「ご褒美に、トレーナーさんの時間を頂きたいんです。その……」 デートというか。そう、デートをした。 意識して2人きりで出かけた春先の街並みはとても浮ついて見えたし、彼女──サイレンススズカもまた、随分楽しそうにしていた。 手を繋いで街を歩いて、悩んだ挙句普段とそう変わらない食事をした。 ──そして今は、彼女にすっかり組み敷かれている。 寮の前で解散するつもりが、わざわざ部屋についてきたのだ。 もう夕方を回っている。門限まではあっという間だろう。そう諭そうとしたが、たった一言、外泊許可を取ったとだけ返された。 走る事に至上の喜びを感じていると思っていた。彼女にとって、走る事が全てなのだと思っていた。 気付けば、生まれたままの姿になったスズカに腕を取られて押し倒されていた。 あの時、陶磁器のように思えた細腕が。あの日、握り返せばそのまま砕けてしまうかに思えた手指が、今はこちらの腕を、圧倒的な力でもって押さえ付けている。まるで、頂点捕食者であるかのように。 そんな様子とは裏腹に、じっと合わせていた目が、先程までギラギラとしていた目が、だんだんと蕩けていく。色づきやすい頬が、あっという間に紅潮していく。色っぽい表情に、思わず息を飲む。 正直に言えば、劣情を感じていた。薄い身体も、細い手足も、美しくて、それでいて性的に感じた。目の前で起きている出来事を止めるべきだと考えるのと同時に、やり場のない劣情を抑えるのに必死だった。これ以上は、理性が怪しいと感じるほどに── とにかく何か喋ろうと考えるより先に、うっかり身動ぎしてしまう。少し緩んでいたスズカの手が、またしっかりとこちらの腕を押さえ付けた。 「ダメですよ、トレーナーさん。私はちゃんと、トレーナーさんの時間を頂いたんですから……♡」 反論をする口を、彼女の唇が塞ぐ。それと同時に、離れた右手が下腹部に触れていた。 台所に立つトレーナーさんは、随分慣れた姿をしていた。その後ろ姿は、独り身が長い事や、実家にいた頃は間食のつもりで料理をしていた事、いい歳なのに作りすぎる事────他愛ない話を、ぽつぽつと語ってくれた。私に対して、妹か娘か、家族のように接していた事も。 そして、気付けなかった事に対する謝罪も。 ────初体験は、結局破瓜の痛みと内臓を押し上げられる感覚に耐えられないだけであった。 頑張って押し倒したのに、いつの間にか人並みにすら力の入らない身体をすっかり抱えられてしまった。 その後はただしばらく、ゆっくりと流れる時間の中で、何度も口付けを交わして、何もせずに終わった。 ただ、いつかまた続きをしようと、約束はしてくれた。 遅い夕食の香りが、鼻をくすぐる。トレーナーさんの部屋に居るこの瞬間が、まるでワンルームの二人暮らしのようで、やたらに幸福感を煽られた。 --- 「あの、トレーナーさん。ご褒美……」 そう言うとスズカは、ぴたりと身を寄せてくる。 ああ、と頭を撫でながら頷き返し、周囲の目を気にしながら彼女の唇を奪う。 ゆっくりと、時間をかけた、ただ唇を重ねるだけのキス。 ────最初は、お菓子や外出をご褒美にしていた。それが気付けば、ご褒美のほとんどはこればかりになっている。 手のかからない事だとも思うが、最近は──── 「……あの、もう一回……♡」 少し、時間を取るようになってきている。 パフォーマンスは未だ衰えを知らず、むしろこうなる以前よりもさらに増している。周囲の感情も、羨望や尊敬の中に畏怖すら混ざるほどだ。 であれば、これくらいはお安い御用だと思う。正直、こうしている時間は嫌いじゃない。 そんなある日、トレーニングを終えたスズカが意を決した表情でこちらに向かってきた。いつものように頭を撫でようとすると、がっしりと手首を掴まれてしまう。 どうしたのかと面食らっていると、彼女の口から 「今晩、トレーナーさんのお部屋に伺っても良いですか」 と、珍しい声が飛び出した。思えばあの日以来、スズカは一度も部屋に来ていない。 構わない旨を伝えると、手首を掴んでいた手が解けたので、彼女の頭をいくらか撫でて、ひとまずその場は解散とした。 「は、ぁ゙、ぃ……は、あ、あっ♡」 2度目の訪問は、互いの意見に相違なく進んだ。 彼女のポーチからゴムの箱が出てきた時は少し驚いたが、意識のあるのは良い事であると改めて褒め直した。自分でも用意はしていたのだが。 「とれ、なー……さん♡、たぶん、全部、はい゙っ♡」 少し浅めの胎の、奥にぴたりと収まる感覚を覚える。彼女の言葉とは違って全部は収まらなかったが、些末な事であると感じる。 触れば割れそうな細腰が、男を受け入れているとは思えぬほど薄い腹が、薄いながらに主張する胸が、竹筒ほどしかないように見える細い首が、全てが劣情を煽る。 なにより愛する相手と繋がった事それ自体に、互いに果てしない快感と、充足感を得ていた。 ふと気付くと、スズカの手が首の後ろへ回っている。 日頃は少し遠慮のない、力強いタッチで触れてくる彼女の手が、人並みよりもはるかに弱々しく、ゆっくりと抱きついてくる。 その手に促されるように、応じて身を寄せると、唇を奪われる。 全身で繋がるかのような感覚が、互いを溶かしていくようであった。 --- 思えば、ずうっと頑張らせたと思う。 不調をおして走った事もあったし、怪我をしたあとも治り次第頑張って走ったわけで。 トゥインクルシリーズを駆け抜けて、それから更に2年余り走った私の脚は、ついに限界を迎えたと診断された。元より細い身体であるからか、脚以外の部分にも過負荷がかかっていた事も。 トレーナーさんは診断を受けた本人よりも走れなくなる事を悲しんでいたが、貴重な才を惜しむような陳腐な理由ではなく、走るのが好きで好きで仕方なかった私の為だと分かっていたので、嬉しかった。 もちろん、かなり落ち込んだ部分はある。自分にはこれしかないと思っていたし、取り上げられる事となった今、かなり悩んでいる。 ────私のトレーナー業務が終了した今、トレーナーさんはいずれ別のウマ娘のトレーナーになるだろう。 聞けば、実績を買われてチームトレーナーになる予定があるらしい。 私自身もトレーナー資格は勉強をしているし、その道については重々承知の上だが、自分が教える側として不向きな事は最初の3年で十二分に理解していたので、学園側からの誘いは蹴っていた。 思えば、揃いも揃って走る事しか考えていなかったような気がする。将来の事など、考える暇もなければ考える気もなくて。 急に暗くなる道筋。いつもなら、走れば解決していた行き先。 気づくと、送ってもらっていた車は学園前に着いていた。 どれほどの付き合いがあっても、結局は別れが来るのだと、そう思ったその時。 運転席から振り向いたトレーナーから、大封筒を渡された。 中にはトレーナー用のガイダンス書類に、サブトレーナーの契約書。 そして、片側に押印まで済んだ婚姻届。 「向こう側の景色の先で待ってる」と、ずっと、最初から言ってくれていたトレーナーは。 果たして、その言葉をずっと守ってくれていて。 車から降りた瞬間、思わず抱きついた。 封筒の表面には、大粒の涙の跡が残っていた。 --- 引っ越しをする事になった。 とは言っても、私は寮からトレーナー寮へ、トレーナーは上の階へ越すだけである。 いくらなんでもワンルームのシングルベッドに2人で寝るのはあまり身体によくないので、空いた角部屋に越す事にしたのだ。 しかし、見慣れた建物とはいえ新居は新居であるし、買わねばならないものも多い。 今まさに家具屋に来ているのもそういった事情からで、私は元トレーナーであり夫となった彼と、ベッドを眺めながら首を捻っている。 