と溶けてゆく瑞稀の理性を組み伏せる。  乳房をか細い胸板に押し付けながら、挿入したっきりの腰を動かしていく。  ぬぢゅっ、にゅぢゅっ……。ぐぢゅっ、ぶぢゅっ、べちゃ、ぶぢゅっ……。  淫らな音が響く。先程出された白濁が、愛液と混ざり合って粟立っているのが靜希自身感じ取れた。 「にゅちゅっ……ぷはあ……。腰の動き、早くしますね……。我慢しなくていいですから、全部靜希のナカにお出ししてください……行きますね……はぷっ、んぢゅぅっ……!」  ぱぢゅっ、ばぢゅっ、ぐぢゅっ……! にゅぢっ、ばちゅっ、ぱんっ……!  棍棒のような硬さの逸物が、この世の何よりも柔らかく、濡れそぼった肉でしごかれる。  先程のようなただ這入っただけの刺激ではなく、真に子種を搾り取るための淫らな動き。そんなもの、女肉の味を識ったばかりの少年に耐えきれる筈もなく。 「あ゛っ、あ゛っ、ぁ゛ぅっ……! しずねえさまっ、しずねえさまぁっ……!」  ぶびゅるるるっ! びゅっ、ぶびゅぅっ!  快楽に仰け反り、悶える瑞稀。それ共に、まるで噴出するかのように、逸物の先端から白濁が靜希の胎へとぶち撒けられる。どぷ、どぷっ、びゅぐっ、びゅっ……。そんな音が聞こえると錯覚するほどの、濃い迸り。 「う゛っ、んっ……あっ、はぁ……」 「はーっ、はーっ……」  互いに荒い息を吐く中で、靜希はゆらりと瑞稀の上から身体を退かす。 「ん゛っ……ふ、ぅ……」  ごぽり、と音がして、逸物という栓を失った白濁が溢れ出し、つやつやとした陰部の毛をべとついて穢しながら寝所の布団も染めていく。 「沢山……出されましたね……素敵ですよ、瑞稀さん」 「しずねえさま……」  未だ催淫剤の効果も抜けやらぬまま、瑞稀はぼんやりとその姿を見る。  まぐわい、めおと、祝言。  長縞(おさしま)靜希。彼のいとこ。しずねえさま。  そして、これからの妻。  そんな言葉がぐるぐると、脳裏を巡る。    ……無論、先程のまぐわいの感覚も。  柔らかかった。濡れていた。心地よかった。  月よりも白い乳房が、その中に浮かぶ桃色が、咥内をねぶり尽くしていった赤い舌が、まだ脳裏を巡っている。  瑞稀からは依然として催淫剤は抜けていない。  たった一杯、されど、一晩を淫らに過ごさせるには十分すぎる程の効能が体内に残っている。 「……あら」  なので、当然。 「あ、ぅ……」  一度は収まった筈の屹立が、再び持ち上がっていた。 「……さあ、瑞稀さん。まぐわいを続けましょう」 「あの、でも、しずねえさま、その……」 「いいのですよ。だって私達もう──」  ころん、と仰向けになる靜希。  そっと腕を広げ、何が来ても抱き留めると言わんばかりの体勢で、甘く、甘く、水飴よりも、尚どろりとした甘い声で、彼女はこう囁いた。 「めおと、ですものね」 「────」  関を切ったかのように飛びかかる瑞稀。  先程とは異なる自分が覆い被さる体勢に最初こそ苦戦するものの、靜希に導かれ、乳房を吸いながら腰を振るようになるまでは時間はかからず……。  二人のまぐわいは月が沈むまで行われ、今宵、二人は夫婦(めおと)となった。  呪われた一族の、業を積み重ねるままに。    時は1952年、初夏。  場所は××県××郡御繰(みくり)村。  物語は、この夜の一昨日。  とある探偵が、4年ぶりにこの村を訪れた日より始まる──。   ────────────────────────────────────── 「…………」  列車の中、青年が茫、とシガアケヱスを眺めている。  ぱちり、……ぱちり。  ぱちり、……ぱちり。  開けて、閉めて。開けて、閉めて。  何が変わるでもなく、染みついた癖を、彼が考え事を行う際の決まり事を、繰り返す。 