ワイヤの森と呼ばれるエリアを勇太たちが歩いている。鬱蒼とした森林地帯に足を取られかけながら前にすすみ続ける、デジタルの世界でありながら、植物が持つ 湿気か、それが肌にまとわりついて独特の気持ち悪さを感じさせる。 「この世界ってデジタルだってのになんでこんなにリアルなんだよ…」  勇太が共に旅をする仲間、三下慎平(みつしたしんぺい)が愚痴るように言う。その言葉に苦笑するしかなかった、確かにもう少し融通が利いていいと思わなくもない。 「ってーか勇太―…ここからどこに行こうとしてんの?」  いかにも面倒と言う語気を隠さず光が言った。ただでさえ堪え性のない光にこの環境はあまりにもきついようだった、苛立ちまぎれにパートナーであるデビドラモンを蹴り飛ばして鬱憤を晴らしている。 「い、痛いってば光~」 「うっさい!あんたみたいな黒いのがいるからこの森がうっとおしいんだ!」 「黒いのは光だって同じ……イタタタタ!!」 「黙れ黙れ!!ゴシュジンサマに口答えすんな!」  相変わらずだな、と勇太が苦笑し止めに入る。 「光、これ以上は止めなよ」 「はー?あんたのパートナーじゃないでしょ?」 「そうだね、だけど一緒に旅してるんだよ?」 「だから?」 「それなのに嫌がることは止めようよ…ってこと!」  その言葉に光が一度非難するような目線を向けてから鼻を鳴らしてそっぽを向く。足蹴が止まった瞬間にデビドラモンが抱き着いてくる。 「助かったよぉ勇太~!」 「あはは……」  どうにも言えないとばかりに勇太は頬を掻く。そんな姿に慎平が舌打ちをした、 「おーおーお優しいこって」  どうにもこう言うものに対して物を言わなければならない気質をしているのが慎平という少年らしい。ことあるごとに皮肉が飛んでくる。しかしその大半が的を射ているのは本質をつかむのが上手なのだろう、勇太も言われたことがある。 『なんでも許してやるのはただの哀れみで理解や優しさじゃねぇんだぞ!』  いつもの飄々とした態度をかなぐり捨ててそう言われたの記憶がまだ脳裏に残っている。 「そうやって甘やかすから付け上がるんじゃないの?」  慎平の言葉は正しい、ある一面では、だが勇太は光の過去を断片的ではあるが知っていたがゆえにダメだと強く言いきれない面がある。勿論倫理的にそれがいいことではないしやめるべきことではあるのだが、それは光自身の心持で止めるべき事柄でありでしゃばるべきではないと勇太自身は思っている。ただそれは慎平に言わせれば甘いということになる。これは意見の相違でありどちらが正しいということでもないのだろう。 「へっ……そうやってどっちにもいい顔して、どっちも取り落としても知らねぇぞ?」 「はは…厳しいな」  厳しくもなるっての、と嫌そうに慎平が言うのを聞く。 確かにどっちつかずであることは理解している。そのうえでどうしようもなくどちらも取りたいと欲張ってしまう気質が自分と言う存在なのだと勇太は思う。 「ったく、早くここをぬけねーとあの我儘お嬢の癇癪がこっちに向くかもよ」 「は?慎平ウザ」 「あ゛ぁ゛!?ちったぁ年上を敬えっての!」 「お前なんかどこに敬う要素あるの?馬鹿慎平っ!」 「うわっ!そう言う態度が嫌われるんだぞ!」 「うっわ、アシフトイモンとか言ってるけど良子に足見てるくせに!」 「はぁ!?俺じゃねーし!クロウと竜馬のやつだし!!」  その言葉を聞いて黙っていた2人が声を上げる。 「あ!慎平テメっ!!」 (巻き込まないでほしいという非難の目線)  だんだんとワイワイとした声が上がってくる。重苦しかった空気はどこかに胡散したかのようだった。そこにさらに声が戻る、快活そうな女性の声。 「んー?みんなどうしたの?」  少し前に話題に上がった良子が偵察から戻ってきていた。パートナーのアグモンはお世辞にも偵察に向くデジモンとは言えないがチームの中では年長者としてと危険な役目を嫌がりもせずに自ら立候補したのだ。 「良子さん、どうでしたか?」 「んー…多分周りにはいないと思うんだけどね」  頬を掻きながら良子が苦笑する。 