デジモンイモゲンチャー 文科省デジタル文化振興室の人達 佐賀消失編 第一話 その男に歌わせるな 激しい振動と共に、その日佐賀県は現実世界から消失した。 巻き込まれた大多数は民間人。 生存は当初絶望視されていた。 しかし、彼らが生き残るために、自らが生き残るために、命がけでもがいた者達がいた。 これは彼らの物語である。 文部科学省の一部署、デジタル文化振興室に所属する岸橋メグルは、 現実世界でのデジモンイレイザーによる記憶消去の痕跡を調査するため佐賀に赴いていた。 彼はデジモンイレイザーの行動を全く察知する余地もなく、消失に巻き込まれた。 その際に生じる大規模な衝撃で気を失った彼は、かつての様子を全く残さない場所で目を覚ました。 彼の物語はここから始まる。 「痛いですね…… 頭か……?」 意識を取り戻した岸橋メグルはまず自分の置かれた状況の把握に務める。 痛みはある。外傷はない。骨折もなし。行動可能。周囲に目に見える脅威はない。周囲……? 気付く。自分は佐賀にいたはずだ。しかし、目に見える光景はうっそうと茂る森林。 それも温帯の植生ではない。明らかに熱帯雨林。ジャングルだ。 「佐賀にジャングルなんてあるわけないじゃん……!」 消失の際にランダムな場所に弾き飛ばされた可能性がある。 懸念を晴らすべく支給品のめちゃつよタブレット(MECHA-TUOI社製)から位置情報を確認する岸橋メグル。 しかしそこに表示されるのは解読できない文字列のみであった。 「範囲外? いや……違う……?」 順番は前後したが、続いて通信の有無を確認する。 「これは……」 インジケーターの表示は「DG」、詳細を確認すればデビルガンダムではなく、なんと「Digital Generation」である。 悪ふざけにもほどがある、が、これが間違いでなければ、今いるこの場所は。 「まさか、またこちらに来ることになるとは……」 『選ばれし子供』として冒険したとき以来、彼は二度目のデジタルワールドへの転移を行っていた。 大まかに自分の置かれた状況を把握した岸橋メグルは、次にジャングルからの脱出と外部への連絡を考える。 表示を信じるなら通信はこの空間でも生きている。そのはずなのだが…… 「電話はまあ、無理ですか。他の連絡手段も…… 意図的に塞いだんでしょうか?」 いくつかのアプリを起動しながらジャングル内を歩き、メモ帳に判明した事柄をまとめる。 ・現実世界側との通信は一部を除いて不通。  └安否確認を出せない  └向こうの対応状況の推移を考えるとかなりマズいですね…… ・デジタルワールド内での通信は可能  └こんなときでも配信をしている人がいるとは……   └被害規模はおおよそ佐賀県全土、といったところですか   └というか彼女は……    └接触は可能な限り避けるべきですね ・うちのアプリが使用可能!?  └API叩くだけならもしかして大丈夫?  └別の場所に存在するデータ上のクローンサーバに繋がされているだけかもしれませんが……  └今のところ必要の無い拳銃なんかはストレージにデータ化した方が良いでしょうね  └一旦、一通り使用できることを確認。   └「広域探査」はウィジェットにして常駐させておきましょう   └精神衛生とコミュニケーション上、「トイボックス」で楽器を出せるのはとてもありがたい ・現時点までで現実世界側からのコンタクトがない以上、向こうからこちらを確認することもできなさそう  └ひとまずこの辺りについては、現状諦めるしかなさそうですね レーダーアプリである「広域探査」で生命反応を探りながら、ひたすらジャングルを歩く。 最も近い反応に向かっているうちに、あっけなくジャングルを抜ける。 どうやらあまり大きくはなかったようだ。 そして、ジャングルを抜けた先にあったものは、意識を失う直前まで岸橋メグルがいた、県境付近の佐賀市外縁部だった。 空間が途切れ、佐賀県の向こう側は存在しない空間になっている。 しかし彼の驚きはそこにはなかった。 「異質な空間同士の結合……!? 崩壊寸前の現象のはずでは……」 既存の佐賀市と脈絡のないジャングルの融合、彼の知る限り、それに類する現象は実験内で行われたワールド崩壊直前にのみ発生していた。 実験では数テラバイトのワールドでマイクロ秒以下の瞬間に確認された現象。 仮にこのワールドがヨタバイト級でも崩壊まで数分内のはずだ。ジャングルを抜ける前に全てが消えている。 兆候である、ワールドそのものに生じる亀裂もない。だとするとこの現象は…… 「まさかこのワールド自体が、『佐賀自身』が生き残るためにデータを取り込んだのですか……!?」 