顎の力と踏ん張りの相関性についてはスポーツ医学の観点からも認められている。噛む力が強いと踏ん張りが効く、という話だ。 私がシュヴァルの観察(あくまで一人のライバルとしてね、勘違いの無いように)を続けていく内に気付いたのだけれど、彼女は食事中しっかりと咀嚼をしている、ということだった。シュヴァルのように口寂しさを紛らわすように食事をするタイプの人はむしろ、咀嚼がおざなりになるものだと思っていたからこれは意外な結果。もっとも、要するにそれがシュヴァルの強さにも繋がっているのだろう、とも思ったけれど。 なぜこんな話をしたのかって?ここからはライバルではなく、少し別の関係の話になる。 つまり、パートナーとしてのシュヴァルの話。二人の掌がお互いの肩から下まで滑らかに滑り落ち、明け方の六時まで共に一夜を過ごした日のことになる。シュヴァルは多分、無意識に私の肩に噛み跡を残した。ドーパミンとアドレナリンに掻き消された痛みは翌朝、二人で浴びたシャワーでシュヴァルが発見したものだった。 「?呀……これは勝負服から見えちゃうわね」 信号機のようにころころと顔色を変えるシュヴァルをよそに、私は笑った。 「ご、ごめんなさい……僕……」 シャワーから絶えず注がれるお湯が傷口を流すが、とっくにそこは塞がっている。ひりひりとした痛みだけが鳥の羽ばたいた後のように残るばかり。 「平気よシュヴァル。しばらくレースの予定もないんだし」 普段は帽子に隠した小さな耳を忙しなく踊らせ、彼女は私の肩を何度も撫でた。軟膏の塗られていない指先は、心を優しく満たすだけだった。 隠喩ではなく眠るため、二人は再び布団に潜る。先にうとうとするのはいつもシュヴァル。おぼつかない口調で寝言を呟き、もぐもぐと口を動かすのだ。 そして私は、その口元にたまにイタズラをしてあげるのが好き。曲線を描くように、左手の薬指を口元に当てる。日本語で薬指と呼ばれているのは、かつてこの指に塗り薬をつけていたことに由来するらしい。悪さをする口元に、薬をつけてあげようじゃない。 かぷり、と指の腹に歯が当たる。指先の第一関節までが唇に包まれる。本当はもっと深く噛んで欲しいけれど、気付いちゃうかしら。 いつかここに、指輪をつけるの。間違えないように、跡をつけておくからね。唾液に塗れた指に、仄かな歯形が浮かんでいた。 目が覚めたらシュヴァルはどんな顔をするだろう。次はこの指を握ってくれるかしら。指輪のかわり絆創膏を撒いてくれたり、なんてね。 「ふらうんひゃん……」 「ひゃっ!?」 指先をシュヴァルの舌が撫でる。背筋を走る慣れない感覚に慌てて指を引っ込めると、呆れたような瞳が私を射抜く。 「起きてる、よ」 心臓が早鐘のように鳴る。「ごめんなさい」という言葉よりも早く、シュヴァルは私の手を取った。 「クラウンさんに……怪我させたくない、から……」 寝ぼけているのか、言葉は相変わらず途切れ途切れ。けれど、シュヴァルは私の両手を包んだ。悪さをした指に、お仕置きでも与えるように。 「おやすみなさい、クラウンさん」 「おやすみ……ってシュヴァルー?」 これじゃあ眠れないのだけれど。私の言葉が届いているのかいないのか、彼女はただ、ほんの僅かに拘束を緩めただけだった。 どうやら私は、自分で思っているよりもずっとしっかりとマーキングされているらしい。 「【PR】お楽しみ中のそこの二人に朗報よ。汗などで湿った布団はシャワー中に布団乾燥機をかけるとふわふわになるわ。特別な夜をもっと特別に過ごしたい二人にも布団乾燥機はおすすめね」 >どうして急にPR始めたの… 【PR】ヤることをヤった後の湿った布団とふわふわのあったかい布団のどちらで眠りたいかしら?結果は火を見るより明らかよ。愛する人と眠る時間は、いつだって布団乾燥機が最高のものにするわ【PR】 「シュヴァルグランちゃーん?」 シュヴァルはやはり返事をしない。どうやら拗ねているようだった。時折、指先が手の甲をいじらしく撫でる。 「……シュヴァル?」 「……あの、クラウンさん。……その、僕、えっと」 どうやら、シュヴァルはシュヴァルで別の戦いをしているらしい。両手を塞がれたって逆転はできるだろうけど、あんまりからかいすぎるのも悪いだろう。私たちはこんな夜をきっと、これから何度も繰り返すのだから。 「聞かせて、シュヴァル」 どうやら、シャワーを浴びるには早かったらしい。両手にふっと風が抜けるような感覚が走る。温もりを失った十の指は途端にシュヴァルが恋しくなった。 「あの……寝る、前に……」 頬を指が撫でる。熱い視線が混ざり合う。無粋だろうと目を閉じ、返事を待つ。 「見つめていたくて。……クラウンさん」 えっ……? 「大好きです」 あぁ、私の負けみたい。唇にそっと、シュヴァルの指が乗る。