現在の議題、「シングルベッドを2つ並べるのか、素直にダブル以上のベッドを買うのか」は平行線を辿っていた。 ────やや寝相が悪く、身体の負担を考えなければならない私とごく普通の健常な成人男性では必要なものに差があるのは当然で、分けて買うべきとしたのは私である。サイズが上がると飛躍的に値段が上がるのもあまり気にくわない。 それに対し、夫の意見は一緒に寝たいならその分くらいは払うというものであった。 正直なところ、並んで寝たいのは確かである。ここで折れればなんの事はなく目の前のクイーンサイズのベッドを買って終わるだろう。しかし、最初に言った意見が正しいと感じる頑固な自分が、硬く口を閉ざしてしまう──── こうして平行線となった議論はもうじき30分を迎えるが、夫は全く嫌な顔をしない。 思えば、彼は私のトレーナーであった時からずっと、意固地になった私と向き合ってくれていた。彼は彼で頑固だが、いつだってお互いが納得するまで、お互いが素直になるまで言い合ってくれた。 その時、ふと腹の虫が鳴いた。時計の針は、正午を30分ほど回っている。 腹の虫に気付いた彼が、くすくすと笑う。 「トレ……あ、あの、えっと……。お昼にしませんか、ね?」 そうだね、と笑う彼に、頭を撫でられる。 素直になって戻ってきた寝具コーナーで、クイーンサイズのベッドを注文した。 --- 新人たちと話す彼は、とても活発な表情をしていた。 やはりトレーナーという仕事が彼には向いているようで、私の実績によってその優秀さにも箔がついた彼は、様々なウマ娘たちに囲まれながら、すっかり仕事の顔に戻っている。 そう、優秀だ。私の夫は、大変優秀で──── 人気者になった彼の横へ、ぐいと割り込む。 「優秀さが全てじゃないんですよ。ねえ、トレーナーさん?」 と、作り笑顔で話しかけると、その腕を引っ張ってぐいぐいと人混みから引き剥がしていく。 校舎の裏まで引っ張った辺りで解放すると、それまで押し黙っていた彼は一言、ごめんとだけ口を開いた。 分かっていた。彼がはっきり言って、トレーナーという仕事に対して狂っているタイプだと。 さっきも、あれだけ囲まれながら一人一人きちんと見て、抱え切れるかを考えていた事を。 それに対して、少し嫉妬してしまった事を。 「こちらこそ、ごめんなさい。仕事の邪魔をしてしまっ────」 言うより早く、抱き締められた。 彼には分かっていた。見なくとも、言わなくとも、私の事を分かってくれていたのだ。 ────その日は、いちご大福を買って帰った。 翌日、やはり彼はウマ娘たちに囲まれていた。 その横に、私を置いて。 新人たちに私を正式なサブトレーナーとして紹介しながら、一人一人に応対していく。 そのうち私の方も、様々に質問の来る人気者になっていた。 「スズカ先輩ってどうやってトレーナーと出会ったんですか?」 あるウマ娘が、質問を投げかけてきた。 それはね────。夫婦で見合わせた顔が、少し綻ぶ。 懐かしさと青さを感じながら、あの頃を語った。 --- ────元来、主張が激しいタイプではないと言われてきたと思う。 スズカの時は、彼女の見たい物を、彼女の出来る走りを追求させてきたので、見守る立場、言わば保護者がちょうど良かった。要は、これでよかったのだ。 今はどうか。6人の新人を擁し、それぞれに合った形でコミュニケーションを取らなければならない。型にはめてやる教育とは正反対の事を長いことやってきた自分には、なかなか酷だ。 もちろん、自分と比較的合ったウマ娘のみでチームを編成しているのは確かだ。比較的我が強く、特徴的な走りをする子が多い。 しかしそれは裏を返せば社会性に欠けるとでも言って良いもので、チーム結成からしばらく経つ今、ついに練習をサボるやつが出たというのが現況である──── 「併走しましょうか。芝1600、こっちの事は考えなくても大丈夫ですよ」 なんとか全員を連れてきたスズカが、夕暮れの太陽を背にそう告げる。 脚を理由に引退した彼女にとって、ターフは離れて久しい場所だ。 ────私が併走すれば、みんなやる気になるんじゃないかなって。そういうタイプに思えるんです。彼女はそう言った。 正直、トレーニングとはいえ彼女をコースに出すのはどうかという躊躇いはあった。決して無理をせず、2000以上は走るなという厳命をくだしても尚、不安は拭えないものであった。 これで万が一があれば、サブトレーナーとして連れてきた自分は何を背負うか。彼女に、何を背負わせるか──── 気づくと、ゲートの開く音がする。 最盛期とは比べ物にならないほどタイムを抑えた走りのスズカが、新人6人を寄せ付けぬ走りでコースを回っていく。 まるで追い付けぬ背中。手を抜いた彼女にすら追い付けない事に、新人たちは絶望と希望が混ざった目で追走していく。 果たして、コースから帰ってきた7人は皆一様に明るい面持ちをしていた。 「まずは私と併走出来るくらいになってくださいね。トレーナーさんの言う事を聞けば、間違いないですから」 にこやかに語るスズカを前に、思わず苦い笑いをこぼす。 この後、スズカがさらにスパルタな教育をしようとするのだが、それはまた別の話──── --- 正直、甘く見ていた。 現役を退き、サブトレーナーとしてのセカンドキャリアに入った自分が、これほどまでに動かないとは思わなかった。 トレーナー業とは事務仕事と監督がメインであると気付いた時には、もう既に遅く。 夫が大変アクティブなだけだったと知ったときには、下着がキツくなっていた。 5kg。細身の私にとっては、歩くだけで分かる重さである。 幸い、下着や肌着が少しキツいだけで収まっている。新人と一緒にある程度のトレーニングをしていた事と、元々細身ながらに筋肉質だったので、体型には大きく響いていない。 なにより、顔が太らないのでバレていない。 ────しかし、夫には脚を見た瞬間にバレた。 全ては現役時代と同じペースで食事をした事が原因であるため、食事制限から始めたのだが、いざ減らし始めると同僚達が死ぬ程食べていた心理が理解できるほど空腹に見舞われる。 夫は今くらいが良いよ、と笑ってくれているが、甘えればただでさえ悪くなった脚に響くだろうという直感があった。 昔のように動いて減らす事は難しい。少しずつ、少しずつ減らす事を心がける──── そんなある時、夫がケーキを買ってきた。 減量中である事は再三伝えたはずなのに、わざわざ2人分、少し多く買ってある。 在りし日の後輩ではあるまいし、そんな嫌がらせをするかと少し不機嫌になりかけた時、夫は「たまには食わないと痩せなくなる」とデコピンをしながらこちらに笑いかけた。 失念していた。そもそも、現役時代はちゃんと食べていたのであまり気にしていなかった概念だ。 久しく食べていなかった甘さ。目にも楽しい、スイーツの味。 ────2週間後。少し緩くなったスカートを履いてホッとする。 食事の量も、少ない事にようやく慣れてきた。 なんだかんだ言ってもトレーナーとしては腕利きの夫は、今後も体重管理には付き合うと言ってくれた。 その上で、たまには甘い物を食べようとも。 あの日の同僚達の努力の一端を、知る事が出来る事件であった。 --- 確かに、結婚はしている。 左手に光る結婚指輪に、籍を入れた際に取った住民票、家族扱いで取り直された自動車保険の書類────様々なものが、その結び付きを証明する。 ただ、それ以外に何かしたかと言われると、引退直後の忙しい合間を縫って互いの家族を集めて行われた結納&引退式くらいなもので、それも大層慌ただしいものであったのは記憶に新しい。 ────そう、結婚式を挙げていない。 「無理に式は挙げなくていいからね」と、夫の両親は言ってくれたが、こちらの両親からはやはり式を挙げない事についてそれとなく不満が出ているし、私にもウェディングドレスを着たいという感情が存在する。 その点、夫がとにかく不明瞭である。 私が挙式したいと申せば二つ返事で準備をしそうな雰囲気こそあれど、本人がどう思っているかが分からないのだ。 実は派手なものを嫌うのか、結婚式を不要と考えるタイプなのか、全く分からない。もしかしたら、あまり仲の良くない親類でもいるのかもしれない。 それとなく聞こうにも、自分が口下手なばかりに何も進展しない。 そんな悩みを抱えたある日、トレーナー室で夫が雑誌を読みふけっているのを見かけた。 熱血仕事野郎と言って差し支えのない彼の読むものなど知れているので気にせずに居ると、こちらに気付いた彼の動揺を感じる。 慌てて閉じたその雑誌はウェディング誌で、男性が買うには少し、いや、かなり浮いた表紙のものであった。 「それ、誰から……」 思わず、疑いが口を突いて飛び出す。 夫が渋い表情で、ぽつりと答える。 コンビニで買いました、と。 綺麗なドレスを着せたかった。スズカなら多分、白無垢だろうと豪奢なプリンセスドレスだろうと似合うだろうから、目一杯着せたいと。 どんな結婚式なら喜ぶだろうかと悩んでいた、と──── そういえば、現役時代も始めの頃はディスコミュニケーションで失敗した事があったなと思う。 そうか、結婚生活とは、第二のスタートだ──── 「私っ!……あっ、結婚式は、大きくなくても良いですから……」 てれてれと、頬を染めながら夢を語る。 その日の夜は、式場選びに費やした。 --- 付き合いを自覚した頃なら、間違いなくきちんとパジャマを着て、浴室を出たであろう。 実際、結婚前は比較的きちんと着ていたと思う。 比較的と言ったのは、あらゆる事象をすっ飛ばしてぼたぼたと水滴を垂らしながら素裸で出た事が2度ほどあった為で、この時は現在の夫が慌てて飛んできて止めたものと覚えている。 今はすっかり油断して肌着姿で廊下をうろつくに至っており、これについて夫も特には言及してこず、たまに既往歴のある左脚と足首を触っては満足げな顔をしている程度である。 結果として、寮で暮らしていた頃よりもかなり油断していて、今日はついに浴室に換えの肌着を忘れてお風呂に入ってしまった。 気付いたのはお風呂から上がって身体を拭いている最中で、でも仕方ないか、と思うに至るまでに時間は然程かからなかった。 仕方ない。仕方ないので、裸で居間へ躍り出た。 バスタオルくらいは巻けば良かったのでは?と後から気付いたが、今更そんな関係でもあるまい。裸なんて婚前婚後、なんなら競技中にトラブルがあった際にも見られているのだ。 いつだって綺麗だと、美しいと褒めてくれた身体だ。恥じらう事などない────などと、ちょっと自信たっぷりに居間を横切ろうとした時、書類を見ていた夫がこちらに視線を向け、そのまま目が合った。 逡巡。珍しく夫が固まっているので、こちらまで足が止まる。 そして次の瞬間、なんと夫が恥ずかしそうに目を背けた。 「えっ、なんで……」 思わず疑問の言葉が出る。それと同時に、急速にこちらまで恥ずかしくなるが、生憎バスタオルは既に洗濯機に放り込んでいる。 いっそ見られている分にはこうはならなかっただろうに、なぜそんな反応をしてくれたのだ──── ────後から聞くと、湯上りで妙に色っぽく見えたのだと答えてくれた。 温まって色付き、少し湿った肌。濡れた髪に、潤む目が。 普段から毎度そうってことはないのにね、と恥ずかしそうに答える夫に、こちらもやはり恥ずかしくなった──── その日の夜は、普段より薄着で布団に入ってみた。少し恥ずかしそうでぎこちない夫の反応が、なんだか新鮮だった。 --- 雨の日が憂鬱でなくなったのは、いつからだろう。 昔はあんなに嫌いだった雨も、今ではちょっとしたBGMのように感じる。 もちろん、好きではない。外に出るのが億劫になるし、あまりに酷いと節々に倦怠感が伴う。 それでも、嫌がるほどではない。 ────雨の日の朝は、いつもより長く抱きしめて貰える。 布団の中でぴったりと身を寄せ、足を絡め、まるでひとつの生き物のようになる。 互いの心音が、頭を撫でる手が、体温が、全て心地良い。 休みの日であることも手伝って、完全にべったりと甘えていると、夫の吐く息がだんだんとはっきりしてくる。これは────うん。寝息だ。頭を撫でる手がだんだんと緩慢になったあたりでそんな気はしていたが、二度寝に入っている。 得も言われぬ幸福感に、こちらもゆっくりと目を閉じる。 次に起きた時は、正午を迎える少し前であった。 すっかり二度寝をした身体は、スッキリとした感覚と倦怠感を同時に抱えている。 はて我が夫は、と左手をぱたぱたと動かすと、そこに居るはずの夫が居ない。ふっと湧いた不安感が、居間から聞こえる物音にかき消される。どうやら、先に起きていたようだ。 はてこの音は。まな板に包丁が当たる音。ガスコンロを点ける音、冷蔵庫が開く音────昼食を作る音だ。 雨の日は決まって、夫が大半の家事をこなしてくれる。 機嫌を取る意味もあるが、一時期は現役時代のダメージが疼痛となって現れるのを休ませてくれる意図もあった。 ゆっくりと起き上がり、居間へ向かおうとすると、部屋の境で夫と鉢合う。 少し見合って、少し笑って。手を引かれながら、居間へ向かって。 ────雨の日が嫌いだった。けど、今は違う。 まるで太陽のような男が、私の心を晴らしていた。 --- ようやく挙げた結婚式は、それはそれは見事なものになった。 ホテルのフロアを貸し切って挙げられた式には、親戚一同勢揃いしたのはもちろん、学園関係者が詰めかけ、様々な形で私たちを祝福してくれた。 なんといっても凄まじかったのは学園名物の理事長で、祝電のみをよこしたかと思いきや、無粋な真似はさせないとメディアを全て締め出す手配をしてくれていたのだから驚きの一言である。 他にも、式場に断りを入れたとはいえ外でいきなりバーベキューセットを広げ始めたタイキ、年月が経ちすっかり毒気が抜けてごく普通の繁栄長寿のお守りを持ってきたフクキタル、来た瞬間から泣いているスペちゃん────みんながみんな、幸せを願って、祝ってくれる。 しばらくぶりの祝福ムードにあてられながら新婦席に座っていると、大柄な影が横に立つ。 それは、少し前までバーベキューセットの前で大暴れしていたタイキシャトルだった。 彼女にしては珍しく、小さく手を振りながら静かにこちらに話しかけてくる。 「向こう側の人払いは済んでマス、だから、ネ?」 フロアの外を指差しながら、彼女は小さく微笑む。 そういえば、昔もそんな事があった。溌剌として、周囲を振り回すタイプに見えて、意外と気配りに長けた彼女に、しばしば助けられたものだ。 「後で、お礼するから」 と、夫と共に小さく頭を下げると、 「ノー!主役に楽しんで貰う努力に、リターンなんて望んでまセン!これはパーティのベーシック!だから…後で幸せな顔、見せてくださいネ」 などと、なんとも彼女らしい理由で捲し立てられる。 さあ行った行ったと言わんばかりに背中を押され、フロアの外に出ると、確かに人が居ない。 なんだか他人事のようになった祝宴の喧騒を背に、改めて晴れ着姿で互いに見合う。 「────────」 静寂。揃いも揃って、言葉が出ない。