ワールドや空間自体が意志を持つ可能性は示唆されていた。 このタイミングでそれと思わしき現象を目にするとは、運が良いのか、それとも悪いのか。 「少なくとも、今のところは安定しているようですね…… 佐賀が持ちこたえている間は、ですが」 佐賀自身の生きる意志、その時間があとどれだけ残っているのか。 「広域探査」が映す生命反応は密である。当然だ。佐賀県の人口はおよそ80万人。そういえばないな、で済む規模の県ではないのだ。 「……残るとしても、出るとしても、まずは今生きるための場所がないと、ですね」 岸橋メグルの考えていることは三つ。 一つ。このワールドに取り残された民間人が現実世界への帰還を望むのであれば、その方法を探す必要がある。 理論上、ワールドの孤立の程度にはムラがあると考えられる。他のワールドとの繋がりが濃い場所を探せば、それが現実世界への道筋となる可能性はある。 空間遷移に長けたデジモンの力を借りれば帰還は可能だろう。 しかし、問題は規模だ。 順番と時間、高い壁がある。 もう一つ。このワールド、「仮称:デジタル佐賀」に残ることを選ぶ人達だ。 このワールドの存続可能性を立証する必要がある。 そのためにはデータの収集が不可欠だ。移動手段がないと時間のロスが激しい。 デジモンの、助けを借りる。 失ったかつてのパートナー、エンジェモンの形に空いた心の穴がきしむ。 最後に。今、明日、その先を生きるために、民間人とこのワールドで生まれるデジモンが共に生きる場所が必要になること。 このワールドに残された時間がどの程度であろうと、その前に命が失われてしまえば何も意味は無い。 彼ら自身の生きる活力という面でも、これが喫緊の課題になるだろう。 その上で、岸橋メグルは彼自身の順番を考えない。 やっとのことでたどり着いた市街区は、建物ごと息を潜めるようにどの通りにも静けさが満ちていた。 何が起きたのかなんて誰にも分からない。そんな状況で、何かが起きてしまうことを恐れているようだった。 岸橋メグルが市内の公園へと赴くと、珍しいことに一人の男がデジモンと戯れていた。 「あなたはもしかして……?」 特徴的な頭頂部のとがった髪型。ロッカー風の服装。人好きのする笑顔。何よりもエレキベース。 「お? お兄さんどうかした? 俺は」 「いや大丈夫です! 存じております!」 名乗らせてはまずい。何がかは分からないが、直感的な危機感から男の言葉を遮る。 「申し遅れました。私はこういうものです」 「文科省。……政府の? お兄さん偉いんだねえ」 「いや下っ端ですよ。それより、ここでこの子と何を?」 その男、『佐賀の男』がなでていたデジモンに岸橋メグルは目を向ける。 緑色の体、植物型だろうか。体の大きさからすると幼年期に見える。彼にはよくなついているようだ。 「いやさ、急に町中えらいことになっただろ? 見回りついでに公園まで来たらこいつになつかれちゃってよ」 「なるほど。会ってすぐにその様子だと、相当相性が良かったんでしょう」 「ところでお兄さんは何しに?」 「私ですか…… とりあえず、民間人の保護、でしょうか?」 「でしょうかって言われてもなあ」 「まあ一応そのつもりです」 「そうか……」 何事もなく話しているように見えて、佐賀の男が怯えていることに岸橋メグルは気付いた。 無理もない。自分自身ですらこの状況に不安を感じているのだ。 一家の父親としての姿だろうか。 或いは美味しくもないのに人前でうろたえる姿をさらしたくはないという芸人根性の表れであろうか。 彼の心の強さを、岸橋メグルは静かに尊敬していた。 「なあ、お兄さん」 「なんでしょう」 「あんた……その、ここがこうなった原因を探してるんだろ?」 「……もちろんそれはあります。でないと、誰をどう助ければいいのか分かりませんし」 「助ける、か……」 「はい。助けるためにです」 「じゃあ、その原因を見つけたら、あんたは……あの時のテイマー達みたいに戦うのか?」 かつて現実世界でも発生したデジモンとテイマー達の戦い、それを佐賀の男は想像しているのだろう。 「いえ、戦いません」 「戦わない!?」 「戦いませんよ。戦ってなんか、やるもんですか」 「じゃあお前どうやって助けるなんて言ってんだよ!」 柔らかい笑みを浮かべたままで淡々と話す岸橋メグルに、佐賀の男が怒る。 「戦えば、必ず誰かが巻き込まれます」 「戦えば、必ず何かが失われます」 「失ったものは、戻ってきません」 佐賀の男の目を見て、真剣な表情で岸橋メグルは告げる。 