魔族アンデッドの軍団は消滅し、ゾンビ化した魔王も再び滅びた。
マジックポーションに母乳分泌薬を配合した邪悪なダークエルフは、薄っぺらい反省を口にすると再び去っていった。
そして、宿場町に着陸した空飛ぶ船――ルセルナが、瓦礫や土砂をぱらぱらとこぼしつつ、ゆっくりと上昇する。
船室の内部では、シリルがルセルナの中核に語りかけていた。
「そのまま、沼に着水できるかい?」
(問題ない)
ルセルナの言う通り、船体は宿場町のそばの沼の上空へと移動し、やはりゆっくりと、そこへ着水する。
戦闘で大きく破損していた船体はシリルの魔術で修復されており、今や新品同様だった。
そしてその中核のある船室に、今は全員が集まっていた。
「異世界の、死者を乗せる船ですか」
ヨーコがつぶやく。
「それで、魔王の島に漂っていた魔族たちの霊魂を集めることができたのね」
そう分析するのは、フィーネだ。
「でも、魔王まで復活させるのはヤバいですよ、その人っていうか……」
ミナの言葉に、船室のテーブルに置かれた頭蓋骨がカタカタと顎を動かす。
「だまらっしゃい! ワシだってこの船と一緒に無理矢理この世界に呼ばれて、脅されたのだぞ!
ムクロア最高の死霊使いであるこのスィナーン・コーカックを捕まえて――」
「あー、スィナーンさん、気持ちはわかるけどここはまず落ち着いて……」
グリュクがスィナーンを宥めると、その腰の鞘に収まった霊剣が続けた。
(御辺とこの船ルセルナが、人間の街に被害を与えたのは事実だ。
ミリアに狙いを絞っていたために死者や怪我人はいなかったが、家財を損ねた者もいる。
人間の軍がやってくるであろう。アンデッドたちを解放した今、御辺に抵抗する力はあるまい)
「そんな状態のワシをお主らが保護するという約束だろうが! 守れ! ワシを!
体が戻るまで10日はかかるんだぞコレ!」
唾液腺は失われているはずだが、スィナーンの頭蓋骨は唾を飛ばしているようにも見えた。
「ていうか、スィナーンさん、何でボクを狙ったの?」
ミリアが尋ねると、スィナーンはコトリと音を立てて、頭蓋骨の向きを変える。
「お主がこの世界に害を為すと聞いていた。
別にこの世界を守りたいとかではなく、元の世界に帰りたければと脅されてやったことだがな。
しかし小娘一匹と侮っていたが、ゾンビとはいえこの世界を席巻したという魔王を倒したではないか。
あながち間違いとも思えなくなってきたわ」
「害なんてなさないよ!」
抗議するミリア。シリルがそこに、言葉を続けた。
「それより重要なのは、それを命じた相手だね」
「本当にそれは、不死の聖女リカーシャなのかしら?」
フィーネの問いかけに、ルセルナが答える。
(少なくとも、そう名乗っていた)
スィナーンも続いて、カタカタと歯を鳴らす。
「それはワシも請け負うぞ。この世界の空に産まれるがごとくに呼び出されてすぐ、空中に佇む女がそう名乗り、命じてきたのだ。
世界に害為す勇者の曾孫、ミリア・ビヨンドを殺せとな」
(そのために、廃城のある島へと案内もされた)
「それが魔王城のある魔王島ってわけか……」
ルセルナの補足に、ミナが頷く。
霊魂を集めて空を飛ぶ船ルセルナに、死霊使いスィナーン、廃城にさまよう怨念となっていた魔王ローデモンド。
これらを束ねてミリアを襲う戦力にしようという企図があったことは、間違いないところだろう。
「私にシリルさんの暗殺を依頼したのも、もしかしたら同じ人かも知れませんね」
壁に寄りかかり、見解を述べるヨーコ。
「ボクが懸念するのは、相手にルセルナたちに強制してミリアさんを狙わせるような真似ができる力があるってこと。
その聖女が本物だろうと、それを騙る偽物だろうとね」
シリルが、自分のトランクの上に座りながら表明した。
「だから、敵がボクらが彼女たちと和解したことも既に把握して、次の刺客を送ってこないとも限らない。
そもそもの話、ボクは歴史改変を行っている何者かの正体を突き止める使命を帯びてきているんだ。
今この瞬間にも歴史が改変されて、ボクらはいなかったことにされてしまうかも知れない」
(ならば如何にする、シリル・グレイ?)