「…………」  軍用品である。  本来ならば彼の持ち物ではないが、戦中にとある縁で彼の手元へと転がり込んで以後愛用されている。  ぱちり、……ぱちり。  開けて、閉める。  窓の外を見れば六月の晴れ間に特有の景色が流れていた。  一方、列車内は煙草の煙が充満している。  こんな空気の中で吸うものが美味い訳も無い、と彼は窓を開ける。 「…………ちっ」  吹き込む風。  だが、それは湿っている。  見えている景色は爽やかだが、風はそうではない。  どこかどんよりとして、土の臭いが混じっていた。  雨の匂い、それも、激しく降り出す時のそれである。 「……降るな、こいつは……」  只でさえ憂鬱な道征きが、更に億劫になりやがった、と。  彼は──紫藤智哉(しどうともや)は、シガアケヱスから一本抜き出すのだった。      続く。   俺に兄弟はいない。  姉が一人、妹が二人いたが、男の兄弟……いや、兄弟に限らず親戚一同においてすら年近い男の肉親に縁が薄い人生だった。  だから学友達から兄の横暴さ、弟の生意気さ、男兄弟のやかましさ……そんなものを語られても俺はそれに共感できず、寧ろ羨ましいとすら思っていた訳だが……。 「よう哉の字。今日も今日とて気怠げだな」 「背中を叩くな稀の字……頭に響く……。手前こそなんでそんなに元気なんだ……?」 「うちは代々酒に強くてなぁ、あれくらいなら軽いもんよ」 「羨ましい限りだ……。あぁ……くそっ……頭がいてえ」  成人祝いだ、と俺とあいつが分隊中から酒を注がれ尽くしたその翌朝。  小川に向かってうずくまる俺と、その背を叩くあいつ。  もう、七年も前の話だ。  俺がまだ、戦地にいた頃。  あの戦争が、まだ終わっていない頃。      「ほら水だ、飲め」 「おお悪いな……ぶふッ!? 手前、これ酒じゃねえか!!」 「うっひひひっ! 騙される方が悪いんだよ哉の字ぃ!」 「手前、今日こそはぶん殴って――おぼろろろろろ」 「げぇッ!? 軍医殿! 平田軍医殿!! 紫藤が吐きました!!」  ああ、もし兄弟が居たのなら。  それはこんなにも気の置けない日々なのか。 「哉の字、この草が悪酔いに効くらしいぞ」 「本当かよ……」 「まあ騙されたと思って囓ってみろ」 「……手前が毒なんざ渡すわけはねえか。…………お、本当だ。結構いけるなこれ」 「…………」 「苦味こそあれど爽やかな感じだ。ヨモギに近い……なんで手前が驚いてんだよ」 「いや……あっさり食いやがって、と思ってな……」 「なんで手前が渡して来たものを前に逡巡する必要があんだよ。食っても大丈夫なものしか出してこねえだろ手前は」 「……はっ、言ってろ」  ああ、もし兄弟が居たというのなら。  それはこんなにも愉快な日々なのか。 「生きてるか、稀の字……」 「どうにか、な……。肩を掠めて行ったが問題はない……お前は?」 「俺は……たぶん脚かな……」 「お互い無様に生き残っちまったって訳だ……」 「……はん。運良くと言えよ笑えねえ……」 「はっ、そうだな……運良く、生き残れたな……」  ああ、もし。  もし、兄弟が居たのなら。  それはこんなにも鮮烈な日々なのか。  ……だが。  それも総ては、過去のことだ。 ──────────────────────────────────────  ……あつい。  ぼくは額の汗をぐいと拭ってそう呟く。  やはり、観察日記なんて外で描くべきではなかった気がする。  かあさまがおっしゃるには今年はことさら暑いらしいのだから、なおさらだ。  しずねえさまならきっと「瑞稀さん、網で捕まえてお部屋で描けばよろしいのでは無いですか?」と言うのだろう。  ぼくだってそれくらいは考えた。