かつて選ばれし子供の一人であったメグルは、ヒーローではなかった。 ヒーローを助けるモブ以上レギュラー未満。その彼でも、最後の戦いでパートナーとデジヴァイスを失った。 「だから、戦いません。ですが、助けます」 「そうは言っても、戦わなきゃ…」 「だから、そうなりそうなら動機をなくしてあげれば良いんですよ」 「……は?」 「この状況を生み出したのが誰かだと仮定して、その目的が破壊なら、その破壊が自分自身の多大な不利益を伴うようにすればいい」 「人の心をなくすことが目的なら、その誰かの周囲に人がいられないようにすればいい」 「金銭や名誉が目的なら、そもそもこんなことで得られる程度のものなんか大した量じゃないと示せばいい」 「嫉妬が目的なら、褒め称えればいい」 「最後のはどうなんだ」 「あくまで方法論です。が、戦わなくても、戦う力が無くてもできることはあるんです」 詭弁だが、それでも何もできずにいるだけじゃないと言われると少し楽になる。 何より、目の前の男は本気で自分たちを助けるつもりなのだと分かった。 佐賀の男は、岸橋メグルに自分たちを救う可能性を感じつつあった。 「それで……岸橋さん。実際のところこれからどうすんだ」 「メグルでいいですよ。ただまあ、そうですね。先ほども言いましたが、やはり民間人の保護でしょうね」 「……具体的には」 「まずは、心のケア。生きる意志の保護。要するに、楽しみです」 「なら…… 俺の仕事だな……!」 「はい。最初に出会ったのが貴方で本当に良かった」 「だろ? なんせ俺は」 「ああいえ大丈夫です!! 存じております!!」 危機感! 抑えきれない危機感がメグルをせかす! 「それでだ。演るのはいいんだが、まさかここでか?」 「公民館でも構いませんが、今すぐ、というのは大事だと思いますよ」 「時間が、ないのか」 「この現象が、という意味でしたら私にもまだ分かりません。ですが、心を支えるための時間という意味でしたら、そうです」 「クソ…… ぺーぺーの頃並みに緊張してきたぞ」 「まあそう言わないで。私ももちろん手伝いますが…… そうですね。この子にも少し手伝って欲しいですね」 所在なげにふわふわと浮かんでいた、佐賀の男になついた謎のデジモン。二人が目を向けると何故か少し照れているようだ。 「少々お待ちを」 岸橋メグルがタブレットを取り出すと、一つのアプリを起動する。何故か端末をくるくると回しながら。 そしていくつかもぞもぞと操作すると、彼の手元に一対の赤いマラカスがいつの間にか現れた。 「メグルさんあんた手品もできるのか」 「まあそのようなものです。次はちょっとすごいですよ」 ニヤリと笑いながら、またもやいつの間にか背後から電子ピアノを取り出す。 「アンプも必要ですね。あ、水飲みます?」 思い出したように次々とどこからともなく、正確にはタブレットから取り出しているようにものが現れる。 佐賀の男は深く考えることを放棄した。 「電子ピアノは私が。マラカスはその子に使って貰いましょう」 差し出されたマラカスを興味深そうに、しかしおっかなびっくりといった様子で、そろそろと謎のデジモンは長い触腕で掴む。 にこやかに笑うメグルがマラカスを振るジェスチャーで促すと、触腕の先に掴まれたマラカスが揺れ、小気味よいリズムを奏でる。 「お! 喜んでるのかお前! 良かったなぁ」 全身で嬉しそうに、楽しみながら浮き上がるように謎のデジモンはマラカスを振る。 「いいですね。じゃあ、一緒に楽しみましょう。みんなで、楽しみましょう」 「いいこと言うじゃねえか、メグル。よし! ご近所さんみんなここに集めてやるぜ!」 「はい! いきましょう!」 危機感は猛烈にその男に歌わせるなと叫ぶが、そんなことはどうでもいい。 彼と、ここにいる人達のためには、光が必要だ。 どんな場所でも温かく照らす、佐賀の太陽が。 日が昇るためのライブは、それから長く続いた。 「やっぱり、行っちまうのか。メグル」 一夜明けて後の朝、「まだ助けなければいけない人達がたくさんいる」と言って旅立つメグルを、佐賀の男と謎のデジモンは名残惜しそうに見つめる。 「はい。釈迦に説法ですが、佐賀にいる人はここだけじゃありませんから」 「だよな」 「ええ。データを集める必要もありますし、今はみんな不安なはずです」 「そうか…… じゃあ、な」 「はい…… また、会いましょう」 固い握手を交わす二人。その手の上に謎のデジモンが降りる。 「君も、できれば彼のことを助けてくれると、嬉しいな」 岸橋メグルは空いた手でそのデジモンの頭をなで、少し寂しそうに笑った。 (つづかない)