「んー…あんまり偵察得意じゃないから何とも言えないけど」 「いえ…行ってくれただけでありがたいです」 「はぁ~~~……勇太君は人間で来てるよねぇ…そこの三馬鹿と違って」  良子がジト目で横を見やる。いまだに低レベルの喧嘩を繰り広げている慎平、クロウ、竜馬に対して呆れの視線を送っていたようだった。  はは…と小さく苦笑していた時に、左腕に重みが来る。 「勇太!何時まで話してんの?!」  柔らかい感触が包み込む。光がいつの間にか勇太の腕に抱き着いている。光はどうにも独占欲の強い気質らしく今自分のモノ認定している勇太は別の女性と長く話して……短くても光の怒りを買うようになっていた。 「あーもぉ、取ったりしないって!」  良子が苦笑しながら言う。 「は?別に勇太は私んじゃないし!」 「いやいや、どう見てもそのカッコは」 「違うっての!!」  光が怒るように言うが、その姿は威嚇する子猫のようで恐怖心はあまり感じることはない。 「どうどう、落ち着いて」 「落ち着いてるってば!」  今は何を言ってもご機嫌斜めの状態になるタイミングらしい、どうにか説得しようにもますます気炎が上がって行くばかりだった。 「あはは…まぁでもこれくらいは可愛いもんだよ!」  良子がそう言いながら笑みを浮かべる。考えてみれば光の癇癪よりよほどイカれたような手合いが多かったから確かに良子の言うとおりこれくらいはカ可愛いものだ。 「……俺ももっとしっかり出来ればいいんですけど」  その言葉に含まれるのは自責の念だ、勇太は今だに進化させることができない、周りが進化にデジクロスを活用し一線で戦っているというのに、いまだヴォーボモンを進化させてあげることもできない、その現実が勇太の心に暗い影を落とす。 「もー、気を落としちゃダメだって!勇太君はほら、確かに年下だけどみんなのリーダーみたいなものだからさ!」  良子の言葉を聞きまた顔がこわばってしまう。リーダーか、戦えないリーダーなんてどこに必要性があるのあろうか、後ろで縮こまることしかできない自分がリーダーなんて荷が重すぎる気がした。 「何暗い顔してんだよ!お前意外に誰がリーダーやるってんだよ!」  いつの間にか低レベルの喧嘩を終えていたクロウが光の反対側から肩を組んだ。 「なんて―のかな、勇太がリーダーならちょっとくらい言う事聞いてもいいなーって思うんだよな、他だったら多分喧嘩になるぜ?」 「おーそうだな、お前がリーダーなんぞやったら脳筋で速攻崩壊するわ!」 「はぁ皮肉屋野郎がリーダーなんぞやってみろ!口げんかで戦いにすらなんぇよ!」 「あ!?」 「あ゛ぁ゛?!」  また馬鹿二人が楽しそうに言い合いを始めた。 「勇太君……あの馬鹿みたいにはなっちゃだめだからね」  良子がまじまじと勇太を見つめてそう言った。 「ってか何時まで勇太の近くにいんのさ!邪魔!」  光がとうとう怒鳴り声を上げる。良子を睨み、勇太の肩を組んでいるクロウを押しのけようとする。 「あはは、ごめんごめんって」  良子が両腕を広げてお手上げのポーズをする。 「光……」 「勇太は……勇太は私のだっっっっ!!!」  声を絞り出すようにそう叫ぶ光の姿はどこか痛ましいところが見える。いずれこう言ったところも改善するべきところなのだろうが、それにはまだ時間が必要なのだろう。 「ああ、そうだ…勇太君と光君こそ結ばれるべきだ…!」  そんな中で聞きたくない聞き覚えのある声が聞こえた。 「っ…!!その声は……!!」 「覚えていてくれ嬉しいよ……勇太君っ!!」  それは大人の男性だった、ことあるごとに勇太と光を謎の空間に閉じ込めてはイヤらしいことをさせようとしてくる大人の変態だった。 「源浩一郎……!」 「気軽におじさんと呼んでくれてもいいのだけど?」 「あんたをおじさんと呼ぶほど気安い関係じゃない!」  その言葉と同時、その場にいる人とデジモンみんなが臨戦態勢を取った。  言い合っていたクロウと慎平はパートナーと共にすぐ浩一郎に打撃を加えられるようにしている。  竜馬と良子がパートナーを進化させる準備を始めた。  勇太が例え戦力にならなくともとヴォーボモンと構えを取った。  光が勇太の後ろに隠れてカタカタと震えはじめる。 