こんな日なたで膝の上でノォトを広げているよりは、自室で風鈴の音でも聞きながらじっくり描いた方が良い出来になるに違いない。いつ飛び去ってしまうか、そんなことを怯えながらスケッチをするよりは良いだろう。    ……でも、いざ網を手に樹の前に立ってみると、網に対してその羽は大きすぎるように見えた。  それに、大紫が力強く羽ばたく様子を見ていると……。 「……うん。閉じ込めてしまうのは、かわいそうだもの」  別段、観察日記なんてどこででも描けるのだ。  評価が付けられる訳でもない。  なら、ぼくはこれで良い。    それにほら。  かごの中よりも、きっと外で羽ばたく方が、あの羽は艶やかだ。    ――そんなぼくが羽の白い斑点をどう表現するかに思い悩み始めた頃、その声は来た。   「こんにちは、少年」 「……こんにちは」  びっくりした。  声をかけられたことに、ではない。   「……初めまして」  ぼくに声をかけてきたそのお兄さんが、この御繰村の人ではなかったからであり、その人が――。 「――なるほど、君は村長さんの家の子だな」 「……え?」  この村の人ではないにもかかわらず、ぼくの立場を、あっさりと言い当ててしまったからだ。 「俺は紫藤智哉。東京で探偵業を営んで……」 「探偵さんですか!?」 「お、おう……そんなに珍しいか? いや珍しいかそりゃ」  すごい。「あら、探偵さんみたい」と思っていたら本物の探偵さんだ。  紫藤智哉、しどうともやさん。  東京からのお客さん。  そして、探偵。     探偵。  それは複雑に絡み合った、事件という名の紐を解きほぐし、その中のたった一本の緋い糸――すなわち真相――を抜き出す崇高なる研究者のことだ。    ……うん、ぼくの美化した妄想が挟まっているのは知っている。  この二十世紀も半ばを過ぎた現代日本において事件を解決に導くのは警察の仕事であって、素人の探偵がその捜査に口を出すなどと許されることではない。  それはぼくだってわかりきっている。  けれど、それはそれだ。 「そんな綺羅綺羅とした目で見られてもなあ……。俺はしがない私立探偵だ。ミステリィの探偵とは違うからな」  紫藤さんはぼくの生家――長縞家に用向きがあって東京からはるばる出向いて来たのだという。  家へと案内を頼まれたぼくは小脇にクレパスの箱とノォトを抱えて紫藤さんの隣で歩き出す。  ……背が高い人だな、と思った。  ぼくより頭が三つほど上だから……百七十センチメヱトルの……後半くらい?  すらりとした体型で歩幅が大きい。  全力で走ったらさぞ早いだろうな、とぼんやり思う。  ……あ、でもぼくが隣で歩きだしたら一歩一歩の速度を遅くしてくれている。  ぶっきらぼうな口調ではあるけれど、この御繰村でぼくの横に並んで歩いてくれる人なんてほとんど居ないのだ。一番一緒に居る機会が多いしずねえさまは後ろについてくることばかりで横に並んでくれない。  だから、一緒に歩いてくれるのは、なんだか……むずむずする。  でも嫌いではない。 「平時の業務は専ら失せ物探しだぞ。フィクションと一緒にしてくれるなよ?」 「でもぼくが誰なのかすぐさま推理していたじゃありませんか。すごいです、まるでホオムズ先生みたいだ」 「ホームズぅ? 止してくれ、簡単な連想ゲヱムだ」   すごい、本物だ……!  本当に「簡単な推理だ」って言った……! 「……やめてくれ、今のは口が滑った」  紫藤さん自身も今の発言が「それらしい」自覚があったのか、顔を手で覆って視線を背けてしまう。  この時点でぼくは既に確信していた。  ぼく、この人好きだ……! 「……いや、本当に簡単ではあるんだ。農村部の特徴と言ってしまえばそれまでだが、この御繰村では日常的に洋装をしている層が少なく見受けられる。そして診療所も、交番もこの村そのものには無い。