何か言おうとしたけど、もう何も言えない。 感無量とはこの事だろうか。ただ大きな感情が、胸を埋め尽くしている。 スズカ、と呼ぶ声にふと気付くと、両手を握られて、じっとこちらを見つめられている。 きゅ、と手を握り返す。目を閉じて、少し上を向いて──── 唇が離れた時、やけに静かに感じた。 フロアの方に目を向けると、そこにはこちらを覗き見る、かつての学友たちの姿があった。どうやら、静寂は気のせいではなかったらしい。 次の瞬間、彼女らの視線はタイキの方へ集中した。 ────後で幸せな顔、見せてくださいネ。 イタズラっぽいところも変わりなく。どうやら、一杯食わされたらしい。 怒りとも恥じらいとも言えない、なんだか不思議な、笑ってしまうような感情の中で、彼女たちの方へ身体を向ける。 「……ねえタイキ?私の1600mの最終タイムっていくつだったと思う?」 「い、いっぷん────」 次の瞬間、私はヒールを脱ぎ捨てていた。 笑顔と、涙と、祝福で満ちた結婚式。 この日の事は、きっと一生忘れられないなと感じた。 //以降は上記の間にあった感じで書いてるんですけど //後から後から書くせいでじわじわ矛盾してます トレーナーさんはいつも優しくて、それは情事の最中であろうと崩れた事はないのだけれど、それが良いか悪いかで言うと一長一短で、たまには強く求められたいという気持ちもなくはなくて。 この間もちょっと乱暴にベッドへ押し倒してみたら、こちらが力を抜くまではあんまり身動きをしなかったし、以後は優しくリードしてくれて、結局のところ嫌なわけじゃないのでどうしようかなと思っていたら、それが悩みとしてじわじわ大きくなってしまって。 初夜もその後も、きっとトレーナーさんにとっては恋人である以上に生徒なのかなと思うとなんだか苦しくて、もっと女性として見て欲しくなってる自分が居て、それが卑しいのは分かっているから、やっぱり辛かった。 スペちゃんと買い物に行った後、そんな悩みをうっかり口にしてしまったら、最初は飲んでいたお茶を噴き出すまいと飲み込んでむせていたけれど、落ち着いてからは意外に先進的なアドバイスをされてしまって、そんなつもりはなかったのに、すっかり恋路の師匠と仰ぐような形になって、なんだか普段と逆だねって笑いながら、その日は帰った。 ────さて、アドバイスの内容とはなにかというと、どれほど相手を煽れるかというもので、スペちゃん曰く「男の人って手に付いた精液舐めとるのとか意外と好きみたいですよ」「たまには口で焦らすべき」ということらしく、そもそもトレーナーさんのものを舐めたりとかした事も、求められた事もなかった私はただただ目を丸くして聞くばかり。 知識としてなかった訳ではないけれど、それが効果的であるとは知らず、そんなに好かれるシチュエーションであると知ったら試したくなるのが私という女の女心。 早速帰ってシャワーを浴びて、外泊許可を取ろうとすると、そこには先に出かけようとしたスペちゃん。 「あ、ああ、ソチラモデスカ……」 なんで片言なのスペちゃん……。 まあそういう事があったり、寮長から笑われたりしつつ、トレーナーさんの部屋に行くと、何も知らないトレーナーさんはいつものように優しく迎えてくれた。 いつも優しいトレーナーさん。私のことをずっと大切にしてくれたトレーナーさん。 ごめんなさい、私は貴方に、ただちょっとだけ、目一杯愛して欲しいだけで──── 無理しないでと言われながら飲んだ精液はあまりにも苦くて、けど嫌だったかと言われるとそうではない不思議な味で。 目論見通り情欲を焚き付ける事には成功して、その日は大変燃え上がったけれど、いざそうなると想像を遥かに超えてトレーナーさんの体力がある事に気づいてしまった。 何度も何度も揺さぶられながら、都度ゴムを変える姿に、3度目の時点で「危険日なら2週間は先ですよ」とうっかり言ってしまった事は、反省点に挙がると思う。 果たして、翌日が休みとは言え夜更けまで求められた事については、とても嬉しかったけれど、トレーナーさんの優しさを尊重するのも悪くないかなと思わされる出来事だった。 --- レース場から出た私が、ただの寂しがり屋のウマ娘である事をトレーナーさんはよく理解している。 控室で強く抱きしめてくれて、満足したらご褒美のキス、手を繋いで外まで出たら、レース内容をひとつずつ褒めてくれる。 車に乗ったらもう一度だけ、ご褒美のキスをしてくれて、それでひとまずわがままなスズカ様のターンは終了する。 私はこの、トレーナーさんを独り占めしている瞬間がたまらなく好きで、卑しいとは分かっていても、必ず要求してしまう。 特に最初のハグとご褒美のキスだけは欠かせなくて、この時トレーナーさんの身体に顔をぐりぐりと擦るのがとても好きなのだけど、まるで犬猫のようでどうかなと思ったりもする──── そんな、レース後のやり取りやトレーナーさんとの付き合いの事を部屋でスペちゃんと話していると、なんとスペちゃんはそのまま近場で一泊する事があるという。 関西はともかく、中山なんて近いのにどうして、と聞いてみると、「その方がご褒美が多いから……」という答え。一体どんなご褒美が、と聞くと、それはもう一晩中────。 優しい優しいトレーナーさんだから、スペちゃんのところのように一晩中とはいかないだろうけど、普段と違う場所で夜を過ごすのも悪くなさそうに思えた私は、早速レースのある日にホテルを予約。 少し気合が空回りする心配もあったものの、そんな心配は杞憂に終わって、当日はなんとレコード勝ちを収めてしまって。 いつも通りにご褒美を貰う前に、 「近くにホテルを取ったんです。今夜はその、帰りたくなくて……」 トレーナーさんの手をきゅ、と掴んでそう訴えると、今回だけだからなと釘を刺されてしまったけど、なんとか一晩をものにできた。 シャワーを浴びて部屋に戻ると、先にシャワーを浴びたトレーナーさんは日報を書いていた。そうよね、真面目な人だもんね、と思いながら、後ろから抱きついた、その時。 トレーナーさんはそれまで持っていたペンを放り出すと、ぐるりと身体ごとこちらに振り向いて、そのまま私の体を抱きすくめて。 火照った体を抱くトレーナーさんの手が、背中を滑って、腰を抱く。 今日はさぞ情熱的であろう。そう期待しながら、 「あの、ご褒────」 ねだろうとする前に、口を塞がれる。 今まで味わった事のないような、貪るような口づけに、頭の中をぐしゃぐしゃに乱されてしまって。 気付いたらベッドの前にいた私は、そのままゆっくりベッドへ寝かされて──── ホテルに誘ったのも、稚拙な煽りを繰り返したのも私だけれど、その夜は特に激しくて。 危険日とは程遠い事と、競技者として、何よりその方が症状が軽くて楽という理由でピルを服用している事から「生でも大丈夫ですよ」なんてうっかり言ってしまったから、余計に休みなしの連戦になったし。 息も絶え絶え、こっちの方が限界なのに「もう出ちゃったんですか?」なんて煽ったばかりに、完全に潰れるまで抱かれる事が決まってしまって。 気付けば空も白む時間になって、互いの身体が朝日に照らされた時、ふと我にかえって、そこでようやく打ち止めになった。 ふと、また来ますか、と聞いたら、今度は別なところに泊まろうって言ってくれて。 レースの日のご褒美が、また楽しみになった。 --- スペちゃんはその屈託のない人柄で交友関係が広く、新入生から私を含めた上級生まで様々なところと付き合いがある。 特に同級生との仲が親密である事は話の端々から窺えるもので、たびたび話題にも上がる。 