「まったく……なかなかの歓迎だね」 「あなたを歓迎なんてするものか……帰れ!!」  なるほど、と浩一郎がうなずいた。 「そうだな、帰ろう」 「そうだ、かえ……え?」」 「今回は君たちに忠告をしに来ただけだからね」  そう言って大人の男性の歩幅で浩一郎が勇太たちの下に向かってくる。  そして対峙し、 「鮎川聖、赤目みえりを覚えているかい?」  浩一郎がそう問うてくる。頷いた、忘れもしないあの邪悪な気配を持つ女たち。別々に行動して知り合いではないと言っていたが、その悪意は両者ともに共通している。 「覚えているなら結構……彼女たちが活動を再開した」 「っ…」  勇太が息をのむ。何の因果かみえりと聖の2人を相手取り撤退させた戦いを思い出す。誰もが傷ついた戦い、碌な進化もさせられない勇太とヴォーボモンですらその苛烈な戦いには身を投じた。 「しかもさらに悪い報告がある」 「おいおいおっさん……嘘だろ?」 「愛の戦士の私がそんな嘘をつくわけがないだろう」  まったく、と言った風に溜息をつく。愛の戦士は絶対嘘だ。 「ま、いいさ……彼女らと同じ邪悪なテイマーが1人新しく……名はジョン―ドゥ……名前はジョンだが女性だ」  そう言って1枚の写真を取り出す、目元に隈、露出が派手な衣装は胸の谷間が見え、伸ばした金髪がふわりと広がっている。おおよそ不健康そうな女。 「この女にあったなら気を付けるといい」 「……あなたにお礼を言うのは癪ですけど……ありがとうございます」 「いや……まだ礼には及ばない」  そう言って浩一郎が距離を取る。 「ワルもんざえモン!!」  叫び声が木霊するとともにどこに隠れていたのかその巨体が姿を現す。 「浩一郎……」 「さて、愛の戦士の本領発揮と行こう」  そう言って普段とは打って変わった鋭い視線を浩一郎が勇太たちに向けてくる。 「さて、私は考えた…君たちは今いるチームの中でも強い方だ、私がかつて所属したチームにも勝るとも劣らない」 「どうも…それで…?」 「勇太」  君付けが外れた、いつもとは違う冷徹な声が耳に響く。 「君…リアルワールドに帰る気はないかい?」  は、と勇太が間抜けな声を上げてしまう。 「何を言ってるんですか?」 「そのままの意味だよ…今の君は戦力になりえない、周りは既に完全体…竜馬君に至っては究極体にまで手をかけているというのに君はそうではない、端的に言えば実力不足だ」  それは、と口ごもる。自分自身が知っていることをつつかれ、心がささくれ立つ。 「なんであなたにそんなことを言われないといけないんだ」 「死ぬぞ」  その短い言葉で何もかもを押しつぶす。 「戦えなければ死ぬだけだ」 「……それはっ」 「耳貸すな勇太!!」  慎平の声が響く。 「このおっさん……今日はなんかおかしいぜ…!」  苦労がそれに同意するように言葉を上げた。 「そうね、いつもなら勇太君と光ちゃんをこれでもかと追い回す癖に」  良子が鋭い視線で浩一郎を睨みつける。 「そもそもそれを決めるのはあなたではない」  普段はあまり声を上げない竜馬がそう言う。 「勇太…か、帰っちゃやだ…」  光が震えながら言う。 「おや手厳しいね…風向きが変わったが故なんだが」  浩一郎が何の感情も感じさせない声でそう言った。 「さて…勇太君はどうしたい、彼らの言葉を聞く必要はない、なぜならこの戦いは本来君に必要ではないからだ」  わかるだろうと浩一郎が言う。 「逃げるわけではないそもそもかかわる必要性がうすいのだ、選ばれし子供と言うわけではない、世界を救う理由があるわけでもない、命を懸ける必要性もない」  それは、と勇太が言いかける。実際何の言い返す理屈も勇太の中には存在しえなかった。自分が選ばれておらず、そして戦いにかける意義が存在しないことも。 「何より君には愛してくれる良心もご存命だ、なら命を落とす前に帰るのも正しい選択だと思うが」  それはあまりにも正しい理屈だった。今のご時世なら命を大事にというのは誰でもわかっている理屈。その言葉はあまりにも甘美で、  「そうですね、あなたの言うとおりだ」  勇太の言葉に光が悲鳴を上げた、なだめるように片手で光の頭をなでてやる。  