「いつもありがとう雪奈」 「いいんだよ。こんな時だもん」 大騒動となった蘇りの力争奪を端とするアトラーカブテリモンの森焼失事件。 そこで何らかの悪影響を受けた神田颯乃は、霜桐雪奈との『喧嘩』の末、その影響を脱した。 傷ついた彼女はケンタルモンの病院へ収容され、今はこうして雪奈の世話の許、療養に努めている。 (なお、同じく入院した竜馬は、流石に女子と同室はよくないということで別室に移された) 「それに颯乃ちゃん、放っておくと病院抜け出して鍛錬とかしかねないからね。先生にも見張っているよう言われてるし」 「……流石に今はそんな気にはなれないかな。ゴブリモンにも悪いことしちゃったから」 傍らに設置された机の上のデジタマを撫でる。 颯乃のパートナー、ゴブリモンは暗黒進化と『喧嘩』の影響で、今はデジタマの姿に戻ってしまった。 「おや〜、これは思ったより重症だね。今ならわたしでも勝てちゃったりして?」 「いや、けが人相手に勝とうとするな」 「冗談だよ。身体拭くね」 水を絞ったタオルを片手にベッドで横たわる颯乃の身体を起こし、パジャマをはだけさせる。 今まで気にしたことがなかった、その余分のついていない腹筋に目を奪われる雪奈。 「うわぁ……やっぱり鍛えてると違うね」 「雪奈もちょっとは鍛錬したら?」 「えー、遠慮しまーす」 汗ばんだ身体を拭く。引き締まっているようでいて、女の子特有の柔らかさがタオル越しに雪奈に伝わってきた。 自分よりも細いくびれが、普段から目にする頼りになる姿と結びつかない。 少し力を入れれば簡単に壊れてしまいそうだと感じるのは、恐らく今ケガで弱っているせいだろうと思った。 タオルは徐々に背中から脇腹へと動いていく。 「んっ……」 「あ、ごめん。くすぐったかった?」 「ああうん、大丈夫……」 脇腹を触られたところで颯乃の吐息が漏れた。 ビクッと一瞬痙攣し、拭く手を止めてしまったが、颯乃の言葉を受けてもう一度脇腹を拭く。 「んっ……!」 「ああ、ごめん!もう拭き終わったよ!」 「うん……」 慌てて手を放す。 見ると颯乃の耳が少し赤らんでいた。 普段竹刀でデジモンに立ち向かう姿からは想像できないものを見てしまった。 ここにいるのは危なっかしくも勇ましい颯乃ではなく、傷つき弱った少女だった。 ――今ならわたしでも勝てちゃったりして? 先ほどの言葉が脳裏で反復される。 自分が狼藉を働けば、このまま彼女は抵抗もできずに自分に身を委ねるしかないだろう。 (いやいや、何考えてるのわたし!?) 理解できない感情が胸の内を支配していることに雪奈は戸惑った。 あれだけの大喧嘩をして弱っている彼女を自分の好きにしようなどと。 頭を振って気を取り直そうと雪奈は声をかけた。 「ええと、前は自分で拭く?」 「いや、せっかくだしお願いしていいかな?」 「……わかった。じゃあ失礼します……」 雪奈の様子を知らずか、颯乃が頼んできた。 ベッドに乗り、颯乃と向き合う形になる。 (改めて見ると、やっぱり美人だよね颯乃ちゃん……うわーまつ毛長い。肌きれい。髪もサラサラ……) 普段意識しないものに何故か目が行ってしまう。 雪奈は顔が熱くなるのを感じた。 表情を見られないように、なるべくうつむいて、手早く颯乃の身体を拭く。 お腹から拭いてきたタオルが徐々に上へと向かっていき、やがて手の甲に柔らかさを感じた。 (うわぁ……やっぱりおっきい。鍛えてるのに何でこんなにおっきいんだろう……) 下着をつけていない胸の下を念入りに拭く。 自分も経験があるし、汗疹にならないようにと脳内で誰とも言わず言い訳をしながら。 言い知れぬ感情に徐々に呼吸が荒くなっていく。 何やら様子がおかしい雪奈に颯乃は不安になって声をかけた。 「雪奈、大丈夫?」 「え!?あ、うn――うわっ!?」 突然声を掛けられたことに驚いた雪奈は、近くにあった桶に手を引っかけてしまう。 水の入ったそれは何故か宙を舞い、二人に中のものを浴びせかけ、自分は雪奈の頭を直撃した。 