夜の繁華街の片隅で、2人のテイマーがすれ違う。 これは選ばれてしまった少女と、選ばれなかった少女の初めての邂逅だった。 「あの、それ、デジモンですよね?」 入間竜胆が街を歩いていると、不意に女性の声が響いた。 振り返ると、片目を前髪で隠した女性がいた。歳は竜胆と同じぐらいの、大学生ぐらいだろうか。 普段だったら気にも留めないか、あるいは「美人さんだな」と思う程度の、そう取り留めもない容姿である。 だが、振り返り立ち止まらざるを得ない理由が竜胆にはあった。 「今、デジモンって言いました?」 「うん。その、肩に乗っけてる……えっと、眼? デジモンだよね」 「あー、これですか? はい。名前、よく分かってないですけど」 竜胆は肩に載せている、黒い目玉に触手が生えたような異形を撫でながら答えた。 異形は気持ちよさそうに目を細めて、小さくミィと鳴いた。その様子から、それと彼女の仲は良好であると分かる。 竜胆曰く、その異形はネガーモンと言うらしく、ある日突然現れたというのだ。 「突然……? それってもしかして、こう、なんかデバイスと一緒に?」 「ううん。デバイスじゃない。紋章からこう、急に、なんか、出てきた感じ」 「紋章って──────」 キーホルダーの様にスマホにつけた紋章を、竜胆が差し出す。 それを見て片目を隠した女性は、眼を見開いて驚くような表情を見せた。 その表情から、竜胆の内に確信が宿る。目の前にいる女性は、自分と同じ"こちら側"なのだと。 ──────いや、もはやすでに、彼女にとっては"あちら側"なのかもしれないが。 「なんでデジモンを連れてるんで?」 「この子、なんていうかな。人の剥き出しの感情とか、そういうデータを食べるの好きらしいんだよね。  ほら、東京って特にそういうの多いじゃん? 無意味な情報の羅列に悪質なアジテーション。そういうのはこいつの餌になるっぽい。  私もそういう喧噪嫌いじゃないし。こいつ程度の大きさなら、なんかのアクセサリー程度に思われるから違和感もないしね」 「そっか。小さいデジモンだと背景に融和出来るんだね」 「独特な語彙してますね、貴方」 ふふっと、竜胆が静かに笑った。女性もつられてクスリとほほ笑む。 だがすぐに竜胆は真剣な眼差しを、女性に対して突きつけるようにしながら静かに問うた。 「……で、今度はそちらの番です。質問に答えてくれますか?」 「いいですよ。初対面なのに、質問ばかりしてごめんね」 「まずは、えっと、名前から」 「ジン・ツジハと言います。一応、今年就活の大学生」 「じゃあ先輩ですね。私は入間竜胆と言います。19歳です。  で、ツジハさん。単刀直入に聞きます。……選ばれし子供、ですか?」 静かな──────されど確かな、怒りの籠った問いだった。 ツジハはそれだけで、目の前の少女が選ばれし子供に対して、どのような思いを抱いているのかがわかった。 例えるなら、内側に確かに燃え盛り続ける焔。怒り、あるいは憎悪、そして微かに感じる悲しみの色。 そんな様々な色を纏った熱が、彼女のその短い言葉の裏側にひしめき合っているように感じた。 「ちょっと、違うかなぁ。デジモンは知ってるけど、選ばれなかったって言うべきかも」 「選ばれなかった? でも、紋章まで知ってるってことは、その、少なくとも、ただデジモンを知ってるデジ対とは違うと思いますが」 「口で説明するより、見てもらったほうが早いと思う。私のパートナー」 「うち、来る? 流石にアレをここに連れてきたらパニックになっちゃうから」 ツジハのその提案に、竜胆は不意を突かれる形となった。 ツジハからしてみれば、竜胆は完全に初対面の人間である。それをまさか、いきなり家に招くとは。そんな驚きを竜胆は隠せなかった。 竜胆はハッキリ言えば、選ばれし子供という存在を憎んでいる。なにせ選ばれてしまった事で、彼女は全てを失ったのだから。 家族も、友も、パートナーすらも。例えそれが八つ当たりであっても、彼女の中に灯る憎悪の炎はそう簡単には消えはしない。 ゆえにこそ、デジモンを知るツジハの言葉を無視できなかった。その誘いを断る選択肢も、彼女にはない。 「……分かりました。この子も念のため、一緒で良いですか?」 「いいよいいよ。ああ、別にバトルしようって訳じゃないから安心して。ポ●モンじゃないんだから」 「いや、明らかにバトルする流れじゃないでしょ、これ」 おかしな、でもどこか一緒にいて楽しい子だな。と竜胆は思った。 何と言えばいいか、邪気がない。