そしてまっすぐな双眸で浩一郎の目を見た、どこにもそらさないようにしっかりと。 「それでも…そうだったとしても!!ここで起きている戦いから目を背けて逃げられるなんてできはなしない……!」  それは矜持だった、勇太の持つちっぽけで、そして勇太の心を占める構成要素。 「そうか」  そう言って浩一郎は溜息を吐いた。 「君がそう言う少年だと知っていた、知っていたからこそ……帰ってほしかったんだけどね」  とった距離をまた歩いて縮めてくる。臨戦態勢は解かない。 「っ…なにを」 「手を出しなさい」  その言葉にあっけにとられてしまう。 「別に取って食ったりなんてしないさ……さぁ」  その目線はいつもの淀んだものではなかった、誰かを真摯に思う視線だった。息をのみ勇太は手を差し出す。 「ゆ、勇太…」  光が不安そうに声をかける。 「大丈夫……大丈夫」  安心させるようにあるいは自分が安心するように言う。  ……一瞬手の中に光がこぼれる。その手の中には2つの物体が治まっていた。異形のオーブとねじれた何か。 「これは……?」 「デジメンタルさ」 「……は?」  デジメンタル、一定のデジモンにアーマー進化を起こすデータ、それは図鑑に載っていたどれとも違う。 「こんなもの見たことがない」 「そうだろう、これは正規のデジメンタルとは外れたモノ……名を暗黒のデジメンタル、そして欲望のデジメンタルと言う」 「あ、暗黒っ…?!欲望っ!?」 「そうだ、紋章と対応するデジメンタルではない、ゆえにアーマー進化をさせることができるわけでもない」 「……ならこんなものは……」 「だが君の心の解決の糸口になる」  そう言って浩一郎が右手を高く上げて叫んだ。 「ショウタイムだ……出ろ……ダークタワーッッッッ!!!!」  その言葉と共に地鳴り、そして共に高くオベリスクが天に上る、黒く禍々しい巨塔が。 「浩一郎っ…てめぇっ!!」  非難の声をクロウが上げた、 「悪いね、別に戦いをやめるなどと言ったつもりはないよ」 「そう言うのをペテンって言うんだろうが!」  慎平がそう叫ぶ。 「違うね、大人のやり方と言うのだ」  さて、と向き合う。 「これで君たちの進化は封じさせてもらった」 「馬鹿言うな!こっちにはデジクロスがあるんだよ……!」  慎平がそう叫んだ。 「ターゲットモン!マッハモン!デジクロスだ!!」 「ヤバイワァン……こ、これっ…な、ンか力がでなぃわよぉ……!」 「はぁっ!?」 「別にデジクロス対策をしていないとも言っていないぞ?」 「こ、小ズルい!!」 「処世術さ……さて、そろそろデジモンだけじゃなくて自分にも目を向けるべきだよ諸君」  あ、と誰かが呻いた、良子だった、息を荒く吐き脂汗を流し目を大きく見開いている。その吐息は苦しいものであるのが伝わってくる。しかしそれはすぐに伝播するようだった、竜馬が、クロウが、慎平が……光が、同じように呻き声を上げる。 「何をしたっ!!」 「ダークタワーに小細工をしたのさ、本能がある、身体が持つ基礎的なもの、理性のさらに最奥にあるそれ……本来はデジモンへの洗脳的な役割を持つわけだが…その洗脳的役割が本能に訴えるように……今彼らが感じているその本能は……恐怖」 「今すぐ止めろっ……!」 「ならば止めると言い勇太…今私を止められるのはキミだけだ、わかるかい、暗黒のデジメンタルと欲望のデジメンタル2つのデジメンタルが君への影響を遮断している……つまり戦えるのは成長期のヴォーボモンだけ、試練だよ、君は……私と完全体のワルもんざえモンと戦い打ち勝たなくては先に進むことすらできないのさ」  浩一郎が帽子を自らに押し付けるようにして視線を遮った。 「さぁ、戦いの時間だ」 〇  森の中を爆裂音が鳴り響いている。木々がひしゃげ土埃が舞う、近くにいたであろうデジモンたちが足をそろえて逃げ出している。  その中を逃げ惑うように勇太とヴォーボモンが駆けていた。本来はさほど長時間の飛行をできないはずのヴォーボモンが自分の飛行限界を無視したように飛ぶのは命の危機が迫っていることを端的に教えてくる。それを勇太とヴォーボモンは本気だと感じた、普段のおちゃらけたおふざけの態度がどこかに消え失せたかのように冷徹にこちらを追い詰めてくる。 