今日も聞こえてくるのは、トレーニング中あった事、トレーナーさんとの関係、デート、情事、同級生とのやり取り、その中で聞いた夜の話──── どうやら私はかなり遅れているようで、奥手なタイプと認識されているらしい。 言われてみれば、今や師と仰いでいる状態のスペちゃんは後輩で、そのさらに下の学年の子の方がよほど進んだ関係にあるという話をいましがた聞いたばかり。 子供っぽいところのあるタイキですら、いつの間にかトレーナーと深く関係を持っていて、しかもそれをスペちゃんの口から又聞きで知る始末。そういえば10日ほど帰省で姿を見なかったが、トレーナーと一緒に行っていたなんて聞いていない。 けれどもここはうろたえない。自分のペースで走らないといけないのは、レースも恋路も同じ。ここで急いでしまっては、あの日の盛大な逆噴射と同じ過ちを犯す。 でも、ちょっとくらいは踏み出さないと、遅いままなのも確かだから──── 我ながら似つかわしくない黒の下着に、薄手のネグリジェ。 スペちゃん達と選んだ"勝負服"は、正直言って恥ずかしいというレベルを超えている。 こんな格好でトレーナーさんの前に……、いや、行かねば戦いは始まらない。 意を決して風呂場の扉を開くと、ベッドでくつろいでいたトレーナーさんと目が合った。トレーナーさんは私の格好を見て、目を丸くしている。 ごめんなさいトレーナーさん、なんだかはしたなくて……。そんな気持ちが頭を駆け巡り、すぐさま普段の寝巻きを着ようか悩んでいると、いつの間にかトレーナーさんが私の目の前に立っていて──── その日の夜の事は、多分忘れられないと思う。 "勝負服"について誰に吹き込まれたか詰られ、まるでなにかを上書きするようなじっとりとした情事。 胸の先端を、胎の浅い位置を、節張った指が意地悪にこねて。何度も何度も、酸欠になるほど繰り返されたキスの味が、脳髄まで支配していく。 背筋から指先まで甘い痺れが走り、脚の震えが止まらなくなる。 ごめんなさい、私はただ、トレーナーさんに喜んで欲しかっただけで──── 目が覚めたときには、普段から着ている洗い晒しの寝巻きを着せられていた。 階段を飛ばして登るのは、ほどほどにしようと思った出来事だった。 --- 包みを広げて中身を改めると、布地の少ない、原義通りの機能を全く果たさなさそうなビキニが入っていた。 スペちゃん曰く、「スマートな方ほど似合うんですよ!」との話だが、いや、これは、流石に……。 目の前で間違いないんです、という顔をしているスペちゃんに、流石に無理なんじゃ、と困った顔で返すと、 「前回も上手くいきましたよ!だから間違いないんですよ!」 と押し切られてしまった。 確かに前回の勝負服作戦は、結果的には燃えた。珍しくじっとりとしたトレーナーさんも見れて、悪いものではなかった。趣味とは離れていたみたいだけど……。 ひとまず受け取って、どう着用するか考える。 下着代わりに着ける?それはちょっと。 ベッドの上で?それも天丼めいているような。 ……お風呂? トレーナーさんがお風呂に向かったのを確認して、服を纏めて脱ぎ去る。そうしてから、貰った水着を着用──── 隠すべき場所がギリギリ過ぎて、やっぱりちょっとダメだと思う。こんなの、スペちゃんはどこから手に入れて来るのだろう。 こんな格好してていいのかな、いやよくないんだけど、どうしよう。しばらく逡巡。 ────よし。行こう。 腹を括って浴室へ入ると、まだシャワーを浴び始めたばかりのトレーナーさん。 戸の開く音に気付いて、こちらに振り向こうとしたので、慌てて 「こっ、こっち向かないでくださいね!」 と、柄にもなく声を張り上げてしまう。 いや、見てもらわないと意味がないのに。意味がないのに! しばらく硬直した空気をひとまず脱そうと、シャワーヘッドを引っ掴んでトレーナーさんの背中を流そうと画策する、が。相手と行動が被り、またも硬直してしまう。 気づくと、トレーナーさんがこちらを振り向いていた。ああ、見られてしまった。 下を向くと、湿気にあてられて透けた水着をつけた、自分の身体が映る。そんな気はしていたけど、こんなの着けてどうしたら良いの……。 その時、トレーナーさんの手がこちらの手首を掴む。 ずいと立ち上がったトレーナーさんは少し、いや、気炎万丈といった雰囲気。 わざわざはしたない格好をしている時の私がどういうつもりでいるのか、いい加減にバレているらしく。抜き身の姿でいるトレーナーさんの下腹部から、目が離せなくなっていく。 ごめんなさいトレーナーさん、私、サイレンススズカは、自己管理の出来ないダメなウマ娘です──── 浴室で行われた情事は、物珍しさも相まって互いに随分興奮させられた。 洗い流すのも手間がないが、のぼせる危険性と隣り合わせでもあって、茹で蛸手前になった私たちは夜風に当たりながらしばらく横になる事となった。 --- トレーナーさんは手を繋ぐのも人前で私をお姫様抱っこするのも厭わない割に、意外なものに恥じらいを見せる。 それは私の私服を見繕っている時で、女性向けの服売り場に居る間、彼は大層居心地悪そうに黙っている。 私だって乙女心があるから、季節ごとに服を見繕うのは楽しみのひとつ。ただ、トレーナーさんの珍しい表情を見るのも、ちょっとした楽しみで。 大抵のものに耐性があり、辛い物もカプサイシンの純粋結晶くらいまで行かないと効かないんじゃないかとか、振り抜いた手がうっかり頬にクリーンヒットしても真顔で受け止めたりとか、案外10kmくらいなら涼しい顔してついてくるとか、サイボーグよりサイボーグじみた彼の、ちょっとした綻び。 ただ、試着した姿を見ても「良いんじゃないか」「綺麗だ」としか言わないのはそれなりに不満で、一度全く趣味じゃないゴスロリブランドの店に足を運んだ時も「似合ってる」とだけ返ってきたので、ちゃんと見ていないのではないかと、少し腹を立てている。 だから今日はこうして、少し際どいブラウスを────手に取ろうとしたら、取り上げられてしまった。 見上げれば、眉間にシワを寄せたトレーナーさんの顔。それは嫌だという声が、黙っているのに聞こえてくる。 「普段、全然見ないくせに」 思わず悪態をついてしまう。嫌だな、我ながら面倒な事をしたな、とちょっと後ろめたい気持ちが即座に溢れる。 後ろから、いや、その、とトレーナーさんの弁明が聞こえるが、そんな言い訳は聞きたくない。ちゃんと見てほしい。私は貴方の好きな格好で──── しどろもどろに聞こえてくるのは、全部似合ってた、綺麗だったという言い訳。 こういう時、彼は本音を言っている。言い訳に聞こえるが、実際には本心。 そう思うと急に恥ずかしくなってくる。単純に落ち着かないだけで、私の事はやっぱり見ててくれたのかなって。 ならば尚更。ちゃんと、私を──── 濃紺の浴衣は、慣れないのもあって着られている感に溢れていた。 ────春なんてあっという間に過ぎて、そうしたら夏が来る。その時に見たいから、と、呉服屋の前でトレーナーさんは語ってくれた。きっと似合う、綺麗だから、と。 和服の着付けに難儀したが、ちゃんと説明を聞くタイプのトレーナーさんが手伝ってくれて。 狭い部屋の中で2人揃って、ああのこうのと難儀しながら初めて着付けた浴衣は、少し不格好。けれど、なんだか見た事のない自分に、少しドキドキした。 そんな感情はトレーナーさんも抱えているようで、しばらく見つめあった末、どちらともなく唇を重ねて。 唇が離れて、頬、首筋、鎖骨。和服を着た事で生じた襟周りの、狭いながらに際立つラインに、口付けを落とされるたび、身を震わす。 