霊剣の問いかけに、シリルが答える。
「とりあえず、このローツェがミリアさんじゃない方向を指すようになってから1日近く経ってる。
まずは……ミリアさんの保護が優先かな」
「え、保護……っていうか、どういうこと?
その魚がボクの方を向いてて、それでボクが特異点だっていう話じゃなかったっけ」
ミリアが尋ねると、シリルは懐から魚の入った小瓶を取り出し、そこに目を落とす。
「特異点もキミだけじゃなさそうって話さ。察しがついてる人もいるかも知れないけど――」
すると。
「シリルさん、沼に武装した集団が近づいてますよ」
船外に出て、周囲を確認していたヨーコが報告する。
「誰だかわかる?」
「街の人たちには聖女機関って名乗ってるみたいですね」
「ビンゴかな……ヨーコさん、グリュクさん、彼らはミリアさんを狙っている可能性が高い。
ルセルナに近づけないようにしてくれるかな」
「まぁ、依頼料の範疇ですかね」「分かった」
二人は早足に、船室を出ていった。
シリルが今度は、エルフとシスター見習いに顔を向け、
「フィーネさんとミナさんは、スィナーン氏を見張ってて。気が変わって逐電されたりしたら厄介だ」
「いいわ」「了解」
「小僧貴様、ワシを信じとらんのかい!」
スィナーンがシリルを非難する声を無視して、ミリアが己を指さし問う。
「ボクは……?」
「ミリアさんはここを動かないこと。狙われてたんだからね。
ルセルナが外を映してくれるから、それを見て見張りの手伝いでもしててもらうのがいいかな」
「そ、それは……大事だろうけど……」
そしてシリルは、ぼんやりと輝くルセルナの中核に向かって尋ねた。
「ところでルセルナ。急で悪いんだけど、この地図が見えるかい?」
(見える)
「この、聖堂騎士団本部に飛んで欲しい。できるかな?」
(いいだろう)
それを聞いたフィーネが、口にした。
「騎士団本部ということは、シリルくん……」
「悪いけど、これ以上ミリアさんを危険な目に遭わせたら、何があるか分からない。
まずはミリアさんを騎士団に保護してもらって、判断を仰ぐ。
不死の聖女が裏にいる恐れがある以上、さすがにボクの独断であれこれするのはまずいかも知れないから」
ミナが、ミリアに尋ねる。
「ミリアさんはそれでいいんですか?」
「うーん……事情聴取くらいならって思ってたけど、保護ってなるとどうだろう」
シリルは更に、付け加えた。
「フィーネさんとミナさんについても、これ以上巻き込むわけにはいかないと思ってるんだけど……
聖女機関が近づいてるとなると、拘束される恐れがある。
一緒に聖堂騎士団本部で保護してもらう方がいいだろうね」
「え、私は課題が……」
ミナが遠回しに異議を唱えようとしたその時、ルセルナが告げた。
(聖女機関が接近している。ひとまず、浮上する)
「頼むよ」
シリルが頷くと、船体が動く。彼らの足元から、船室の床がゆっくりと浮上する感覚が昇ってきた。
船底から水を滴らせつつ、沼からゆっくりと浮上する、ルセルナ。
そこに、複数の魔女の吊り下げた揚陸艇で乗り込もうとする、武装した部隊があった。
聖女機関だ。
構成員はやや重装で、銃器も携えている。彼らは無言で、ルセルナへと接近していた。
しかし、それを阻む者があった。
「遠ざかれ!」
甲板に出たグリュクの魔法術によって大規模な念動力場が発生し、沼に浮かんだ巨大な方舟――ルセルナを半球状に包み込む。
揚陸艇は、不可視のエネルギーによって空飛ぶ方舟へと近づけず、やんわりと押し出されたように周囲を旋回するに留まった。
拡声の魔法を使ってか、揚陸艇の搭乗者が声を上げた。
「乗船者に告ぐ! その方舟にミリア・ビヨンドが乗っているのは分かっている!
