デジ対外部嘱託職員の名張は引っ越しの準備で上京するついでにデジ対の事務所に顔を出した。正規職員ではないので本来なら何か特別な用事がない限りはデジ対事務所に来る必要はない。つまり今日は用事があるということだ。 「やあ、ひさしぶ」そう言ってドアを開けると芦原副長とドウモンが顔を近づけていた。それこそ今にもキスしようかという程に近く…… 「ごめんごめんノックするのが礼儀だよね。それとも外出たほうがいい?」 「待て名張これは誤解だワイシャツのボタンダウンが取れそうだって」 「そうですあともう少しで芦原の唇を奪えたものを」 「時間と場所を考えて欲しいんだがな?」しれっと言うドウモンに対して少し顔をしかめる芦原。 「失礼します」名張に続いて入ってきたレナモンの姿を見て今度はドウモンが顔をしかめる。 「……なんですか。なにか用事ですか?」 「ああいや、ヨリオ君とベルゼブモン君に渡すものがあってね。」ドウモンの凍てつくような口調に気づかぬふりをして笑顔で返した。 「ああ?俺達にか?」名張の少し後ろ、事務所のドアの少し外にベルゼブモンが立っていた。見れば更にその後ろに詩虎と宇佐美、そして宇佐美の肩に乗ったテリアモンの姿も見える。四人して外回りから帰ってきたところなのだろう。 「やあベルゼブモン君!ヨリオ君と室長、それにテリアモンさんも」入口から彼らの方へ名張が歩いて出ていき、芦原もそれを追うように外に出たので、その場にはドウモンとレナモンが取り残される形となった。レナモンはドウモンのほうをじっと見ているが、表情に変化はないように見える。しかしドウモンには何かが察せられたらしい。 「……何か言いたいことがあるのですか?」ドウモンの問いかけに、レナモンはまだ表情を変えぬまま答える。 「……相変わらず自分のパートナーにそのような情念を抱いているのですね、貴方は。」声色は平坦、しかしその言葉に少なからぬ侮蔑が込められているのは明白だった。「よくもまあ己の仕える主に対してそのような感情を、しかもまるで隠そうともしない。少しは恥を知るべきなのではないですか?」 「もう一度言ってみなさい!」ドウモンは激昂した。「デジタマにすぐ戻りたいというのならそうしてあげます!!」 「やめろ、ドウモン!」 「やめないか、レナモン。」戻ってきた名張と芦原がそれぞれの相方を止めた。 「しかし芦原!」まだ収まりきらない様子のドウモンに対し、 「言い過ぎだぞ、レナモン。」レナモンの方は名張の言葉に明らかにしぼんでしまったようだ。「他人の趣味や性癖を論ってどうこう言うのは非常に失礼なことだ。ドウモンに謝るんだ。」 「……済まなかった。私が言い過ぎた。謝罪する。」平坦な口調のまま、明らかに気落ちした様子で頭を垂れるレナモンに対しドウモンは 「……フンッ!」憤懣やる方ないといった様子ではあったが、素直に謝る相手に更に言葉を荒げない程度には理性があったようだ。鼻息も荒く部屋の奥の自席へと戻った。 「悪いな名張、いつもいつも」 「いえ芦原さん、こっちが悪いんですから……しかし普段はあんなに冷静なのにドウモンが絡むとどうして……」互いの相方について謝りあう二人、どうにもすっきりしない表情である。 「まあ誰にでも合う合わない相性ってもんはあるわな。」ベルゼブモンと 「そうですよ、誰もが俺たちみたいに理想的なバディになれる訳じゃないですよ。」詩虎が寄って来た。 「……相性とかそういうもんが無いとは言わんがな、」いい大人なんだからもうちょっと抑える努力をだな、という芦原の言葉は 「そんなことより名張さん、俺達に渡したいものって何なんですか?」無邪気にはしゃぐ詩虎に遮られた。 「ああそうそう、忘れるところだったよ……ええとこれはメダマグモのプラグイン、攻撃が投網に変化する、まあネットランチャーだね。それからこっちはナゲナワグモのデータを使ったボーラプラグイン、どっちも基本は拘束用だね。」