トレーナーさんも私も、見知らぬ景色に興奮している。 肩をつかむ手が、帯に滑った時。 今日は、優しくしてくださいね、って。そう言ってみたけど。 きっと守ってはくれないなと、勘付いてしまった。 --- 「女の重さは幸せの重さ」 と言って憚らないトレーナーさんは、寝ているところに向かって私が覆い被さるように乗っかっても、お姫様抱っこしても、おんぶしたままスクワットをしてもほとんど動じない。怪我をした時、担架を待っている時間が惜しいからと背負って運んでくれた事もあった。 身長に対して重たくない自覚はあるが、骨も筋肉も、健康を害さぬ範囲で備わっている私は背の低い子たちに比べれば多少は重たいはず。しかし、彼にとってはなんとも思わない範囲にあるらしい。 ────今もこうして、仰向けの彼に被さるように、のし掛かっている。 スカートの下の繋がりが露わにならない分、余計に興奮を煽る。静かな抽送が、じっくりと甘い痺れをもたらす。 着衣の珍しさなのか、それとも制服がもたらすインモラルな風情か、ここがトレーナー室のソファだからか────一度始まってからは、ずっと昂りっぱなし。 カーテンを閉め切った薄暗い部屋も、より情事の雰囲気を煽る。 腰を揺らすたび、ソファが軋む。振動は余波を生み出し、胎を余計に刺激する。 トレーナーさんはこの時間を楽しむように私の頭を抱いてくれて、時折頭と、耳を撫でる。それが尚更性感を煽って、熱い息を吐くばかり。 我慢しきれずに腰を下ろし切ってしまうと、奥までぴたりと収まるものに、思わず甘い声を上げてしまう。 トレーナーさんの手が腰に滑って、尾の付け根に触れる。 尾骨の接続先は脊椎。感覚は鋭く、感情と快感に対しては十二分に敏感。であれば、 「ぅ、はぁ、あ゙♡」 甘ったるい呻き声も上がるというもので。 トレーナーさんの手は意地悪に、尾の付け根をするすると撫で回す。時折きゅっと付け根を掴まれると、腰が跳ねて内外から責め立てられる形になってしまう。 気付けば、互いに荒い息を吐いている。もはや快楽を追うばかりなのはどちらも同じで、水音と吐息に支配された部屋がそれを後押しするかのよう。 トレーナーさん、トレーナーさんと呼びかけると、少し落ち着かない声でスズカ、と返ってくる。 互いに縋った先で唇を重ねながら、互いに果てた。 「スズカー!忘れ物のお届けデース!」 トレーナー室に勢いよく飛び込んできた大柄な影は、タイキシャトルであった。教室に置きっぱなしにしていたスクールバッグを、わざわざ届けてくれたのだ。 先程まで情事に耽っていた事はおくびにも出さぬよう努め、バッグを受け取る。 ふと、タイキがどこかうつろを向いているのに気付く。何かを感知したような、そんな表情。 もしかして。 「……ほどほどの方が、良いと思いマス」 じっとりとした目付きが、突き刺さるようであった。 --- 鼻先に、トレーナーさんのものがぴたりと当たる。 鼻腔が彼の濃い匂いで満たされて、思わずくらりと来てしまう。 以前はこんなに気にならなかったのに、今となってはすっかりクセになってしまっている。むせ返る性臭、少し汗っぽい匂い、彼自身の匂い、全てが脳髄を刺激して、私という女の、女たる面を暴く。 きっと今の私は、はしたない顔をしているのだろう。けれど、どうしても止められない。 思わず、ショーツごしに指を這わせてしまう。鼻先で大きくなったものが擦れるたびに匂いが付いて、期待ばかりが膨らむのだ。 ────きっかけは、ある春の夜。 レース場からの帰路、私は夜風に吹かれていた。 すっかり春の陽気だったので、日が落ちると急激に寒くなる事を、完全に忘れていた。 薄手のワンピースを着ていたばかりに体を冷やした私に、トレーナーさんが貸してくれたのは普段着のジャケット。 しょっちゅう着ている着古しのジャケットには、トレーナーさんの匂いがしっかり残っていて、それはつまり、匂いに包まれるという事で。 部屋やトレーナー室で抱かれるのよりもずっと濃い彼の匂いに、思わず指先までじわりと甘い痺れが走る。どうして、そう考える前に、ジャケットの襟を掴んでいた。 吸う、吐く。また吸う。トレーナーさんの匂いが、鼻腔を埋め尽くしていく。 その度、腰から指先に、じわりと熱と痺れが走る。 気付けば、ショーツを濡らしている私が居て。 ああ、私って、これに興奮するんだ、と気付いた時には、助手席に乗っているというのに、脚の間に手が伸びかけていた。 以来、私は彼の匂いを残すように、味わうように、楽しむようになっていって──── 今日のトレーナーさんは、少ししょっぱい匂い。きっと少し前に走り込みをした分の汗が、残っているのだろう。 ちょっと匂いが強いのが、私の性感をより煽る。 裏側に沿って軽く口付けをしながら、少し舌を這わす。先端に向かって辿ったら、挨拶をするように、また、慈しむように口付け。 びくん、と跳ねるトレーナーさんのものが、また愛おしくて、唇で軽く食む。 そのままゆっくりと咥内に呑んでいくと、少しぬるついた彼のものが、咥内を、鼻腔を、喉を支配する。 ぐちゅ、と水音を立てるたびに、口の中を支配するものはじわりとぬめりを増していく。その様子に、こちらも思わずぐしゃぐしゃに濡らしてしまっていて。 ショーツの外からなぞる程度で済ませていた指は、今や中で突端をこねている。はしたなく揺れる腰と尾が、視覚的に彼を煽る事などお構いなしだ。 ふと、彼の腰が僅かに引ける。ああ、もうすぐ────そう思ったその時、頭に手が乗って、咥内を確かに、しっかりと蹂躙する合図が来る。 スズカ、と許しを乞う呼び声に、思わず期待の眼差しを向けてしまったが最後、収まらない欲望が咥内を汚していく。 一口では飲み切れず口角から溢れた熱を両手で受け止めながら、こくん、こくんと音を立てて飲み干していく。 ずるりと唇から這い出た彼のものから残滓が溢れて、鼻先からいくらかを汚す。 トレーナーさん自身よりさらに強い匂いが、鼻腔を支配していく。ああ、そんな事をされては。 腰から全身に甘い痺れが走って、思わず甘ったるい嬌声を上げてしまう。 「あ、ぁ……♡トレーナーさ、ぁ……♡」 それまで煽り倒した報いを受けねばなるまい。手に残った欲を舐め取りながら、彼の体重を受け入れた。 --- 私のトレーナーさんは、正義感が強い。 今日もコース内で転んだ子に向かっていの一番に駆け出したのは彼で、彼女のトレーナーが気付くより先に、コース外へ運び出していた。 それだけなら、私はなんて良い相手を持ったのだろうと眺めているだけで済むに違いない。 ところがどうだ。仕事柄という度を超えて的確な手腕、無事を喜ぶ姿、丁寧な態度────周りの目を引き、手を握った相手を惹かれさせるのには十分過ぎるというもので。 それなりの恋愛経験がある癖にこういう事をするのは、きっと性分なのだろう。人の幸せを喜ばずにはいられない、善人中の善人だからこそ成り立つ人生だってある。 けれど、私には許せない部分もある。優しさだって過ぎれば毒だ。特に、彼女らにとっては。 「トレーナーさん」 と、背後から声をかけると、ギクリとしたように肩がすくむ。 自覚があるならやめて欲しいが、今ようやくやり過ぎに気付いたのだろう。これが初めてではないので、ここは容赦なく。 「行きますよトレーナーさん。今日はランニングに付き合ってくれるって言ったじゃないですか」 襟首を掴んでフィールド外へ引きずると、彼に向いていた視線が急速に冷めるのを感じる。我ながら大人げない事をしたと思うが、彼が悪いのだ。彼が。 