速やかに停船し、ミリア・ビヨンドを引き渡せ!」
“赤黒”の柄に手を置いていたヨーコは、それを見て短く息を吐いた。
「あら。街を壊した船を逃がすな、とかじゃないんですね」
グリュクもいつでも霊剣を抜けるよう構えつつ、眉根を寄せる。
「ルセルナとスィナーンのことも、どうでも良さそうだ。
悪いけど、罪状も不明な状態で、友達を武装した集団に引き渡すわけには……いかない!」
彼は念動力場を押し広げ、更に揚陸艇を遠ざけた。
ルセルナも、速度を上げていく。
揚陸艇を運ぶ魔女たちも最初はそれに追いついていたが、武装した部隊を乗せていてはどうしても速度は落ちる。
ついにはルセルナに大きく引き離され、豆粒よりも小さくなっていく。
ルセルナ内部の船室では、木材で出来ているはずの壁面に、そうした外界の様子が映し出されていた。
小さくなっていく宿場町、高速で通り過ぎる下方の風景。
「うわー、すごい……」
ミリアはそれを見て、感嘆の声を漏らしていた。
同時に、快くはない思いも巡らせる。
(……騎士団で保護されるなんて不本意だけど、ボクが我がままを言っていい場合じゃないんだよね、多分……)
そこに、ルセルナが告げる。
(シリル・グレイ。その前に、異常が生じている)
「異常?」
「シリルさん」
甲板から降りてきたヨーコが、再び知らせてきた。
「ルセルナさんにも見えてると思いますけど、上空から巨大な物体が降りてきてますよ」
(映し出す)
ルセルナがそういうと、壁面に映像が映し出された。
「これは……あの鏡面から出てきてるのかな?」
そう見えた。
天空に浮かぶ鏡面を巨大な穴か水面として、そこからその直径に近いサイズの物体が出現しようとしている。
切り出した岩石か何かで構成されているのか、下方から見える部分だけでも、城塞を思わせる意匠と質感を備えていた。
恐らくは、巨大な飛行建築といったところか。
シリルは腕組みをして、短く唸る。
「うーん。どうやらあの鏡面は、巨大な召喚装置みたいだね」
「それを昨日から誰が使っているのかといえば、ミリアさんを狙う不死の聖女……ということになるのかしら」
フィーネの見解に、ミリアが悲鳴を上げる。
「ボクあんな大きなものを召喚してまで殺されなきゃいけないの!?」
「まだ分からないけど、ずいぶん畳みかけてくるよね。まるで今の状況を、リアルタイムで把握してるみたいな――」
シリルが言いかけると、巨大物体からエネルギーが到来した。
「護り給え!!」
甲板に残っていたグリュクが魔法術を行使すると、ルセルナの船体は銀色の球殻に包まれる。
それを焼灼する、強大なエネルギー。熱線か。
「う……!?」
防御殻は吹き飛んで、ルセルナの船体にも熱のダメージが及んだ。
全力の魔法術で防御していなければ、蒸発していたかもしれない。
船室のシリルが、方舟に呼びかけた。
「まずい……ルセルナ、進路転換!