「ヴォーボモン!」 「プチフレイムっ!!」  勇太の言葉に合わせヴォーボモンが火炎の吐息をぶちまける。  しかしそれは即座に撃ち払われる、はじけ飛んだ小石を片手で守る程度の労力、こともないという態度で。 「なるほど……やはり弱い」  浩一郎が見下すように言ってくる。 「……おおよそ理解はできる、鮎川の件だろう?」 「っ……!」  苦い思い出が脳裏に浮かんだ、デジメンタルと装ったモノを渡してきた女性、夜の闇、黒曜石、そんな綺麗な黒ではない、道端の汚泥とヘドロを混ぜ合わせ甘い香りを混ぜて作りだしたあの汚物の闇をたたえた瞳。 「私はこれでもキミたちの味方のつもりなんだけどね」 「え……?」 「……その反応はひどくない!?仲を深めるように動いても引き裂くように動いた覚えはないよ!?」 「いや……単純に迷惑……」 「凄くストレート!!?」 「普通に考えてくださいよ…いきなり出てきてエッチな雰囲気にしようとする人が迷惑じゃないわけないでしょう……」 「むぅ……」 「少しは考え直してくれました?」 「ああ……君が思っている以上に周りを見ないということを」 「え……?」  その言葉と同時に勇太の脇腹に衝撃が来る。 「ぎっ……!?」  不意打ちの一撃が意識外からきた瞬間、痛みが神経を刺激する。痛覚が命の機器を訴える。いじめっ子に殴られた時のようなぬるい一撃ではない命を刈り取るための一撃。 「ワルもんざえモンの姿ばかり見せていて悪いね……別に退化させることができないとも一度言っていないね」  その言葉と共にあ、と声が出た、確かに自分たちのパートナーは消費するエネルギーを抑えるために成長期や成熟期で姿を抑えていることが多い、勇太自身は進化させられないというハンデからではあるが、それを考えれば浩一郎ができないなどと言うのはありえない。 「チューモンのチーズ爆弾……成長期の技は弱くあるが……君を叩き潰すのにはちょうどいい」  本当にこの男がいつも妙なことを仕掛けてくる男と同じ人間なのかと錯覚する。やり口の全てが悪辣、動きの全てが巧妙、何より暴力に何の抵抗もない。 「勇太っ!」  思考がマイナスによる中ヴォーボモンの声に現実が引き戻ってくる。戦いが終わっていないことを思い出した、そうだまだ目の前の男は自分に害意を向けている。ならば立ち向かわなければならない、考えろと自分の脳に指令をだす、しかし対応できる気がしない。苦し紛れにヴォーボモンに指示、プチフレイム、またかき消される。 「ふむ……これは苦し紛れと言う事でいいのかな?」 「っ……」 「既に君には進化の糧を渡している、経験をしている、ならばあとは心だけなのだがね」  悩むように浩一郎が指を自分の顎に触れさせている、確かそのようなポーズの彫像を図工の授業で見た記憶がある。悩む人だったか。 「うーむ……私に敵愾心があるのは仕方ないとはいえ…己の命がかかっているであろう時にそのようにふるまえるのは感心だ……いや、このこだわりがあるからこそなのかもしれないな」  何かを自分に納得させるようにいいながら再度浩一郎が勇太を見てくる。 「うん、簡単だったね、つまり余裕を削ればいいのだな」  そう言って指を鳴らす。即座に轟音が来る、木々が倒れる、それは全て勇太の方へ倒れるように動いた、押しつぶそうとしてくる巨木を避けて後方に来る、一瞬想像したのはつぶれたカエルのようになった自分、アスファルトの上で腹をさらしそこから内臓を溢しているそんな姿と勇太は自分自身をダブらせる。 「何故逃げるんだね?」  そんな言葉を浩一郎がかけてくる。 「いいかい、この程度成熟期ならたやすく除けることが程度だ」 「それはっ……」 「わかっている、簡易進化の紋章とて無限に使えることができるわけじゃないのだろう、憐れだとは思わないかい?ただ自分の力で進化させることができる中で自分一人は己の力でパートナーを進化させてあげることもできない」 「うるっ…さいっ……」 「それが君の答えかね、それをなんと言うかわかるかい、負け犬の遠吠え」 「うるさいっ……!」  