頭部に走った衝撃に思わず前のめりになる雪奈。 颯乃は突然のことに受け止めることもできず、二人はベッドに倒れこんでしまった。 「いてて……ごめん颯乃ちゃん」 「ううん、大丈夫。雪奈こそ様子が変だぞ?」 思わず押し倒してしまった形となる。 颯乃は自身にかかる重さから逃れようと雪奈を押すが、その手にはケガの影響か力が入らない。 普段なら自分など簡単に押しのけられるだろうに、今の彼女にはその力がないことを、雪奈は自分に加えられる弱弱しい感触から理解してしまった。 先ほどから離れない言葉が脳裏に木霊した。 ――今ならわたしでも勝てちゃったりして? 胸の奥が苦しくなる。 颯乃を見下ろすと、濡れた髪は頬に張り付き、はだけたパジャマから覗く鎖骨と艶やかな唇が雪奈の視線を奪った。 迫力ある曲線を描いた胸はゆっくりと上下しており、潤んだ瞳は心配そうにこちらを見上げている。 いくつかボタンが外れたパジャマの下からは、先ほどまで自分が触れていた引き締まったお腹が見て取れた。 これを自分の好きにできる。 そんな誘惑が雪奈の中で鎌首を擡げる。 「せつ、な……?」 颯乃の声も耳に入らない。 濡れて張り付く服も、頭に受けた痛みも気にならない。 呼吸が荒くなる。 心臓の鼓動がうるさい。 全身が熱い。 悪いことだってわかってるのに、この衝動に身を任せて楽になってしまいたい。 ふと、頭の片隅にある少年の姿が過った。 大木トウマ。颯乃と仲のいい少年。 颯乃や良子が彼をからかっている光景を、自分は微笑ましく見ていたはずだったのに。 (…………………………………なんか、やだ) 何故か視界が歪む。 颯乃を取られるんじゃないかという思考が雪奈を襲う。 自分のものでもないのに。 いや、今から自分のものにしてしまえばいいのではないか? 髪も肌も目も口も胸も足も心も。ぜんぶぜんぶじぶんのものに―― 「…………」 颯乃もすでに抵抗をやめていた。 親友の様子がおかしいことは一目でわかったが、力が入らないこの身体ではどうすることもできない。 それに雪奈には迷惑をかけた身だ。 この子が悪いようにしないことは長い付き合いからよくわかっている。 彼女が衝動に任せて気が済むのならこの身を預けてもよかった。 そんな受け入れたような表情が、雪奈の罪悪感という枷を外した。 「はやのちゃん……ごめん……」 ゆっくりと唇を近づける。 颯乃の吐息が顔にかかる。 胸から颯乃の鼓動が伝わってくる。すごくドキドキしている。 自分の鼓動が颯乃に伝わるのが恥ずかしくなる。構わない。 颯乃は目を閉じる。覚悟はしたが、いざとなるとやはり少し怖くなった。 やがて二人の唇が合わさ―― 「雪奈、入っていいか?」 不意の横やりに雪奈が正気に戻った。 勢いよく身体を起こすと、ノックされたドアに上擦った声で呼び掛ける。 「ちょっと待っててブルコモン!今着替えてるから!」 慌てて新しいタオルで身体を拭く。 ドアを少し開けると、雪奈のパートナーであるブルコモンが見舞い用のフルーツを持って待っていた。 「どうした?やけに慌ただしいようだが?」 「へ!?あー、ちょっとシーツにお水こぼしちゃってさ。代えを持ってきてもらっていい?」 「む、そうか。任せろ」 フルーツを渡すとブルコモンが去っていく。 パートナーの姿が廊下の奥に消えたのを見ると、雪奈は起き上がった颯乃の方に向き直った。 その顔は自分と同じくらい赤く染まっている。 先ほどまでとは違う感情で雪奈の顔はますます赤く染まった。 「えっと、ごめん……」 「ううん……いい……謝らなくて……」 雪奈の消え入りそうな声に、颯乃は小さく頷いた。 (あぁもう!あの時謝らないでって言ったのに!何やってんだわたし!) 己の醜態に頭を抱える雪奈。 ウェヌスモン様、もう一度幸運のデジメンタルをください。この記憶を消します。 そんなないものねだりを聞いてくれるものは誰もいなかった。