あの空飛ぶ城みたいな物体の懐に入り込んで、攻撃をやり過ごす! 頼めるかい!」
(このまま撃沈されるよりは、その方が生き延びる目もあろう)
ルセルナが頷くと、方舟が急旋回したのだろう、船室にも遠心力がかかる。
「しょ、正気かお主ら!? ワシは頭だけで動けないんだぞ! やめ――」
わめくスィナーンを、ミナがどこからか持ってきた布で猿轡を噛ませて黙らせる。
シリルが指示を飛ばした。
「ボクとフィーネさんは甲板で防御を手伝う! ミナさんはルセルナを回復して!」
「わかったわ!」「了解!」
「ヨーコさんとミリアさんは近接戦闘に備えて!」
「そうですね、取り付いてくるような手で来るかも。ミリアさんはこのしゃれこうべ氏を持っててください」
「わかった!」「ふがー! ふがー!」
腰にスィナーンの頭蓋骨を括りつけながら、ミリアが頷いた。
即興ではあるが、新たな作戦が始まった。
鏡面から出現した巨大な飛行城塞、そこから到来する熱線。
ミリアたちを乗せたルセルナは方向転換し、城塞に向かって突撃を開始した。
「土の槍よ!」
フィーネが呪文を唱えると、ルセルナの船体から猛烈な勢いで土が噴出し、前方に円錐のような障壁を形成する。
それはまるで、傘か馬上槍のようだ。
ルセルナは木造船のようだが土で出来ており、その船底にはキョウカイと同規模の大地が広がっているのだという。
リッチのスィナーンはそこから無尽蔵の土を取り出し、魔族アンデッドたちの肉体や投擲用のアームを作っていたのだ。
フィーネが使っている土の魔法は、それに近い運用ということになる。
そして尖り出た土の防壁が、再び到来した熱線を防ぐ。熱波と共に防壁は大きく蒸発するが、船体を守り切っていた。
乱れた髪を押さえながら、フィーネが驚く。
「すごい……私の魔法でこんな防御力が……!」
(私を構成する土は土の魔法や死霊術と相性が良い。存分に力を振るってほしい)
「ありがとう、ルセルナさん!」
「このまま突入、頼むよ!」
(承知した!)
シリルの声と共に、ルセルナは速度を上げる。
飛行城塞との距離が縮まっていくが、しかし。
よく見ると、城塞の下部の意匠に変形が生じていた。
下方に向かって、小さな――といっても、直径は数メートルはあるだろうが――穴が、多数空いている。
「あれは……何か出てきそうだな」
シリルがつぶやくと、果たして、そこから産み落とすかのように、球形の物体が多数出てきた。
それは更に変形し、人間のような形態になる。
手を広げて翼に変えた人間が、空中を滑るように飛んでいるかのようだ。
それが数十、いや数百か?
「飛行ゴーレム……防御のない箇所から攻撃するつもりか!」
後方をカバーするべく、船尾へ向かうシリル。
「プロテクション!」
彼が魔術を行使すると、ルセルナの後方に迂回して突撃しようとしてきたゴーレムが光の障壁にはじき返される。
その全高は3メートルに及ばない程度か、しかし飛行するゴーレムはおびただしい数だ。
「土の拳よ!」
船体前方に展開した土の防壁に取り付いたゴーレムを、フィーネがそこから突出させた土で叩き落とす。
だが、突撃してきたゴーレムの一体が土の防壁を貫通し、その上半身が甲板に向かって突き出す。
その頭部にエネルギーが集中し、光線となって甲板に迸る――狙いはミリアだ。
「――!?」
が、そこにヨーコが割り込み、“赤黒”の刃の腹で光線を防いだ。
「フッ!!」
そして彼女は吐息と共に愛刀を一閃、土壁から抜け出そうとするゴーレムの頭部を断ち落とす。
スィナーンによって奪われた魔力は、シャルロットから供与されたマジックポーションで回復していた。
ヨーコは口には出さないが、驚嘆していた。
(本当に効きが早い! 母乳が出るのが難点ですけどね……)
今の彼女は染み出す母乳を、メッシュの下にさらしを巻くことで押さえていた。
その一方、
(まずいぞ主よ、敵の数が多い!)
「見りゃわかる! ミリア!」
霊剣の意見を肯定しつつグリュクがミリアに近づいて、呼びかける。
「えっ何?」
「君は今丸腰だ、こいつを使ってくれ」
彼は霊剣をミリアに預け、そう告げた。
「え、でもグリュクくんは……」
「顕せ」
すると、呪文に応じて彼の手の中に、ぼんやりと輝く剣らしき物体が生成された。
魔王ゾンビが使っていた、魔法剣に似たものだろうか?
彼はそれをミリアに見せ、
「俺はこれを使うから。ミルフィストラッセ、ミリアを頼む」
(心得た)
そして船体前後の障壁の隙間から入り込んできたゴーレムに向かって飛び出し、その頭部へと剣を突き立てた。
ミリアは預かった霊剣を構えつつ、挨拶した。
「あ、よろしく、ミルフィストラッセ……?」
(うむ。よろしく、ミリア――後ろだ、防げ!)