だいたい、私に対しては時折独占欲を見せる癖に、自分の事はやや鈍いというか、そういう箇所が多分にあると思う。 もっと自分の魅力に気付いて欲しい。自らを良い人止まりの菜食主義のように評価するのをいい加減やめて欲しい。そう願ってやまない。 ひとまずフィールドから少し離れた位置で手を離すと、開口一番ごめん、と謝罪が来たのでこの場はよしとする。もう少し大人になりたいけど、あと2年くらいはかかるのかな……。 ランニングを終えた身体を流しながら、気付けば手指を、脚の間へと伸ばしていた。 嫉妬と慕情、さらなる愛情、日々惚れ直す恋心。情欲へと形を変えたそれらが、女の部分をしとどに濡らし尽くす。 脚を伝うのは、シャワーとは別の水分。身体を流す音の中に、突端をこね回す水音が混ざる。 思わず、声を上げそうになる。 あの時、謝るよりもただ私を見て、抱いて欲しかった。そんな嫉妬が、指にこもる。 「────っ、ん、ぁ」 果てそうになった時、ふと我に帰った。何分ほど物思いに耽っていただろうか。慌ててシャワーを止めて、出る支度をする。 更衣室で慌てていると、周りの視線が少し痛かった。何も気にしていない日は、下着を穿き忘れて慌てて指摘されるまで気にしないのに。 学内のシャワー室からトレーナー室へ向かうと、部屋の前でトレーナーさんと鉢合わせた。彼もシャワーを浴びていたようで、少しさっぱりとした雰囲気と、石鹸の匂いを漂わせる。 ほんの少し残念に思いながら、部屋に入った瞬間にぴったりと抱きつく。 石鹸と、彼自身の匂いと、洗剤の匂いに包まれる。トレーナーさんも特に何も言わず、抱き返してくれる。 それはそれで構わないんだけど────と思っていると、彼の口から重々しく、今日はごめん、の一言。 いいんです。私がもうちょっと大人だったら。そう言おうとして上を向くと、唇を奪われる。 唇をひと舐め、そのまま割り入って、舌同士がぺたりと接する。 くちくちと響く水音がそれまでの感情をあっという間に押し流して、代わりに恋心を運ぶ。こうされると、もう何も考えられない。 そんな気持ちを知ってか知らずか、彼の舌は歯列、上顎、舌裏と執拗に責め立てる。その度に私は身体を震わせ、脚をこすり合わせるばかり。 唇を放す頃には、互いに顔が火照っていて。 互いが互いばかりを想い合う事実に気づいた時には、私の身体はソファに沈んでいた。 先程まで慰めていた身体は、キスの分も合わせてすっかり濡れそぼっていた。 まるでこうなる事を期待していたかのような状況に思わず恥じらったが、していたかしていなかったかで言えば、していたのも事実で。 そんな私の感情はしっかり仕草に出ていたようで、気付けば両腕を広げて、催促するように尾の先を揺らめかせていた。きっと表情も、さぞはしたない事であろう。 トレーナーさんの顔が近づいてきて、額に口づけを灯す。それと同時にぐち、と水音が響いて、胎の浅いところから快感が昇ってくる。 ゆっくりと、目を閉じて臍の下を抉る快感に身を委ねると、形や熱がはっきり伝わってくるようで、思わず胎の中をぎゅうっと締め付けてしまう。 するとトレーナーさんが少し熱い息を吐いて、快感を伝えてくる。 自らも、浅い息と絡めた脚で快感を伝えると、くつくつと水音を奏でながら抽送が始まる。 始まってしまうと、もう互いに歯止めが利かない。縋るように抱き合い、時には唇を重ねて、この時間を大切に過ごす。 そんな中、上衣の裾から手が滑り込んで、私の薄い胸の先端を指で擦られると、その度に胎が熱くなって、無意識に締め付けてしまって。 きゅ、と摘まれたりするだけで身体が跳ねてしまい、その間も容赦なく行われる抽送と相まって甘い痺れに支配されていく。 ふと彼の顔を見ると、随分浮かされたような、だらしない顔をしている。 自分で感じてくれている、そんなに気持ちよくなってくれているという事実に、より心を乱され、思わず腰が浮いてしまう。 そうしていると、抱きすくめていた腕の片方が浮いた腰を掴んで、抽送がより激しいものへとなっていく。 ぱしゃぱしゃと水音が鳴り響き、私の掠れた嬌声とトレーナーさんの吐息、肌のぶつかる音が混じり合って、聴覚からも私たちを狂わせていく。 そんな淫らな音の中に、私を呼ぶ声。スズカ、と呼ぶ方へ顔を向けると、小さく唇を奪われて。 トレーナーさん、トレーナーさん。そう囁くと、彼はかぶりを振る。 一層激しくなる抽送に、じわりと膨らむものを感じる。 互いの限界を感じて縋るように抱き合うと、臍の下に熱を感じて、そうして互いに果てた。 トレーナーさんの肩口に、2つほど歯形をつけてしまった。 思わず興奮してつけたのが一回、ほかはお仕置きのつもり。 彼は謝ってこそいるが、きっとまた同じ事をするだろう。 それが良いんだけど────それはそれとして、私のトレーナーである事をもう少し、自覚して欲しいと思ったのだ。 --- 世の中何が必要になるか分からないもので、現代では馴染み深いランナーにおける上半身のトレーニングも、昔は重視されていなかったという。 サンドバッグを殴る彼女も、協力を得てミット打ちを行う彼女も、ベンチプレスをする彼女も、別種目への転向を目指しているわけではなく、走るためにやっているのだ。 そんな子たちを尻目に106kg分のバーベルを支えて立っているのが私ことサイレンススズカで、目の前でベンチプレスをしているのは私のトレーナーである。 傍目から見るとそれは逆じゃないの?と思われるシチュエーションだが、ウマ娘に十分な負荷を与える時、一般的な男性では補助出来るような重さにはならないもので。 逆に、これくらいの重量であれば万が一があろうともウマ娘なら補助が可能なのである。 ────果たして、学園施設でトレーナーが筋トレをしているこの状況がいいのか悪いのかはともかくとして。 100kgを持ち上げる男性は、一説によると人口の1%程度しか居ないのだという。 大半の人々にとってみれば、体重より重たい鉄の棒である。それを寝そべった状態で持ち上げるなど、当たり前だが正気ではない。 そんな中、トレーナーさんはそれなりに苦しそうな表情をしながらも、この106kgを見事制覇せしめた。 息を整える彼を前に、何が貴方をそこまで至らしめるのかと聞くと、 「大事な人と物を抱えて逃げ出せなかった時に必ず後悔するから」 と、ひどく真面目な表情で返ってきた。 過去に何があったのか、その中に誰が入ってるのかなどとは聞けなかったが、彼には彼なりの信念があってその身を鍛えているのだろうと思ったその時、スズカ、と呼び出しがかかる。 はいはい、と向き直ると、よっこいしょという掛け声と共に脇を捉えられ、子供同然に持ち上げられてしまう。 その瞬間周囲の視線はこちらに釘付けになり、無防備な姿をたださらすばかり。 地に足つかぬ状態では膂力の差も大きくは機能せず、そのまま子供を抱えるかの如く、担いで出入口へと連れ去られてしまう。 こういう事、と嘯く彼の行動はまるで先日の意趣返しだが、少し腹が立って彼の肩をぽかぽかと叩くと、ぽつりと一言、スズカは1番最初だよ、と呟く声。 そんな事を言われたら、どうしたら良いの。反撃する気持ちを削がれた私は、ただ抱えられるばかりであった。 その日の夜は外泊を申請していて、トレーナーさんの部屋でゆっくりするのだと決めていた。決めていたのに、それどころではなくて。 ────スズカは1番最初だよ。 きっと、彼は本気なのだ。何があっても私1人、必ず抱えて走り出す気なのだ。 嬉しい反面、なんだか信用されていない気持ちになる。まるで私を、小娘のように見ているような気がして。 私だってウマ娘で、貴方よりはるかに強いのだと。