念のために最初に断っておくが、ブートレグワクチンとしての仕事が嫌になった、とかそういうわけではない。  今の生活は実際、今まで生きてきた時間の中では一番幸せだといっても過言ではない。友人に恵まれ、同僚に恵まれ。仕事としても充足感があり、なにより、(仕事のやり方そのものはさておき)社会的に悪いことをしているわけではないのを自覚して働けるのは気分がいい。  だからこそ、だからこそ、今回の事態はわたしにとって到底許しがたいことであった。  森が燃えている、のはいつものことだからと目を瞑るにしても。 「…………これはダメ、だよ。やっぱり」 「ミサキちゃん……」  蒼雷が耳を劈き、紅い竜が空を裂く。森の災火の中では正気を失ったデジモンの影が蠢いている。  死者蘇生――ともすれば、ありもしないかもしれないそんな噂を信じて、この場所……アトラーカブテリモンの森に、無数のテイマーたちが足を踏み入れていた。  この森に住まう賢木夕立という少女が、死者蘇生の能力を持っている、『かもしれない』。  裏取りさえできていない情報に踊らされた人間が、こんなにも悲劇を引き起こしている。  嘆きの声を上げる黒い鎧のデジモンがいた、騒動に紛れて他者を利用しようとするものを見た、暴走させられて望まぬ戦いをしているデジモンたちを見た。  何より、今も上空で渦巻いているあの蒼い稲妻は、こんなにも悲しげに轟いている。  どうしてこうなったのかといえば―― 「……サンワさん。その、ごめんなさい。わたし、ちょっと、もう我慢の限界、っていうか」  ――脳裏に、ドゥフトモンの……あのロイヤルナイツが憑依している女性、峰子さんの顔が浮かぶ。 「少し、森を離れようか?」 「あっ、いえ、そういうことじゃ……なくて……」 「ミサキ」  わたしが口ごもると、さっきまでしかめっ面で様相を眺めていたインプモンが重たい口を開いた。 「こういうときはハッキリ言っていいんだヨ? 『こんな状況見てられない、わたしもみんなの役に立ちたい』……ってサ」 「インプモン……」  彼に促されて、なお黙っていられるほどの『お姫様』だった時期は、もう卒業しただろう。わたしの中に渦巻いていた、慈しみのようでもあり、怒りのようでもあり、あるいは……勇気のようでもあった感情が、一点に収束する。 「わたしは、」  手を強く握りしめる。デジソウルが宿るとき特有の鋭い熱が迸る。 「わたしは、こんな状況も、こんな状況を作った人も、こんな状況、を、前に……戦えるくせに、アイテム係、ぐらいしかしてないわたしも、許せない……!!」  デジヴァイスに手を掛ける。自然と、言葉が口からこぼれていた。 「――だから、いくよ、インプモン! デジソウル、バーストッ……!!」  深紅に輝くデジソウルが、デジヴァイスを通してインプモンに流れ込む。進化の光がさく裂し、インプモンを懐かしいあの姿へと、そして更にその先へと導いていく。 「……これは」  サンワさんが隣で感嘆の声を漏らすのが聞こえた。自分でもこんなにうまくいくとは思ってなかったし、当然か。 「……ジョーカーモン! わたしたち、は……影太郎さんの、邪魔に、なりそうなものを……対処、しよう!」 「仰せのままに、お姫サマ!」  白いマントを纏った姿の、わたしだけの道化師。  彼は、頼もしくも笑って見せた。 「取置クン、あとおっきなパタモンクンもだけど、ミサキにピッタリくっついてた方がいいヨ!」  ジョーカーモンはいつものようにへらへらと笑って、大きな鎌を光につられて現れた暴走デジモンめがけて振り下ろした。 「まとまっててくれなきゃ、巻き込まない自信がないからネ!」 「ははは……その姿だと説得力あるね」  完全体のバースト化現象。オーラが有り余り、その余剰分がわたしの身体に宿っているのを感じる。報告書で読んだことはあるけど実際に見るのは、ましては自分で体験するのは初めてだ。……これは確かに、影太郎さんが理解できない現象だとぼやいていたのも頷ける気がする。だって、わたし自身、わたしの身体に何が起きているのかわからないし。 「さぁ、最高のショータイムをお見せしよウ!」  やっぱり、あなたが世界で一番カッコいい道化師だよ。ジョーカーモン!