グイグイと来るタイプの人間ではないが、それが逆に竜胆にとっては心地よかった。 竜胆の思う通り、ツジハには邪気も無ければやる気も無い。 そう、『何もなかった』のだ。だからこそ、選ばれなかったと言うべきだろう。 だがそんな彼女には、今転機が訪れようとしている。故に彼女は、小さなことから積極性をはぐくもうと努力している。 今声をかけたのもそれが理由だ。あからさまに、デジモンを肩に載せて歩いている同年代くらいの女性がいる。ので、少し気になって声をかけたのだ。 そして同時に、この短い会話の中で興味も抱いた。 竜胆とツジハは初対面である。にも拘らず竜胆の問いには、確かな怒りがあった。その怒りにツジハは興味を抱いたのだ。 何故見知らぬ自分に対して、「デジモンを知る」「選ばれし子供かもしれない」というだけでこれほどの怒りを彼女は抱けるのだろうか、と。 それはもしかしたらデジモンと言う存在、あるいは「子供を選び戦わせる」という運命そのものへの怒りなのではないかとツジハは考えた。 故に、だろう。気づけば彼女は竜胆を家に誘っていた。 これから戦う運命を選ぼうとしているのなら彼女を知らなくてはならない。戦いを、デジモンを、あるいは選ばれたという運命そのものを憎む彼女のことを。 そんな使命感にも似た、あるいは気まぐれのような何かが、気づけば2人のテイマーを同じ空間──────ツジハの住まう部屋へと招いていた。 ◆ 「……逃げた?」 「うん。だってこれ、あからさまに敵として来いって命令じゃん? 誰が行くかってほっぽり出してたの。  タマゴもタマゴのままずーーーーーーっと孵らないし。それから15年経った結果がさ」 「この俺ってわけ」 「何度か向こうで見たけど……ベルトしてたっけ? デジタマモンって」 「あ、これは割れそうになってるから補強してる」 「いいんだ、それで……」 平静を装ってこそいるが、竜胆は戸惑いを隠しきれなかった。 目の前にいるデジタマモンに対して、ではない。彼女が差し出した漆黒のデジヴァイスに対して、だ。 自分がかつて持っていた──────そして目を逸らすように封印した──────あのデバイスと同じ代物。それを彼女は今手に持っている。 ただ違うのは、その色だった。どこまでも吸い込まれそうになるような漆黒。禁忌と分かっていても手を伸ばす好奇心を止められないかのような、禁断の闇。 かつてそういった暗黒と対峙した竜胆だからこそ、その持つデジヴァイスの恐ろしさを直感で理解できた。 これは少しでも間違えれば、取り返しのつかない事になる存在だ、と。 「で、何処まで話したっけ。私が選ばれなかったってところまでだっけ?」 「え、あ、はい。まぁ、その、嫌ですよね。いきなり敵として振舞えとか、ふざけるなって思います」 「そう思う? そう思うよね。うん。だから逃げた。そしたらこんな紋章叩きつけられて、そのまま15年だよ」 「…………同じだ」 差し出されたタグを見て、竜胆は息をのんだ。 自分と同じ、漆黒の紋章。それが示す意味は分からないが、漆黒のデジヴァイスを前にした後にそれを見ると、改めて異質であると理解できた。 ──────そしてその異質な紋章と同じものを、自分自身も持っている。その事実が、突如として恐ろしいものに竜胆は思えてきた。 「……その紋章が、なにか、輝いたりなど、したんですか?」 「んーん、特には。もしかしたら、結構いいもんだったりしてね。悪に屈しなかった御褒美、とか?」 「は、ははは……それだったら、良いですね。ほんと……」 ひきつった笑みがこぼれてしまう。 どう見ても、取り繕っているのがバレバレだ。 そんな自己嫌悪が竜胆の胸に溢れた。 ツジハは言った。15年前。それは竜胆が選ばれし子供になる数年前の日付だ。 自分たちの1つか2つ前の選ばれし子供の世代、なのだろう。そんな推理が、彼女が望まずとも竜胆の脳裏で自然と組みあがっていく。 意思に反して組みあがる考察は、竜胆の脳裏で嫌な予感となって輪郭を露わとしていった。 もし歯車が少しでもずれていたら、自分がその前世代の選ばれし子供だったかもしれない。 そうなれば、彼女が『敵』として選ばれていた世代と重なっていただろう。当時自分は4歳だが、その幼さでも選ばれし子供だった少年少女がいたとは聞いている。 ──────そのうえで、もし、彼女が逃げ出さず、選ばれし子供に、"敵"に、なっていたら──────? 自分は彼女と、生きている人間と、殺し合うことになっていたのか? 「──────もしかして、怖い?」 