深夜のネオサイタマ、廃ビルの一室を女が駆ける。その手に握られるは重く、硬い鋼。猟犬の顎門を持つ形状は、官能的なまでに美しい。 ヨリトモ・アンド・キヨモリ社製試作型磁力弾丸射出銃"サーティスリー"。ネオサイタマの混沌の中でも異彩を放つ破壊的狙撃銃には、握る女の手汗が滲む。 異形のスナイパーライフルは荷電機構の重さで大の男すら地に沈め、重サイバネ者でさえ反動に躊躇うこの猛犬を、女は容易く持ち運びあろうことか抱え駆けている。人間離れした業──そう、女はニンジャなのだ。名をアーマーピアスと言う。 「ヒヒヒ…クク、ヒヒヒヒ……!」アーマーピアスは額に汗を流し、腕と足から出血しながら止まることなく走り続ける。ニンジャであろうと息を切らすほどの時間を、重い銃を手放すことすらなく、恐るべき速度で、そして狂気じみた笑みで。アドレナリンを全開にして走り続ける。足を止めることの意味をよく理解しているのだ。 止まる事は足を切り裂かれ、肩を貫かれようやく得た室内という優位を即座に失う事だと。 ヒュルルル、と僅かな音がする。来た。死が来た。 振り向くことすらなく、アーマーピアスは右足を高く掲げる。激痛が走るが叫ぶのを堪えると、カン、と音を立て死は瞬く間に地面に刺さりヒビを入れる。それはスリケン、ニンジャの血と硫黄でできた流星。 脚を上げるのが一瞬遅く、かつ左右の選択を誤れば即座に脚を撃ち抜かれていただろう。だがこれで終わりではない。アドレナリンで加速したニューロンが死の兄弟の到来を予期する。 わかりやすく音を立てて飛来した一撃目とほぼ同時に、ステルスめいた二撃目が飛んでいた事はよく理解していた。音もなくビルの中を跳ねて…後頭部に飛んでくる! 「イヤーッ!!」高く掲げた右足を勢いよく振り下ろし回転! 回転の速度とレールガンの銃底でスリケンを迎撃し、弾き飛ばして防ぐ! 「ヒィーッ、ヒヒヒヒヒ!! 」アーマーピアスの口から奇妙な笑いが漏れる。死を免れたが故の興奮だ。しかし笑いながらも止まる事はできない。一刻も早くベストな逆撃の為のポイントを見つけねばならない! 未だ姿見えぬ襲撃者に自分と相棒の力を「わからせる」ためには無数の手順がいる。そして相手は狙撃手として格上であり、手順の実行には何手死を越えねばならないのか。アーマーピアスの額に脂汗が滲み、傷口から血が流れる。時間もない。 最初のアンブッシュの時、ギリギリで腕を破壊される事を避け、反撃は入れた。故に準備する時間も得られたが、それでも尚死の流星は彼女の対処を超えて、ダメージを蓄積してきている。ディアハンター、ディスタンス、ロングカット。恐るべきシャーテックの粛清者達の名が脳裏に浮かび、それに勝るとも劣らないワザマエに死の予感とアドレナリンの放出が止まらない。 「でも行けるわよね。アンタとあたしなら!」 アーマーピアスはうっとりと呟く。スリケンを弾き、傷ついた相棒を労わりながら、共に重ねてきた殺戮の栄光を思い出す。まだこんなところで終わるわけにはいかない。もっともっと殺して、もっともっと己と相棒の力を示す! 狂った狙撃ニンジャは逆襲に望みをかけて、死の流星を掻い潜る…! ────────── アーマーピアスの考えとは裏腹に、襲撃者の側もまた余裕を持っていたわけではない。「…………」ミハル・オプティの高度な技術を用いたサイバネアイが、事前調整通りに動かない。傭兵ナイトフォールもまた、トラブルに見舞われていた。周囲に散らばる矢はその証か。 ヨリトモ・アンド・キヨモリ社の依頼を受け、試作品の回収任務と凶悪ニンジャの殺害に乗り出し、いつも通り入念な調査の上、アーマーピアスの潜伏先へのアンブッシュ──そこまでは良い。 だが脚部と腕部の破壊を優先したスリケン狙撃は、サイバネアイの演算ミスによってわずかにズレた。凡百のターゲットが相手ならばそれでも十分だったが、優れた狙撃手としての経験を持つアーマーピアスには決定打に至らず、反撃を許してしまった。 そして僅かなミスは、益々厄介な事態を連れてきた。 レールガンの破壊力によって倒壊した廃ビルの音を聞きつけ…新たな狙撃ニンジャがナイトフォールを狙っている。ぐおん、と空を切り裂く音。次が来た。 「イヤーッ!」 ナイトフォールもまた、猛烈な勢いで空を裂くスリケンを投擲。飛んできた矢の勢いを相殺……否。軽減する。一撃では落としきれないがこれで十分だ。コンクリを容易く打ち砕いて矢はあらぬ方向に逸れる。雨めいてこれが降る前に場所を移動していく。 矢に込められたアイサツから敵の名は理解した。マスラオ。在野の恐るべきユミ使いにして、謎多きサムライニンジャ。何故マスラオがナイトフォールを狙うかはわからないが、対応を迫られているのは間違いない。そして勿論アーマーピアスの始末と試作品の回収は行わねばならない。サイバネの不具合、二正面作戦。困難な局面。 「問題ない」 だがナイトフォールはヨリトモ・アンド・キヨモリのオペレーターにはそのように告げた。過信があったわけでも、侮りがあったわけでもない。端的な事実として、ナイトフォールはこのような状況を幾たびもくぐり抜けてきていた。そして、然るべきリスペクトとコネクションの元受けた依頼は、どのような状況でも必ず果たす。ナイトフォールのプロフェッショナリティの問題だ。 