「う……。ググ……」 身体が重い。 意識が朦朧とする。 これは何度か……いや、何度も経験したことのある感覚。 根を詰めすぎた修行のしすぎで、体力が尽きてブッ倒れていたのだろう。 現に今オレの身体は、調理服のまま横たわっている。 ジジイが居た頃には日常茶飯事だった。 しかし、久しぶりに修行でブッ倒れてしまった。 ?乳猪(子豚の丸焼き)の真髄を極めるために熱中しすぎたな。 おかげで火を入れられたままになった子豚は、哀れ料理未満の焦げカスになっちまったことだろう。 今もこうして焦げ臭い匂いが……。 「…………ン!?」 いや、少し焦げの匂いが違う。 これは……。 生木の焼ける匂いだ。 「やべえっ、火事か!?」 慌てて咄嗟に起き上がったオレの目に移ったものは。 「…………あ?」 見知らぬ中華料理店だった。 ボヤ騒ぎを起こしてんのはこの店かと入店してみりゃ、珍妙な光景が巻き起こっていた。 「ヴァーッ! あたしにこんな不味いメシ食わせるなんて串刺しにするわよーッ!」 「ヒエエエーッ! 勘弁アルよ!」 ……ブタのキグルミを着た女が燃えていた。 熱くねえのか? ていうか死なねえか? いや、そもそも、キグルミ女に詰め寄られているコック帽を被った料理人? と覚しき男? もメラメラと燃え上がっていた。 なんかわからんが、とにかく燃えているのが普通なんだろう。よく知らんし興味もない。 周囲を見渡すに、ちょいと古風な様式の中華料理店、客はキグルミ女以外にいない。 さっき“不味い”と言っていたから繁盛してないのだろう。 ふと興味が湧いたので、大皿に盛られている料理と思われるものを口にしてみる。 「ングッ……!? カァーッ! ペッペッ!!」 味覚が壊されるかと思った。 相手が燃えてなきゃ腕の2~3本は貰っていた所だ。 「なんだこりゃあ。これじゃ豚の餌以下だ」 「な、なんてこと言うアル!? ……アイヤ、お客さんアルか……?」 「こんな不味いメシ食いに来る客なんて居ねえよ」 「でしょ!? 不味いでしょ!?」 「アイヤー!?」 なにをどう料理したらこんなモンが出来上がるのか、こっちが知りたい味だった。 素材は何かの肉、キノコ……までは解ったが、未知の食材が多く感じた。 ……いや、むしろ、これは積極的に知りたいまである。 「おい燃え男。オレに料理させろ。お前じゃ駄目だ」 「きゅ……急になに言い出すアルね!? ここはワタシの店アルよ……?」 「そうよ! コイツは今からあたしが焼き殺すんだから邪魔しないで!」 「アイヤー!?」 なんか物騒なことを言っている。 ラリらせたり昏睡させるのはともかく、殺すのは駄目だろう。 「まあ待てキグルミ女。オレが美味いモン食わせてやるから殺しはやめとけ」 「はぁー!? もし口に合わなかったらあんたも焼き殺すからね!?」 「ヘヘッ、上等だよ。オイ店主さんよ、そういう訳だ。お互いローストされたくなかったらキッチンを貸しな」 「アワワワ……。わ、わかったアルよ……」 そういうことになった。 あんなクソ不味いメシを出す割には意外と設備は整っていた。 火力の十分に出る焜炉に、中華鍋、包丁もしっかり中華包丁だ。 新鮮な油の類もたっぷりある。 だが肝心の食材……これが見たことのないものばかり。 灰色のシイタケらしきものはなんとなくわかる……が。 なんだこりゃ、マンガ肉? 「店主さんよ、悪いが食材の説明してくれねえか。じゃねえと料理もできねえ」 「アイヤー!? なにかもわからないのに料理言ったアルか!?」 「成り行きってやつだよ」 「とんでもないニンゲンアル……。ま、しょうがないアルね」 「これは巨大肉アルよ」 「……なんの肉だ?」 「? 畑でとれる肉アルよ?」 「大豆で作った代用肉ってことか……?」 「ダイズ? なにそれアル」 駄目だ、常識が通用しない。 そういうものとして扱うしかなさそうだ。 「このキノコは」 「それはデジタケアル。どこにでもある食用キノコアルね」 キノコは食用だということがわかればそれでいい。 味見すりゃいいだけだ。 「あとはデジマス、挑戦ニンジン、モンドレイクアル」 ……マンドレイク? 幻覚剤になる神経毒じゃねえか。こいつは論外だな。 しかし朝鮮人参とは中々のモンを使ってやがる。 デジマス……ってのはピンとこないが名前と姿形からして、おそらくマスの仲間だろう。 キノコと肉をひと齧りする。 キノコはシメジとも言えるような風味がして美味だったが、肉は豚だか牛だかよくわからない。難しい食材だ。 「──よし、大体の方針は纏まった。参考までに聞くが……、こいつらを使ってどんな料理をしてたんだ?」 「アル? みじんぎりにして弱火でじっくり炒めてたアル」 「……味付けは」 「なにそれアル?」 「…………」 言葉もない。 中華料理は高火力で短時間で仕上げるのが鉄則だってのに、こいつは。 それに味付けすらないだと。 この様子じゃ油通しも、鍋の“慣らし”すらしていなさそうだ。 『蓮鍋』・『泡油』・『鍋献』。 中華の基本を一つもしてないとは。 基本のキも出来てない時代のアイツを思い出しそうになる。 頭が痛いが、どうにかするしかないか。 