ポケットから取り出したカードの束を器用にワンアクションで扇状に広げて見せて、またワンアクションでもとの束に戻して名張は詩虎に手渡した。 「ああもう……まあいいか」言いかけた言葉を飲み込んで芦原は頭を振った。 「まー相性って言うならあの三人の相性もなかなかだけどな?」テリアモンが指ならぬ耳で指し示す先では、 「こっこれはあの伝説の……『週刊わたしのお◯ちゃん』全巻セット!どこでこれを!?」 「いやあちょっと昔の伝手で見つかってね、ベルゼブモン君なら喜んでくれるかなって。」 「名張さん!いいんですかこんなの貰って!」 「大げさだなぁ写真集ぐらいで。なかなかの美人……いや美デジ揃いだろ?こっちのボーイズデジ写真集もよかったら…」 「えっ男性型っていうか男の子っぽいやつ……どうしよう迷うなこれ」詩虎ベルゼブモンコンビと名張の三人が性癖トークで盛り上がっていた。 「どうしてあんなことを言ったんだい?」事務所を出て名張が運転する車の中で。名張の実家のある県の隣県にある世界最大の自動車会社がかつて製造した最大の四輪駆動車、その助手席に座るレナモンに、名張は問うた。 「クールでクレバーな君らしくない。あのドウモンの何がそんなに気に入らないんだい?」 「いえ、別に私は……世間一般の常識に則ってあのデジモンに意見を言っただけで、特にあのドウモンに対して特別な感情を抱いているわけでは……」 「レナモン。」名張の声が低くなる。「名張衆頭領として命じる。正直に言え。自分の気持が自分でもよく分かってないのなら分かる範囲でいい、言葉にしろ。」 「……おそらくなのですが、私は。」しばらく逡巡した後、レナモンは口を開いた。「私は羨ましいのかもしれません、あのドウモンが。」 「……ほぅ?」 「私はお館様と主殿が褥で睦み合う様子を何度も見ておりますし、お館様が人とデジモンを区別せずそのような対象として見ているのも理解しています。しかし私には、そのような感情や衝動といったものが湧いてこないのです。」 「……続けて。」 「……私はお館様はもちろん主殿に対してもその、性的と言うか肉欲と言うか、そのような欲望を持たない……いいえ、持てないのです。もちろんお二人のことはパートナーとして、そしてあの時、リアルワールドに来た時に言っていただいたように、家族としても、とても大切に思っています。ですが……」そこで一旦言葉を切るレナモン。 「ドウモンは違う、と?」 「そうです……あのドウモンは、パートナーに対してあれほどまでに強い感情を抱いている。おそらく出会ってからの年数は私達と大差ないかむしろ短いであろうにもかかわらず、あのドウモンはパートナーのことを明らかに愛している。それに対して私は、主殿と出会って13年も経つというのにそこまでに至れていない!」レナモンの白く大きなもふもふの両手が自身の顔を覆う。指の隙間から見えるのレナモンの目に、心做しか赤く妖しい光が灯って見える。「私は、もしかしてデジモンとして何か大切なものが欠落した、欠陥デジモンなのでは……」 「もういい、そこまででいいよレナモン」名張が制止すると、指の隙間から覗くレナモンの赤い目に灯る光が鎮まった。 「お館様……」 「時間の長さと絆の強さは無関係だよ、レナモン」その声は低いまま、優しさを含んでいた。「同じ時間を過ごしたその中で、どれだけのことを積み重ね、互いを思い、語り合ってきたか。それが絆になるんだ。逆に言うと、長い時間を掛けてお互いのことを疎ましく思い、諍いを積み重ねれば、時間とともに絆は失われる。人間にとってそれは至極ありふれた当然の事で、普段は意識もしないけどね。」聞いているうちにレナモンの両手は膝の上に下りていた。 「相手をどう思うか、その内容だって人それぞれさ。僕らの場合はそういうふうにならないってだけで別に恥じ入るようなことでもないし芦原さんとドウモンが互いをどう思っているかなんて羨むことでも蔑むことでもない。