実際最大目標の一つであるアーマーピアスの始末について、ナイトフォールは既にオーテをかけている。アーマーピアスが反撃を考えていることは予測済。あえてレールガンの射撃距離に自らを置き、ヒサツの狙撃でカウンタースナイプする。傷を受け出血するアーマーピアスはチャンスを待つ事ができない以上、罠と分かっていても乗るしかない。 同時にそれはナイトフォール自身もアーマーピアスの、マスラオの狙撃と妨害を受けるリスクを孕んでいる。双方の得物を鑑みるに、深く急所に当たれば重サイバネニンジャでも即死は免れない。その上でリスクとリターンは釣り合っている。後はいつも通りだ。 「仕留める」 夜の帷を下ろすため、狙撃手が動き出す。 彼の脳内UNIXに緊急のノーティスがあったのは、まさにその瞬間だった。 ────────── アーマーピアスは襲撃者の気配を辿り、同時に僅かな違和感を感じながらビルを駆ける。少しでも優位な立ち位置を確保した上で臨まんとした狙撃は、疑念を孕みながらも順調に準備され…… そう。あまりに順調だった。スリケンの追撃はなし。見失ったか、或いはそう見せかけているのか?誘われているのではないか?とも考えた。しかし段々と疑念は実感になっていき……屋上まで移動しきった時に確信を得た。 「ブッダファック……!」 此方を襲撃し、追い詰めた狙撃手は消えていた。気配でわかる。ぎりり、と憤慨に歯を軋ませる。 アーマーピアスは知り得ぬ事だが、狙撃手……ナイトフォールは既に離脱していた。マスラオの乱入というイレギュラー、そして連立企業がそれぞれの機密をもって強化調整したナイトフォールを喪うことによる違約金を恐れ、ヨリトモ・アンド・キヨモリ社とミハル・オプティ社が協力してビズの撤回を求めたのである。 その結果、アーマーピアスとサーティスリーが齎す破壊と殺戮は、暗黒メガコーポにとっては些細なコラテラル・ダメージとして扱われたのだ。アーマーピアスは詳しい事情を知る事はないが、大凡の察しをつけ終えると著しく自らと相棒が軽く見られたように感じ、憤怒に見舞われていた。 正々堂々、などという言葉には縁の無い、容赦なく虚無的であったアーマーピアスは、己以上に相棒が無視された事に苛立ちを覚えていた。己に生きがいをくれた銃、そして愛するパートナーをナメた姿なき者への行き場のない怒りが満ち、キリングオーラを具現させる。 そこにふと、ぐおん、という空を切る音。 「! イヤーッ!」 BLAM!サーティースリーが吠える! 電磁弾が音を切り空を裂いてやってきた矢を正面から撃ち抜き破壊する!タツジン! 「マスラオねぇ……」矢に込められていたのは強大なる狂気のストリートニンジャの名。弓を愛し、イサオシを求める者。普段のアーマーピアスであれば、交戦は避ける相手だ。 だが今日の彼女は違う。殺意と狂喜に目を見開いて、苛立ちをぶつける相手が生まれたことに笑みを浮かべる。 「わからせてやろう、アタシのカワイイな相棒」 サーティースリーが応えるように、荷電を高め戦闘に歓喜する。剛弓「ヘップバーン」など何するものか。真に美しく強いのは、彼女の相棒ただ一つのみ。 「イヤーッ!」 虚無の中にあった女は、再び迫る雨の如き死を前に、相棒のグリップをとって向かい合った。 ─────────── 『無事抜け出せたみたいだな、旦那』 昔馴染みの声が聞こえる。任務中断時のミハル・オプティ社の窓口役として選ばれたのはパイライトだった。 マスラオをかわして撤退したナイトフォールを、企業リムジンが迎え入れ、発進。イクサの気配は遥か遠くに。 『任務中断の違約金は既に振り込んである。後は向こうさんの担当者がケジメなりセプクなりして終わり、ってところだろう』パイライトは何ともなく告げる。 「だろうな」ナイトフォールもまたぶっきらぼうに応える。互いに任務中断による企業や社会への被害を把握してはいるが、斟酌する事はない。それは彼らの仕事ではなくなった。 その上で、ナイトフォールには聞かねばならない事があった。 「アツラギ=サンはどうなった」今回サイバネアイ調整を任された、熱意あるサイバネ技師のこと。 『……セプクしたよ。命令でなく、自主的に』パイライトはわずかに間を開けて、そう応える。果たして回答が真実であるかは、パイライト自身もわからない。だが年若いサイバネ技師が命を絶ったことは確かだった。 車内を沈黙が支配する。パイライトはインガオホー、と思い浮かべる。誰の? それはわからない。 ナイトフォールのワザマエを信じられなかった二社? 僅かなミスを犯したことを恥じ死んだサイバネ技師? それとも……ナイトフォールの? 奥ゆかしくパイライトは口を閉じ、ナイトフォールのプロフェッショナリティをこそ尊んだ。ナイトフォールは凄腕のスナイパー・ニンジャで、極めて優秀なプロフェッショナル。例えここで重傷を負ったとしても、すぐに立ち上がり仕事を果たすだろう。 ただその周囲が、必ずしも彼の在り方に適うわけではない。それだけの話なのだ。 「そうか」大きく間を開けてから、ナイトフォールは何ともなく、わずかに呟いて上向いた。 「そうか」そして、もう一度呟いた。 流す涙などはなかった。彼は、ニンジャなのだから。 ───────────