「ほわ!?」
ミリアが咄嗟に振り向いて構えた霊剣に、熱線が当たって弾ける。
「ひぃっ!?」「どりゃあッ!!」
直後に別の角度から高速で飛来した蹴り脚が、ミリアを攻撃したゴーレムの頭部を吹き飛ばした。
ミナだ。彼女はそのまま、ゴーレムの翼を兼ねる腕部を掴んで振り上げ、別のゴーレムに向かって叩きつけ、破壊する。
「どっせぇい!!」
(ミリアよ、危険ゆえ今は船室に入っておれ)
「いや、勇者としてそれはちょっと……」
霊剣の警告に難色を示すミリア。
そこで、ルセルナが全員に呼びかける。
(このまま空飛ぶ城に突入したいが……周囲に障壁が張り巡らされている!)
巨大な浮かぶ城塞は、既に天空の鏡面からの現出を完了して、その全体を露わにしていた。
同心円状の回廊が放射状の回廊で連結され、上方から見ると丸い蜘蛛の巣のようだ。
その各所に塔が、中央の城を護るごとくに林立している。
そして更にその周囲を覆い尽くす、うっすらと輝く光の球殻。
そこに向かって直進していたルセルナだが、今は障壁を迂回して、城の周囲を旋回している状態だ。
飛行ゴーレムたちはなおも、ルセルナを追って無数に飛んできていた。
「なら、俺が――砕けぇッ!」
ルセルナの前方に展開された土の壁の淵から身を乗り出して、グリュクが魔法術を行使した。
彼の手の先に生まれた小さな光球が射出され、輝点となって空飛ぶ城へと近づいていく。
すると、耳朶を打つ巨大な爆発が起きた。
町の一つも吹き飛ばすであろう威力で、光の障壁の一部が破損するのが見える。
「今だルセルナ、あそこに!」
(うむ――)
ルセルナは再び方向を変えて、障壁に生じた穴に向かって加速する。
「障壁は多分、修復する! その前に!」
ルセルナになおも群がる、飛行ゴーレムたち。
フィーネはなおもルセルナの前方に土の防壁を広げ、シリルは後方に障壁を張っていた。
ミリア、ミナ、ヨーコ、グリュクは、その隙間を縫って入り込もうとするゴーレムを排除し続ける。
だが。
「まずい、障壁が!」
城塞の障壁に生じた穴が、明らかにルセルナの船体の前方投影面積よりも小さくなってきている。
修復が進行しているのだ。
されど、しかし!
「土の、腕よっ!!」
フィーネが呪文を唱えると、ルセルナの船体前方を覆っていた土の障壁が変形する。
腕だ。巨大な土の腕が二本、ルセルナの前方から更に前へと延びる。
そして、塞がろうとしていた光の障壁の穴の淵へと滑り込み、がっちりとそれを掴む。
船体と、乗船している彼女たちに急ブレーキがかかった。
飛行ゴーレムたちは船体後方に展開されたシリルの障壁に激突し、自損して弾き飛ばされていく。
土の魔法を制御するフィーネが、うめいた。
「くうぅっ!!」
「推し、拡げよッ!」
そこにグリュクの念動力場が加わり、障壁の穴を押し広げようと力添えをした。
すると障壁に空いた穴は拡大し、ルセルナが通過できる大きさになる。
「このぉっ!!」
フィーネが巨大な土の腕で船体を前方へ押しやると、ルセルナと一行は障壁の内側へと抜け出た。
障壁が閉じて、更に彼女たちを追おうとしていた飛行ゴーレムたちはそこに阻まれ、破壊される。
(着陸を強行する、しっかり掴まれ!)