「……っ」 「震えているよ、手」 見透かすような視線が、ツジハから竜胆へと向けられた。 気付けば竜胆は、無意識のうちにその手を震わせていた。ツジハはゆっくりと、その震える手に自らの手を重ね合わせる。 その視線に、気遣いに、耐え切れないまま竜胆は頷く。我ながら隠し事ができない人間だと、少し自己嫌悪が竜胆の胸を締め付けた。 「……はい。少しでも歯車が違えば、あなたと私が、殺し合っていたんじゃないかと、思うと……」 「やっぱり、貴方も選ばれし子供だったんだ。口ぶりから、なんとなくそうなんじゃないかなって思ってたけど」 「──────やっぱり、選ばれし子供なんて、なるべきじゃないですね」 「?」 ボソリ、と、こぼすように竜胆が呟いた。 震える手はそのままに──────否、いっそう震えを強めながら、低い呟きは続く。 「なんで、私達なんですか? なんで、子供が戦わなくちゃいけないんですか?  正義も、悪も、子供にばっかり戦わせて……! 勝手に選んで、勝手に連れて行って!  後のことなんか何も考えないで!! 終わったらすっぱり放り投げて!!!」 「…………」  ツジハの手を握りしめながら、竜胆は堰を切ったかのように叫び出した。 彼女の手の震えはさらに強まる。その震えは、かつて抱いた恐怖ゆえか、あるいは現状に対する怒りそのものか──────可能性を失った自分への憎悪からか。 ただツジハはその叫びを、思いを、そして震えを、包み込むように静かに聞いていた。 「辛い事が、あったんだね」 「お父さんも、お母さんも……! 親戚の皆も、友達も! みんな、みんなぁ……!!」 竜胆の頬を雫が伝う。肩に乗るネガーモンは、ただ静かにその伝う涙を身じろぎせずに見続けていた。 気付けば竜胆は全てを話していた。旅の中であった事、旅が終わって両親を失った事、親戚に拒絶されたこと、友と疎遠になったこと。 そして何より──────可能性を失った果てに、パートナーとすら別れた事。そしてネガーモンと出会ったこと。その全てを話していた。 「誰も……! 誰も私の事、認めてくれなかった!  世界を救ったのに! 皆と頑張ったのに!! 誰も私を見てくれない!」 「……それは、ちょっと違うんじゃないかな」 「──────へ?」 竜胆の手を優しく握りしめながら、ツジハは言葉を続ける。 普段であれば、自らを否定するその言葉を聞き入れるようなことを、竜胆はしなかったかもしれない。 だがこの日は、不思議とその言葉が彼女の胸に響いた。それは、全てを吐き出したことで、彼女の奥に使えていたナニカが外れたから、なのかもしれない。 「全てを否定しちゃだめだよ。1か0かしかないものなんてこの世界にはないんだから。  例えば私は、"選ばれた"って使命から逃げた。逃げるという行為は、そりゃあ普通に考えれば悪いことだ。  けど、それでデジタマモンと会えたわけだし、そういう意味じゃ逃げることもプラスだろ?」 「胸を張って言う事じゃあないな」 「デジタマモンうっさい」 否定しつつもツジハは、まぁそういうところもあるかも、と自嘲気味に言った。 彼女は続ける。自分は選ばれながら、選ばれることを拒絶した人間だ。そういう意味では、竜胆とは正反対だと言えるだろう。 それで戦うことを避ける事が出来た。安全に生きる事こそできたが、どこかそれは、しこりの残ったような生活だったと彼女は語った。 「なんていうんだろうね。燃え尽き症候群の逆? 燃えてない症候群?  このままでいいんだろうかっていう漠然とした焦りって言うか、なんていうか。  なんかしなくちゃって言う焦りと、それでも動きたくないっていう思いがずっと続いてた」 「私と、逆ですね。私はなんか、ずっと"誰かに認められたい"って足掻いて、足掻いて、足掻き続けてました」 「うん。それも間違ってないと思うよ。でも、止まるのも大事だよ」 「止まりすぎたお前が言っても説得力無いな」 「うっさいってば」 「やめろ割れる」 ペシペシとツジハがデジタマモンを叩く。その2人の間には確かな信頼が見えた。 そんな2人に、竜胆はかつての自分とパートナーが重なって見えた。まさか消えるだなんて思っていなかった、ともに旅をした唯一無二のデジモン。 消えたあの日、声が枯れるほどに泣き続けた。あの日以来、選ばれし子供を、そして自分を選んだ運命を、全て憎むようになった。 目の前の少女のような関係は、もう自分には戻らない。そう、羨望のような視線を気づけば竜胆は向けていた。 