僕だって、他のデジモンや人間は種族性別を問わずにそういう目で見てるけど、実際に事に及ぶのは茜だけしか考えられないし、ホークモンや君のことは全くそういう目で見れない。というより、そういう目で見れない相手だからこそ、パートナーになれたのかも、だけどね?」そこでちらりと横目でレナモンを一瞥する。 「君はどうだい、レナモン?君が茜と過ごした13年間は、君にとって絆にならないような無駄な時間だったかい?」 「……最初のデジタルワールドでの1年、生き延びることに必死だったあの頃は、私が主殿をお護りしなくてはと、そればかり考えていました。リアルワールドに来てからの何年間かのお二人は……復讐鬼と化したお二人を見ているのは正直辛かったです。でも今は……」そこでレナモンは顔を上げ名張の方を見た。 「今は……幸せです。姫様と若様がお生まれになってからの、優しく柔らかになったお二人を見るのは、とても幸せです。毎日すくすくと育っていかれる姫様と若様もとても愛おしくて……」 「だったらそれでいいんじゃないかな。」運転中ゆえ前を向いたまま、名張は微笑んだ。「君にとっての今までの時間、それで育まれた絆、それは誰かに誇示するようなものでもないけど、誰に対しても恥じ入るようなものじゃない。それは芦原さんとドウモンだって同じだ。あのドウモンの愛情の激しさを見るに、芦原さんとの出会いはよっぽど強烈なものだったんだろうし、一緒に過ごす時間はさぞや濃厚なことだろうね。」 「そうですね……お館様、今度あのドウモンに会ったら、また謝ろうと思います。」 「そうだね、そうするといいよ……レナモン、もう少ししたら、家族6人、一緒に暮らせる。悪いけどそれまでもう少し待っててくれ。」少しすまなさそうな口調で名張が言った。 「……顔と首周り、肘から下を効果範囲に設定したよ。ベルゼブモン君専用に調整してるから消費は最低限に抑えられてるはずだ。表情は神経トレースで追従するから今よりも感情表現豊かになるかもね。ただベースになったアリグモのマイナスな特性まで残ってて敏捷性が下がる。服を脱いだり全力疾走すると擬装解除されて元に戻るからそこは気をつけて。」 1週間後、デジ対の事務所。芦原ドウモンコンビが戻ってくると名張とレナモンがいた。駐車場で2台分を占拠するバカでかい軍用みたいな四輪駆動車が停まっていたので察しはついていた。名張の方はベルゼブモンとなにか話している。 「最近良く来るなお前たち。」芦原は声を掛けた。それに気づいたレナモンが近づいてきた。 「……何か用ですか。」さっきから機嫌が悪いドウモンの声が低い。 「ドウモン、この前は本当にすみませんでした。」レナモンがお辞儀をしてそう言うのでドウモンは一瞬毒気を抜かれたような表情をする。 「何ですか急に?」 「実を言うと私は貴方に対して嫉妬していたようです。パートナーに対して自分の気持ちをあそこまで素直に表現できる貴方のことが羨ましかったみたいです。改めて謝罪させてほしい。」平坦ないつもどおりの口調、しかし謝りたいという気持ちは伝わってくる。 「……レナモン、あなた」何かを言おうとして、しかし何を言えばいいのか見当がつかずに言い淀むドウモン。それを見て微笑む芦原と名張。 「それはそれとして。」頭を上げたレナモンはまっすぐにドウモンを見る。 「な、何です?」 「私は本来のパートナーであればタオモンへの進化も余裕です。パートナーとマトリクスエヴォリューションでサクヤモンに進化したこともあります。私は数え切れないぐらいパートナーとマトリクスエヴォリューションしましたが貴方は?」 「やっぱり殺すコイツ殺しますいいですよね芦原!」レナモンの煽りにドウモンは瞬時に沸騰した。 「やっぱこの二人相性最悪じゃねえの?」頭を抱える宇佐美局長の肩の上でテリアモンがニヒルに口角を上げる。 「……すまないけどベルゼブモン君、この前渡したアレ、ネットランチャー、頼めるかな?」同様に頭を抱えた名張はベルゼブモンに頼んだ。 二体のデジモンの殺し合いは投網に絡み取られることで阻止された。