手を握る、喰い込んだ詰めが手のひらに血をにじませた、言われなくたってわかっているのにその言葉を否定することができない。 「ならば行動で示したまえ……ではお喋りはおしまい、さ、そろそろ君をへし折ろう」  爆発が起きる。先程仕掛けているチーズ爆弾が爆発しているのかもしれない、それはどこか遠くでなっているように聞こえた、しかしその音が連鎖するように聞こえる、後方の木々が折れている、そして連鎖が勇太の耳に届くころその爆発が周囲でなっていることを理解した、罠だった。即座に走り出した、逃走の構え、ヴォーボモンを抱えて一目散に木のない方向へ。 「うっ……ぁあああああああああっ!!?」  情けない悲鳴と共に自分の足が悲鳴を上げていることを無視して力の限りに走る。しかしそれは何時までも続かない、理性に対して自分の肉体と言う器の現実がそれが伝えてきた、思考がもうろうとする、肺が痛みを覚えた。その瞬間にさらに痛み、それは外部的要因から来るもの、先ほどと同じ爆発の痛みだ。 「逃げるのは結構だが…先ほどまでに罠を仕掛けていたのだから逃げる先も誘われていると考えるべきだ」  それに何を言い返すこともできない、また、立ち上がる。そしてまた駆ける、無為な逃走を。 「どうしたかね、立ち向かわないと私を……ワルもんざえモンを倒せないぞ」  その声は高くから来る。器用に木を蹴り飛ばし空中を駆けている。正直に言えば侮っていた気持ちがないかと言えばあった、子供の純愛などと世迷い事を叫びながらちょっかいをかけてくるアラサーに実力と言うものをおおよそ感じれなかったのだ。 「ふむ……仕掛けてこないのならばこちらから行くよ、ワルもんざえモン……ヤレ」  一瞬その不気味な眼が薄暗く輝いた、薄暗い光をその鋭い左の爪が纏った、大きく振りかぶりそして降ろす。 「ベアぁぁあ……クロォオオオオオ!!!」  悪意に染まった言葉と共に力場が解き放たれる、とっさに横に跳んだ、弱い自分は逃げることばかり得意になっていた。  爆音が響く、土煙が入らないように袖で目を覆って、そして惨状を見る。大きくえぐれた三条の爪痕は左にくっ付いている爪で切り裂いただけでは到底できない強烈な物、つまりそれだけ込められた力が強いという証左。 「こんなものかね?まだ究極体すら出していないのだが」  浩一郎がワルもんざえモンの上から勇太を見る。 「言っておくが私程度などまだまだ序の口だ、世界を滅ぼそうとするような手合いはこんな間合い対応などしない……さっき名前を出した赤目みえり、鮎川聖、ジョン―ドゥ、他にも山ほどいるであろう悪しきテイマーたち……そんな彼らは君を逃がしてあげると思うだろうか?」  きっと、と言葉を告げる。 「まずは君の目の前でヴォーボモンをデリートするだろう、そしてありったけの悪意を君にぶつけるのは想像に難くない……ちっ…純真を忘れたイカれポンチどもめ……ま、そんなイカれだからこそ世界を滅ぼそうと思うのだろうが……さて、勇太君…私のように温情を与えて上げれる人間が優しくしているうちにリアルワールドに帰るべきじゃないかね?」  その言葉に勇太が奥歯を噛み締めた悔しさが心の奥底から湧いてくる、ギリと音が鳴った気がする。もしかしたら奥歯が割れてしまったかもしれない。どうして自分はこんな戯言に何の言い返しもできないのか、どうしてただ相手に言わせるがままなのか、血潮が沸き立つように燃え上がるような気がした、沸々と眠っていた怒りが噴出すように感じた。どれもがこれまで馴染みのない感情。 「まぁ、気にすることはない、弱い人間とはえてして忘れられるものだ、君も彼らにとってはかつて存在したいい仲間、となって記憶のかなたに行くだろ「黙れよ」」  勇太は今自分が信じられない言葉を言った気がした、底冷えするような声。何もかもを黙らせるような…自分が憧れるヒーローとは真逆の声が臓腑の底から吐き出されたようだった。 「ほう…?黙れと」 「黙れよ……」 「何故だね、私が君の言葉を聞くギリなど……」 「黙れって……言ってんだろうがぁッッッッ!!!」  目を開いた、今勇太が自分自身怒りに飲まれていることを自覚し、しかしその上で力を振るおうとしている。  