船体に取り付き残っていた少数の飛行ゴーレムたちを排除して、ルセルナは空飛ぶ城の回廊へと不時着した。
衝撃で防御の障壁が解除され、乗りこんだ面々は衝撃にうめく。
「――――ッ!!」
船底で回廊を滑り、途中に設けられていた尖塔の根元に衝突する寸前で、ルセルナは停止した。
衝撃で“魔女の嘆き”の宝玉部分に触れぬように――もし肌にでも触れれば、全身が溶解して死ぬ――難儀しつつ、シリルが立ち上がった。
「な、何とか着いたかな……!」
(これからどうするつもりだ、シリル・グレイ)
ミリアの手の中から、ミルフィストラッセが尋ねる。
シリルは左手で頭を搔きながら、
「いやぁ……急に攻撃してくるもんだから、慌てて指示しちゃった、ごめん。
でも攻撃は止んだっぽいね」
「あの頻度であの威力は防ぎきれなかったよ。正しい判断だったと思う」
甲板から身を乗り出して周囲を確認しながら、グリュク。
一方、愛刀を鞘に納めながらヨーコが呟く。
「で、この……城? 何なんですかね」
「まぁ、異世界の城、なのかな。機能から見て、攻防に優れた軍事用の移動拠点……みたいな?
さすがにボクも、こんな代物を持ってこられちゃ認識が追い付かないけど」
前後長50メートルほどのルセルナに対し、城は直径およそ2000メートル以上はあっただろう。
ミリアの腰に係留されたままのスィナーンが――猿轡はいつのまにか外れていた――、カタカタと顎を鳴らして分析した。
「フム……しかしこれは明らかに人工物だ。城主か管理装置、もしくはそれに相当する存在がいるべきぞ」
「じゃあ事情を話して頼めば、攻撃しないでくれるかな?」
そう聞いて、ミリアの表情が明るくなる。
「どうですかね……こっちに通告も無しにいきなりビームとかゴーレムとか」
(私のように、操られているかも知れぬ)
ミナとルセルナの意見は、やや否定的なようだった。
そこに、今度はフィーネが意見を述べる。
「とはいえ、ここでジッとしている訳にもいかないし……あの一番大きな城郭を探すしかないかしら」
「そうしよう」
シリルが頷く。
「ルセルナたちやこの浮遊城は、あの鏡を通して召喚されたと見ていいだろう。
それを誰がしたのか、手がかりも見つかる……っていうのは希望的観測だけど」
「ルセルナに頼んでここを離れて、また砲撃とゴーレムの餌食にならないとも限らないしね。
俺は賛成だけど、ただ……ルセルナ、ここから動けるかい?」
(魔力が減少している。少し時間が欲しい)
グリュクの呼びかけに、方舟が答えた。
すると。
「何か来ますね」
聴力に優れたヨーコが、真っ先に気づいた。
次いで、他の面々の耳にも何かが噴出するような轟音が届く。
見れば、中央の城郭方面から、大型の機械のようなものが飛んでくるところだった。
「――守り給えッ!」
グリュクが巨大な灰色の球殻で一行とルセルナを覆うのとほぼ同時、そこに熱線が照射された。
そして、
「拉げッ!」
再び彼の呪文に応じ、防御球殻が縮んで球体へと変形し、飛び出す。
加速した球体は、飛来した機械に衝突し、墜落させた。
それを見つつ、グリュクが魔法剣を構え、叫ぶ。
「まだ倒せてない! 俺はルセルナを守って、あれを倒すか、足止めする!
シリルたちは中央を目指してくれ!」
「私も手伝うわ!」
杖を構え、フィーネが加勢を申し出る。
グリュクに撃墜された機械はしかし、何事もなかったかのように動き出し、塊のようだったそこから、手と足らしき形状が突き出す。
変形している――巨大な人間らしき形状に!
「分かった、二人とも頼んだよ! 行こう!」
シリルはミリアたちに呼びかけると、敵を迂回し、早足に城郭へと向かった。
ミナが、シリルに尋ねる。
「シリルくん、さっき使ってたあの飛ぶ魔法とか……」
「あれはボクを含めて二人まで。今はちょっと使えないかな」
「そ、そっかぁ……」
そして回廊を進み続けると、一行は同心円部分と放射状部分が交わる、やや広くなった場所に差し掛かった。
再び、そこにヨーコが音を聞き取った。
「また何か来ますね」
「今度は何!?」
ミリアが不安を口にすると、ほぼ同時に。
「――ッ!!」
ヨーコが前方に飛び出し、鞘から抜いた大太刀を振った。
そこに衝突するのは、直径2メートルほどの、回転する刃のついた車輪!