店主に聞いても無駄そうだったので勝手にキッチンを漁った所、塩に醤油、調理酒と各種調味料が見つかったのは幸いだった。 あるにはあるが、店主に知識がないだけだったようだな。 さて、料理開始だ。 と、その前に。 「店主さん、あんたがこれからもこの店を続けたきゃ、オレの料理をよく見とくんだな」 「え? わ、わかったアルよ……」 未熟者に見て盗ませるのを忘れない。 これはもう身体に染み込んだクセみたいなものだ。 「まず食材を下ごしらえをする。マスはウロコを全て落とし、内蔵を抜き、軽く塩をして置く」 「キノコと朝鮮人参を微塵切りにし、油通し……『泡油』して加熱」 「肉は骨からこそぎ落とし、角切りにする」 「肉の方は……。なんでかこのまま食えるほど加熱されてるから油通しはいらねえ」 「マスを水洗いし、余計な塩を抜いて、出た臭みのある汁は捨てる」 「あ、あの〜……」 「? なんだ」 「なんでデジマスから汁が出たアルか……?」 「…………。浸透圧って知ってるか」 「なにそれアル?」 「じゃ説明してもわかんねえよ……。やり方だけ覚えときな」 「はぁ」 改めて頭痛がするが、続行だ。 「マスは表面の水を拭いて、ペーパーで挟みよく水分を抜いておく」 「その間に“詰め物”の準備だ。キノコ、朝鮮人参、肉を味付けして炒めていくぜ」 「まずは中華鍋に油をなじまぜ加熱し、一旦捨て、調理用の油を入れる。これが『蓮鍋』」 「そして食材を投入し、醤油、紹興酒、ニンニク、ネギ、輪切りトウガラシを和えた混合調味料……『鍋献』を投入して」 「大火力で素早く炒めるッ!!」 ここからは時間の勝負だ。 自然と語気も強くなっていくのを感じる。 「炒め終わったら別皿に移し粗熱を取る! 中華鍋にたっぷり油を入れて、揚げ物の温度にまで加熱! その間にマスの腹に食材を詰め込む!」 「油がいい色になったらマスを投入だ! カカカカーッ!!」 鍋がバチバチといい音を立て油がこれでもかと跳ねる。 問題ない。中華ではありふれた光景だ。 「アイヤーッ! アイヤーッ!」 店主は慌てふためいているが。 本当に大丈夫か、こいつ。 「おう出来たぜ……ゲッ!」 料理を皿に盛り店内に戻ったら、ほとんど灰まみれになっていた。 あのキグルミ女、まだ燃えていたのか。 「これで不味かったら解ってるでしょうね……!!」 「お、おう……」 思わず気圧されてしまう。 さすがのオレも燃えてるキグルミに平然と睨まれるのは人生初体験だ。 ともかく。 「“炸??三配菜(鱒の揚げ物三菜詰め)”だ! さぁ食ってみな!!」 「…………いいニオイはするけど、ただのデジマスじゃない? こんなの本当においし……」 一口食った。 ククッ。 食ったな。 「こ────これは!!」 「デジマスなのに臭みがまったくない! それどころか中身のデジタケと挑戦ニンジンで爽やかな後味すら感じるわ!」 「見た目が魚だからあっさり味かと思いきやこってりした肉の味わいもある! 巨大肉を小さく切った物を入れてあるのね!」 「それにこの食欲をそそる風味は何……!? ちょっぴり辛いのがやめられないとまらない!」 「うまーーい!!!!」 「カカカカカカカーーッ!! そうだろうそうだろう! もっと食え食えーッ!」 特に凝った“魔法”を使うまでもない。 あんなゲテモノ食わされた後だ。真っ当に美味いモンを食わせりゃ感動で咽び泣くのは確信していた。 一口食っただけでオレの勝ちは確定していたのだ。 「うわああああおいしいよおおお!!」 「カカカカーッ!」 オレはしばし勝利の余韻に浸っていた。 「いやぁ、旅の人助かったアル。あのままじゃワタシ焼き殺されてたアルよ」 「あたしも美味しいもの食べられて幸せ〜」 「……アンタ、さっきと性格違わねえか」 「あぁ〜、あたしお腹減ると乱暴になっちゃうんだよねぇ。身体も燃えちゃって」 「なんだそりゃあ……」 ワケの解らねえことだらけだが、とりあえず料理で勝った。 まぁ今はそれでいい。 それでいい……が。 「じゃ、あたしはこれで〜」 「ちょっと待ちな」 「え」 今後はそれじゃあ良くないな。 「一食の恩義って知らねえのか、キグルミ女」 「それを言うなら一宿一飯の恩義じゃ……?」 そんなこたぁ知ってるが、無視した。 「オレはいきなり見知らぬ場所に来て困ってるんだ。美味いもん食わせた恩返ししな」 「えぇ? あぁ、あなた、迷い込んだ人間?」 「迷い込んだぁ? その辺も詳しく教えてもらおうか」 「えぇ〜……、面倒くさいなぁ」 「オレに同行すりゃずっと美味いモン食わせてやろう」 「行きます!」 チョロすぎないか? 大丈夫だろうか、コイツ。 「あたしはチョ・ハッカイモン! よろしくお願いします美味しい人!」 「猪八戒だぁ……? だから豚のキグルミ着てんのか?」 妙なツレが出来ちまったが、こっちとしても願ったり叶ったりだ。 コイツが燃えていた時の火力……。あれがあればどんな時どんな場所でも極上の中華料理が出来るだろう。 そう考えると良いモンを拾ったと思えてくる。 此処が何処だか、なんでオレが迷い込んだか知らないが。 料理には困らなそうだ。 「カカカカ! 料理は勝負だぜ! カカカカーッ!!」 「急になにこの人……?」 オワリ