痛みと暴力の果てに削り取られた精神の余分な部分の中にあった芯のようなものが露出しているようだった。 「ゆ……ゆーたっ!?」 「ヴォーボモン……戦うぞっ……」  今自分がどんな形相をしているか勇太にはわからない、しかしきっと光に見られるべきではない顔をしているのだろう。 「……そうだ、それでいい」 「ヴォーボモンッッッッ!!!」 「勇太っ……!!」  その言葉と共に壊れかけたデジヴァイスが暗い光を上げた、それはどこかでも落ちていきそうな漆黒の闇。 「暗黒のデジメンタルと欲望のデジメンタル……アーマー進化はできないがそのうちに秘めた力はまだわかるまい……さぁ、殻を破って見せろよ勇太君!」 「力を貸せ……デジメンタル……!!」  その瞬間に力の奔流があふれ出た、闇と欲本来いいものとはされない2つの力がD-3デジヴァイスより溢れ、そしてヴォーボモンを包み込む。 「そうだ、君はそれでいい……暗黒進化が間違った進化など誰が決めたと思う、進化に正邪の分別などない……それは一面を持っているだけに過ぎない!なれば暗黒と言う言葉は正しくない……!心の闇の内より湧き出る本能を!戦いの欲求を乗りこなして見せろっ……!!」 「ヴォーボモンっ……進化ぁァアァアアアアッ!!!」  【好きな進化音楽】  ヴォーボモンが光に包まれる、その小さな体躯が一回りどころか二回りは大きくなるl、体に亀裂が入りそれは固まった溶岩の塊のよう、しかし灼熱に燃える岩石がいまだ存在しそれは熱を帯びていると理解させられる。胸、爪、角、そして尾。体の内部は熱いののだろう黒煙が噴出孔から噴き出している、瞳を見る、より竜に近づいたその顔に見える瞳はヴォーボモンであったころよりずっと鋭い。 「ラヴォーモンっ!!!」 『ラヴォーモン 全身が溶岩でできていて、粉塵を噴出しながら活動するデジモン。翼を持つが飛行は苦手で、主に地面を這いずって移動する。その這いずるスピードは鈍重な見た目とは裏腹にとても速く、一瞬で敵に詰め寄る。信頼した相手には気兼ねなく接する友好的な性格だが、噴出する粉塵には発火性があるため懐かれた相手は爆発を恐れ全力で逃げるという。 必殺技は、大きく息を吸って最大限の火の玉を放つ『グレイトフレイム』。さらに勢いよく相手にのしかかって両手をバンバン叩く『アースタンプ』。』 「やはり君の正しい進化はこちらだったか」 「スカしたことを言ってっ……前から一度殴らないとって思っていたんだ……何度も何度も何度も……現れて邪魔して……光を泣かせた!!」 「別に泣かせたつもりはないけどね」 「いいから…黙れっ……!!」 「ま…いいだろう…例え進化したとはいえ成熟期…完全体の敵では…!」 「ラヴォーモン!!グレイトフレイム!!」  勇太の掛け声に合わせラヴォーモンが大きく息を吸った、胸部が膨らみ空気を大きく取り込んでいるのがわかる。灼熱化した内部エネルギーが酸素と合わさりそれがより巨大なエネルギーの奔流となる。ラヴォーモンの瞳がワルもんざえモンをとらえる。そしてありったけの気勢を込めてその火炎をぶちまけた。 「グゥゥゥレイトォオオフレェエッェエエエエイムッ!!!」  業火の球体が小規模な爆撃音がを伴って弾けた。着弾点を起点に巨大な火柱が上がる。それは成熟期ではありえないそれこそ下手な完全体をなぎ倒しえる火球の一撃、ヴォーボモンが本来秘めていたその素養が今開花を迎えようとしている。 〇  浩一郎がその姿を見て思う。あぁ、ようやく見せたのか、その姿を、と。ずっとずっといぶかしんでいた。  デジモンの進化と言うものは人間が思うよりもファジーで融通が利く。時においてはデジヴァイスなしでも心を通じ合わせていれば進化が可能ですらある。  少しばかり事情も聴いている。本来のパートナーではないという事実。しかしそれも疑念があった、とあるチームでは1人で3体のデジモンをパートナーとしていた記録が存在する。つまりパートナーという概念すら本来はあやふやなのなのだ。  だからこそ浩一郎が疑念を持ったのは勇太そのものになる。勇太自身が本来の自分に蓋をしているのではないかと言う疑念。  