車輪の側面には多数の眼が備わっており、それらはキョロキョロと周囲を観察していた。
ギン! と音を立て、ヨーコが車輪に弾かれる。
「このォ!」
そこに、横合いからミナがメイスを叩きつけた。
強化魔法が乗っているのか、多眼の車輪は激しく吹き飛ぶ。
ヨーコが愛刀を構えなおしながら、告げた。
「シリルさん、ここは私とミナさんに任せて、行ってください」
「えっ私も?」
「二人なら飛べるわけでしょう」
ミナの疑問を無視して、ヨーコ。
シリルは一瞬迷うが、その意見を受け入れた。
「何かヤな予感がするけど……急いだ方がよさそうなのも確かだね。
報酬には上乗せしておく、頼むよヨーコさん、ミナさん!」
「あっちょっと待ってシリルく――」
「フライングマヌーバ!」
「あぁ~~!?」
シリルはミリアの手を引っ掴むと、魔術で飛翔し、先行した。
回転数を上げてそれを追おうとする多眼の車輪の横合いから、ヨーコが強化された飛び蹴りを入れる。
「――!?!?」
「行かせませんよ、胡乱な歯車さん!」
軌道を阻害され、多眼の車輪はギャリギャリと揺れた。
彼女たちに後ろを任せ、シリルとミリアは網目のような回廊を眼下に飛ぶ。
そして彼らが、城郭の門らしき箇所に接近すると。
「危ない!」「ぎょえ!?」
シリルが急激に軌道を変え、ミリアが悲鳴を上げる。
その直後、彼らのいた軌道を高速で通り過ぎる、虹色の輝き。
回避が遅れていれば、衝突――あるいは即死していたかも知れない。
(何だ……!?)
輝きの正体は、矢――に似た何かだった。
頭から矢じりまでがオパールか何かで形成されたような、虹色に輝く飛翔物。
その出処を目で追うと、やはりそこには、虹色に煌めく人の形をした姿があった。
大きさは先ほどの機械や車輪ほどではなく、人間の大人と同程度だ。
城の門の前に佇んで、番をしているように見える。
「…………!」
「あ――っととっ!」
着地して魔術を準備するシリルと、たたらを踏んで慌てるミリア。
二人に対して、虹色の人型が言葉を発した。
「特異点と探求者よ、お前たちを排除する。
可能であれば自害を推奨する」
流暢な人語。
シリルは会話が可能だと踏んで、尋ねた。
「……ボクらのことを知ってるようだけど、どちら様かな?」
「魔石人イケートゥム。命と心を吹き込まれし魔石の化身」
その頭部に顔を思わせる意匠は一切なく、口なども当然ないが、音声を発信している。
イケートゥムと名乗ったその人型は、名乗りを信じるならば生命活動を行い、固有の精神を持つ魔石ということになるだろうか。
シリルは更に、尋ねた。
「イケートゥム。キミを作った人がいるはずだ。知りたいな? まぁ見当はついてるけども」
「教えることは出来ない」
「そう命令されてるから?」
「教えることは出来ない」
「ならいいや。そこを通してくれない?」
「通すことは出来ない。自害の意思なしと判断した。死ね」
「黄昏の――業火よ!!」
魔石人が両腕を前方に突き出すと同時、シリルは準備していた魔術を解き放った。
“魔女の嘆き”の宝玉部分から、火炎がビームのごとき速度と威力で噴出する。
概算だが、魔石で出来ているならばイケートゥムの質量はおよそ200kgといったところだろう。
ただの魔石ならば、街一つを焼き尽くせる黄昏の業火の熱量で簡単に溶解――いや、蒸発させることすら可能だ。
直撃したならば。
「アクース・グラキア!」
だが、イケートゥムはシリルの攻撃とほぼ同時に冷気を噴射して、これを相殺していた。
陽炎の向こうで動かない魔石人を見て、シリルは目を瞠った。
(今のを先読みして、防ぐのか……!)