よってこの村においてそれを着ているような層は限られる訳で、たとえば君の生家である長縞家だ。長縞家は製鉄業界に強いコネを持ち、特に神戸への伝手が大きいと聞く。洋装にも慣れているだろう。無論、ただ洋装をしているからと言って君が長縞家の人間だと判断した訳じゃない。服の折り目が整えられていたこと、履き物が子供用のきっちりした物であること、そして君が抱えているそれ、クレパスの箱はサクラの新しいものだ。あっちの文房具屋で見た記憶がある。それを持っているのは村の中でも外との出入りが活発に行われる家、かつ裕福な家の者に限られる。一つ一つの要素だけならば他の者でも該当するだろうがここまで全部当てはまっているならば十中八九確信できた。そして最後に――」  そんな風に指を折りながら理由を説明してくれる紫藤さんにぼくはすっかり魅せられていた。最初こそ恥じらっていたにも関わらず、興が乗り始めたのかあっという間に加速していく言葉はどれも的を射たもので、事実この村でぼくと同じ年代の子は皆もっとくたびれた格好をしている筈だ。ぼくの服は使用人の人達が毎日電気アイロンをかけている上に、芝浦製作所の最新式電気洗濯機まで導入しているのだから、良くて手回し、或いは洗濯板を使った洗濯と比べればどう足掻いたって差は出るだろう。    そして最後に、最後になんだろう?  言葉の続きを待っている中で。 「――――――――あら? 瑞稀さん、お客様ですか?」 「あ、しずねえさま! はい! 東京から来られた紫藤さんです! 探偵さんなんですって!」  道の向こうから歩いてきたしずねえさまに声をかけられて咄嗟にそちらへ振り返る。そういえばそろそろお昼時だ。ぼくを迎えに来てくれたのかもしれない。 「……紫藤様?」  なのに、しずねえさまは紫藤さんの顔を見て、その動きを止めてしまう。  その反応は、「なぜあなたがここに」と言わんばかりで、不吉な客人を見たような顔をしていた。 「……やあ、静稀さん。お久しぶりですね」  六……いや、七年ぶりかな。  そう呟いて、紫藤さんは足を止める。   「――最後の理由はな、少年」  ぽん、と頭の上に置かれる手。 「俺は、君に似た男を知っているからだ。君の、従兄弟に当たる男」 「いとこ、ですか……?」 「そうだ。長縞、智稀。わかるかい?」 「は、はいっ。ともにいさまですよね。……あんまり、記憶はありませんが……」 「そりゃあ君は三歳か二歳の筈だからな。……稀の字、いや智稀とは戦地で一緒だった」  呟いたのは寂しそうな顔だった。  おじいさまのことを話すかあさまとどこか似ている気がしてぼくは何も言えなくなってしまう。 「俺はな、少年。あいつの遺品を返しに来たんだ」   「っ!」  息を呑むしずねえさま。  そんな、まさか、なぜ今更……。とでも言うかのような驚愕に歪んだ表情。   「しずねえさま?」 「……瑞稀さん、蒔稀様を呼んできてくださいますか」 「かあさまを? どうして……」 「ごめんなさい、理由は話せません。ですがどうか、お早く」 「は、はいっ」  滅多に見ない顔にぼくも驚くが、しずねえさまに「どうしたのですか?」と聞く間もなくかあさまを呼んでくるように促される。  その声があんまりにも切羽詰まったものだったからぼくは何も言えず、紫藤さんに背を優しく押されて走り出して――背後で行われている会話も耳に入らないまま、家へと駆け込んでいくのだった。   ――なぜしずねえさまがぼくを急かしたのか。  ――なぜ紫藤さんがこの村にやってきたのか。  ――返しに来た遺品とはいったい何なのか。  まだこの時のぼくは何も知らないままで、けれど。  目も眩むような日差しの中。  空の向こうの雲が、嵐の到来だけを感じさせていた。  続く