人間は本人の資質と環境的な要因とで構成されるという、無論どちらがという話ではないが、釣り合うのならば釣り合うべきであろう。  それは浩一郎の仮説にすぎなかったが、今それは実証された、勇太はその内に秘める烈火のごとき闘争本能に優しさの蓋を占めていたのだと。  それが開かれた今もはや止める必要などない。 「ははは…これはキツイかもな、ワルもんざえモン!」 「くくっ…悪い奴だぜ…浩一郎っ!!」  そう言いながらもワルもんざえモンがどこか楽しそうに笑い声をあげた、 「楽しいじゃないか!昔を思い出す!!」 「確かに…とは言え今度は立場が逆か、チャレンジャーを受け止めないとな!」 「なら…精々ワルなヒールに徹してやるっ!」 「頭痛が痛いみたいな言い回しだぞワルもんざえモン!」 「いいところで水を差すなよ浩一郎!」  そう言いながらもベアクローを乱れるように振った。先程のエネルギーのこもったそれに比べたら威力は弱いが、収束した力が切り裂くことに特化している。 「効くか……!」  唸るようなラヴォーモンの声と共に、ベアクローが弾かれる。 「硬いなぁ…完全体の爪を防ぐか!」 「それより……地面に降りてていいのか…?」  勇太の言葉にハっとする。 「アァッァアアアアムッ!!スタァンンプッ!!!!!」  巨体がのしかかるように覆いかぶさろうとしとっさに避け、 「読めていたっ……!ラヴォーモン!グレイトフレイム!!!」 「来るかっ!!!」  再度火球が来るのだろう、ならばと浩一郎は回避をせずにその場にとどまるようワルもんざえモンに指示した、逃げられないのならば真正面から打ち砕く以外の方法など存在しない。 「ハートブレイクアタックだ」 「あれには攻撃力がないぞ」 「エネルギーはある、減退させてやれ!」 「わかった!」  その言葉にワルもんざえモンが構えた、そして 「グレェェェェェイトッ!!!!」 「ハァトブレェェイクッ!!!!」  一瞬の虚無、そして解き放たれる。 「フレェェェェエエエエイムッ!!!」 「アタァァァアッックッッッッ!!!」  火球とハートのエネルギーがぶつかり合う。  異なるエネルギーがぶつかり合い反発し合い、そしてそれはまた巨大なエネルギを生み出し、炸裂音。耳をつんざく強烈な音が響き……幾許かの時間と共に沈静する。 〇 「っ……はぁ…はぁ……ふぅ~~~」  間抜けな声と共にラヴォーモンの体躯が小さくなる、ヴォーボモンへと退化した。 「ヴォーボモン!だ、大丈夫かっ!」 「ゆうたぁ……大丈夫だよぉ……それより……ワルもんざえモンは……」 「そうだっ…!」  灼熱のクレーターの先に勇太の瞳は確かに男をとらえた。 「ワルもんざえモン…いやチョロモン、久しぶりにオーバーさせたな」 「へへ…ワルなことができて…俺っちも楽しかったぜ…」  どう見てもやせ我慢な言葉をパートナーに告げるその姿を見た。浩一郎が勇太と向き合う。 「勇太君」 「……」 「君は成長期へ、私は完全体から幼年期へ…私の負けだ」 「っっっ!!!」 「おめでとう、もう君は自分の力で勝ちを取れる人間になったんだ」 「俺が……力で」 「ああ」  そう言って、さて、また君たちに相まみえるまで少し休むとしよう。 「出来れば二度と来ないでください」  いい笑顔で勇太は浩一郎に告げる。 「嫌だっ!!!」 「子供かっ!?」 「私は愛の戦士っ!出来れば君と光ちゃんがイチャイチャして……こう、いい感じにトラウマが治ったあたりでエッチなことをしてくれてそれを眺めたいだけなんだっ……!」 「返せっ!さっきまでのなんだかんだ格好いいおじさんを返せっ!」 「ふははは!少年……さっきのが緊急スペシャルモードだ!」 「いやだっ!常にあの状態でいてくださいっ!!」 「無☆理」 「ああああああ!ヴォーボモン!もっかい!もっかい進化っ!」 「ゆうたぁ……流石にもう無理ぃ」 「うぉっ……うぉぉおぉおっ!!!」 「ははは!まだまだ消費する力のこともあるようだね、ではさらばだ!そのデジメンタルは君に預けておくから活用するといい!」 「あ!待て!ダークタワーはっ!」 「後は君が破壊するのだ!!ははははは!」 「こっ……この馬鹿ぁああああ!!!」  勇太の絶叫が荒れた森の中に木霊した。