それどころか、イケートゥムの魔法は途切れず、シリルの火炎に拮抗し続けている。
全身が魔石で出来ているのならば、魔力の総量も膨大ということだ。
シリルの魔力も、自身を被験者とした禁忌の実験の繰り返しによって、人間ではあり得ない量にまで高まっている。
だが目の前の魔石人のそれは、更に高いようだ。
(こっちの魔力が先に尽きる……!?)
シリルの火炎はイケートゥムの冷気と押し合っているが、限界が近づきつつあった。
このまま行けばいずれ彼の魔力は尽きて押し切られ、氷漬けになって死ぬだろう。
が、その前に。
「てやぁぁぁっ!!」
超高温と超低温のぶつかり合いに怯むこともなく横合いから斬りかかったのは、霊剣を構えたミリアだった。
「――!!」
魔石人は魔法を中止して跳躍し、その一撃を回避する。
同時にシリルの魔術の火炎がその背後の門へと直撃し、貫通した。
危ういところで火炎の直撃を避けたミリアが、それを見て小さく喝采する。
「あっ、これで通れる――」
「通さない」
「うわ!?」
手を剣の様な刃状にして伸ばしたイケートゥムが、ミリアに対して斬りかかる。
未熟なミリアはそのまま切り裂かれ――ることなく、霊剣で刃を受けて、弾いた。
ミリアは驚いて、手元の霊剣、ミルフィストラッセに目を落とした。
「えっ、すご……」
(集中せよミリア! 吾人の援けで今、御辺の剣の腕前は大きく向上しつつある!)
「わかった、やってみる!」
「腰にワシを下げたままでか!? やめて!!」
シリルもそれを見て――スィナーンの嘆願は無視された――、声をかけた。
「ミリアさん、ボクが掩護する! 何とか上手いこと、隙を作って!」
「うん! やっと勇者っぽく戦えそう!」
二人は構え、襲い来る魔石人を見据えた。
飛行城塞カウブ・ソニラは、サイファスを支配する皇帝の都であった。
英知と富の集まる場所であり、熱線砲台と無数の飛行人造力士、防御障壁を備えた国防の要でもあった。
しかしそれはある日忽然と、サイファスの空から姿を消した。
カウブ・ソニラに住んでいた人々は、歩いていた道が、臥せっていた寝床が、座っていた椅子が、周りもろとも一瞬で消え去り、空中へと投げ出された。
そして、大地へと落ちて、一部を除き死んでいった。
サイファスの大地に住まう人々は天上人たちの墜落死に狼狽こそしたが、それ以上詳しいことを知ることは叶わなかった。
皇帝の住まう都市が一瞬で消え去り、サイファスの地には混乱が巻き起こる。
カウブ・ソニラはどこに消えたのか?
そこにただ一人取り残された皇帝スヴェルは、状況の把握に努めるとしても、困惑する他なかった。
「何があったというのだ……!」
周囲に侍っていた者たちが消えて、玉座のある制御室にいるのは彼だけだ。
スヴェルには知る術もない。
皇帝都市たる飛行城塞が、丸ごと異世界に召喚されたなどと。
そして取り残された理由が、彼自身がカウブ・ソニラの霊力系統と霊的に結合しているためだということも。
城内を警護する人造力士たちの視覚を使って城内を確認し続けているが、やはり残っているのはスヴェルのみのようだ。
閣僚も、道士も、来客も、一人として残っていない。
飛行人造力士を使って周辺を探索しようと考えが及んだ、その時。
「ごきげんよう、あなたは……長ですのね?」
玉座の間の扉を開けて、そこに女が入ってきた。
金髪を編み込み、天女を思わせる衣をまとった、美しい女だ。
スヴェルは尋ねた。
「誰か」
「リカーシャ・カインと申します」
女は、麗しやかに答える。
「率直に用件を申し上げますが……この都を、頂戴したく存じますの」
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第16回終了です。第17回に続きます。
どうでもいいことですが先日ようやくAC6をトロコンしました。嬉しい。
以下、捏造点と疑問点。
以上となります。ご意見などありましたら、可能な範囲で対応したいと思います。
次回もよろしくお願いいたします。