「止まると言っても、もう私には、一緒に歩むパートナーも……家族も──────」 「はたして、本当にそうかな? 本当に竜胆さんは、いや、リンちゃんは1人なのかな」 「…………どういう」 「一緒に旅をした子たちとは、もう交流しないの?」 ツジハの、そんな取り留めもない問いかけに、竜胆は息をのんだ。 彼女が何気なしに放った「リンちゃん」という呼び方もまた、彼女の過去を想起させる。 そうだ。自分にはパートナーだけじゃない。 一緒に旅をした仲間がいる。帰ってきたゴタゴタの中で疎遠になったまま、すっかり忘れていた。 涙をぬぐい、顔を上げる。そんな竜胆の顔を見て、ツジハはにこりと優しく、安堵したような笑みを浮かべた。 「よかった。ここで"いない"とか言われたらどうしようかと」 「確証がないまま言ったのか? 相変わらず俺がいないと無鉄砲だな」 「けど、そのおかげで街で暴れる野良デジモンを退治できることだってあるんだ。感謝してほしいね」 「野良? ああ、最近出没してるって話ですもんね。デジ対とかの噂も聞きますし」 「そ、冒険の肩慣らしとして、幾らか戦って経験値詰んでいるんだ」 「冒険?」 「うん」 デジタマモンに進化したから、これを機に冒険を始めようとしている、と彼女は笑いながら言った。 続けて彼女は告げる。冒険をすれば確かに負の側面は多くあるが、それでも得るものはある。竜胆の友達もその1つだと。 そういった、得るものがないまま自分はここまで来た。けど、動き出すのに遅いなんてない。だから今動き出すのだと彼女は胸を張った。 「今のところ得れているのは爽快感ぐらいだけど、これがまたいいものだよ」 「そういう、ものですか……。でも私には、もう、冒険をするなんて気力は……」 「リンちゃんは今度は、立ち止まってみると良いんじゃないかな? 今まで止まり続けてた私が動き出したんだから、逆に、さ。  一介立ち止まって、本当に自分は1人なのか? 本当に誰も認めてくれていないのか? 考えてみると良いんじゃないかな」   竜胆を指差しながらツジハはつげる。そのままつん、と人差し指で肩に乗るネガーモンを小突いた。 その動作で再び竜胆は気づく。かつてのパートナーはもういないけど、今ここにいるコイツは、確かなパートナーなのではないか?と。 「なんか……ありがとうございます。  急に押しかけちゃって、その上こんな、いきなり泣き出して身の上話して……変ですよね」 「いやいや。貴重な話だったよ? だって私、他に選ばれし子供知らないもん。今まで選ばれてなかったからね」 「じゃあ今度紹介します? 元気してるかなーあいつら。……連絡先、わかんないかも。ちょっと探して見よ」 「ああ、じゃあ連絡先交換する? ラインやってる?」 そうして2人の話は弾んでゆき、気づけば2人は友達になっていた。 ラインの連絡先を交換し、デジモンあるあるトークに花を咲かせ、そして別れを告げて帰路に就いた。 遥か過去、選ばれし子供としての旅から帰ってから、今日が一番満たされた日だったかもしれない。そんな風にすら竜胆は思っていた。 「動かないって言う選択肢、かぁ」 選ばれてしまったがゆえに不幸になった自分と、選ばれることを拒んだがゆえに不完全燃焼だった彼女。 まさしく正反対であったがゆえにこそ、得るものがあった。選ばれていなかったからこそ、その言葉を真っ直ぐに受け止められた。 そんな風に彼女は思っていた。──────デジモンと言う存在の見方が、変わるほどに。 「ミィ」 「おーよしよし。なんか、あんなこと話しちゃうと、お前にも愛着湧いてくるなー。  お前もならない? デジタマモン。なーんて、ねー」 「……………。」 ただ、不安が晴れた──────と言えば、嘘になる。 むしろ、不安と言う側面だけで言えば増したというのが現状だ。 ……悩みだけを言えば、吹っ切れたと言うべきではあるが。 ──────あの黒い紋章は他にもあるのか? 黒いデジヴァイスと黒い紋章は関係があるのか──────? ──────ならば、黒い紋章から出現したネガーモンの、正体とは? 「いいや、考えるのやめよ。立ち止まるのも大切、ってね」 「久々に、皆に連絡したら、驚いちゃうかなー」 泡沫の様に浮かんでは消える疑念を、振り払うように彼女は思考を止めた。 それが正しい行為なのか、あるいは致命的な過ちなのかは誰も知らない。 分かることはただ1つ。 かつて拒み立ち止まった少女と、今なお悩み邁進し続けた少女。 この2人の出会いが、後に1つの大きな意味を生むという事だけだ。 <続く?>