もっと対等に見て欲しいのだと、思ってしまって。 ふと左を向けば、私に腕枕を提供して横になっているトレーナーさん。 ごめんなさい、トレーナーさん。私は私で譲れない気持ちがあるんです──── あの日のように、トレーナーさんを組み敷いて跨った。 らしくないほど乱暴な口付けの後、首筋から肩にかけて、痕を残すように歯を立てる。 どうしたの、と困惑する彼の声に耳を貸さずに、ただ自らを知らしめるような行為。 腰をぴたりと押し付けてやれば、たちまち興奮しているのが伝わってくる。困っていようが、本能には逆らえない。 濡れそぼったショーツをずらしてぐちりとその先端を突きつけると、甘い声が漏れそうになる。きっと普段なら、嬌声をあげて悦んでいただろうが、ぐっとこらえた。 一思いにずぷん、と奥まで受け入れると、急な刺激に目がちかちかとして、我慢していた吐息が漏れる。 背筋はぞわりと、しかし甘く熱い痺れを発して、臍の下からは幸せな圧迫感が主張し続ける。 結局、私という女は荒事に向かないのだろうか。今身を委ねたら、どれほど気持ち良いだろう。そんな諦めが、鎌首をもたげる。 うるさい、うるさい。そう言う気持ちで、腰を揺らめかせる。 肌を打ち付ける音と水音だけが、薄暗い部屋に響く。 乱暴な情事は最初こそ刺激そのものに反応していたが、その先に欠けるものを感じていた。 退屈と罪悪感、不信感で張り詰めた空気。 ふと、トレーナーさんの体温を感じる。 気付けば私は彼の腕を放していて、彼に抱きすくめられ、対面座位の形になっていた。 ああ、結局。結局、私は守られて。 張り詰めた空気が決壊する。ぼたぼたと涙が溢れて、彼の身を濡らす。 「ごめんなさ、ぁ、ごめ────」 嗚咽を受け止めるように、頭を抱かれる。 ────ただ私は、揃って隣を歩きたいだけで。 そう漏らすと、ぎゅっと強く抱きしめられた。 まるで全てが伝わるような、力強いハグ。 おずおずと抱き返すと、より身体が密着して、心地良い。 ごめん。こちらこそ。そんなやり取りをして、唇を重ねる。 繋がりっぱなしの腰を僅かに揺らめかせると、先程とはうってかわって快感の波が押し寄せる。 「んぅ、ぁ゙、あぁ゙っ♡」 思わず、上擦った声が漏れる。 対面座位は縋る先がしっかりあるくせに逃げ場はなく、快感が強い。 背も胸も、尾すらも責め放題な事実に気づいた時には、尾の付け根をぎゅっと掴まれていて。 思わず胎をきゅうきゅう締め付けてしまうが、それはむしろ中のものの形と熱をよりはっきりと感じてしまう分、はるかにこちらが不利だった。 ぐずぐずとした水音と、肌の合わさる音。互いの息遣いに混ざって、私の嬌声。 ごちゅ、と奥に当たるたび、思わず背を反らす。反った身体は薄い胸を突き出すような形になり、まるで責めてくださいと言わんばかりだったようで、トレーナーさんの唇が触れるまでにそう時間はかからなかった。 音を立てて先端を吸われて、さらに身体を捩る。唇の下で、わざわざ転がすように舐めたり、潰すように押したりされると、それがまたびりびりと快感をもたらす。 ずうっと達しているような、甘い感覚が支配する。 ふと唇が離れると、彼が熱い息を吐いた。それと同時に、抽送が一段と激しくなる。 思わず肩に縋ると、背に回った腕が、私を強い力で抱きすくめる。 スズカ、スズカ。切ない声で、私を呼ぶ。それに対して口付けで応えると、胎に熱が注がれる。 それと同時に、こちらも果ててしまった。 「もしトレーナーさんが困ったら、私が助けてもいいですか」 枕元で、ぽつりと問う。 トレーナーさんは少し悩んだ後、本当は見捨てて欲しいと素直に答える。 思わず、「嫌だ」と答えると、ならお願いするよと笑顔で返されて。 不揃いな足並みが、少し並んだ。 --- 新入生の来る季節になると、私たちとて距離を取らざるを得なくなる。 ひとつは説明会などに駆り出される事。 もうひとつは、新入生の前でべたべたするのは流石に憚られるという事。 日頃はトレーニング後に物陰で拝領しているご褒美のキスも、デビュー戦が始まり騒ぎの落ち着く時期くらいまではお預けとなる。 仕方のない事なのだが、少し寂しい。そんな思いを抱えて、真新しい靴に真新しいジャージでターフを駆ける新入生を見ながらクールダウン代わりにストレッチをしていると、少し疲れた顔のトレーナーさんがやってきて、私の横に立った。 「どうしたんですか」 と聞くと、慣れない壇上に神経を使わされた事と、コース内で新入生がドミノ倒し寸前になったとの声。正規コースを走り慣れない子が多いこの時期、一度くらいは聞く事故だ。 きっと助けたんですよね、それくらいは分かります。敢えて聞かずに、大変でしたね、とだけ返す。 しかし、横に並んでいるのに触れられないというのは思いの外苦痛だ。好きな人の匂いも姿も目の前にあるのに、手を繋ぐことすら叶わないというのは、生殺しというものだろう。もやもやした感情が思わず、眉間のシワとなって現れる。 彼にとってもそれはなんとなく分かるようで、ふにゃりと笑いながら、部屋の鍵は開けとく、と言って、日報に直帰のチェックを入れていた。 トレーナーさんの部屋に入ると、まさにシャワーを浴びたばかりの彼と鉢合わせる。 パンツ一丁で髪を拭いながら、お見苦しい所を、と苦笑いする彼を見て、不意に情欲が掻き立てられてしまう。 厚みのある胸板も、しっかりと太い手首も、他のパーツと比べて細い腰も、男性的な魅力に満ちている。そんな男性が見せる幼い表情がまた、私の乙女心を刺激するのだ。 ぼんやり目で追っていると、ぱっとTシャツを着てしまった。こちらも慌てて目を逸らすが、散々見たはずの彼の体について、なんとなく考えてしまう。 ふと気付くと、トレーナーさんが目の前に戻ってきている。それなりにボーッとしていたようで、熱でもあるのか、と心配する声。 違います、大丈夫です。貴方の肉体美と、パンツの下にある膨らみについてうっかり考えてしまっただけなんです、などと口に出す訳にもいかず、言葉を濁して慌ててシャワーを借りに行く。 春の陽気とお預けが、じわじわと脳を蝕んでいるのをいよいよ実感する。 浴室を出ると、トレーナーさんがドライヤーとブラシを持って椅子の前で待ち構えていた。 たまにお願いはしていたが、自主性を重んじる彼から考えれば、自分から願い出るのは珍しい事だ。 椅子にかけると、手櫛で粗く髪を解されつつ、温風が当たる。 こと、こういった作業においても彼の勤勉さは発揮されていて、絡まないように粗く髪を解し、目の粗いブロー向けブラシで髪を持ち上げながら乾かし、最後につげ櫛まで使う。下手すると自分でやるよりマメで、椿油まで使われた際には明らかに綺麗になったのは良いが綺麗にしすぎてクラスメイトから一日奇異なものを見る目で見られたので流石に断るようにした。 髪が済むと今度は尻尾の手入れで、こちらは日頃から自らもマメに手入れをするので手加減なくやって貰う。 ドライヤーで乾かしながら、軽く椿油を塗る。こちらもやはり軽く目の粗いブラシで解してから、尻尾用のブラシで丁寧に梳いて、最後はしっかりと詰まったブラシでツヤを出すように仕上げる。 済んだかな、と思い尾を揺らめかせたその時、根本をわざとらしくブラシの先が抉る。 「ひぅっ♡」 思わず上擦った声を上げてしまう。なるほど、わざわざ自然に背後に陣取ったという事らしい。 ブラシでぐりぐりと尾の根本を刺激されながら、尾の裏側に口付けをされるたび、ぞわぞわと背筋に鳥肌が立ち、臍の下から甘い痺れを感じる。 そのうち尾から手が離れると、背後から抱きすくめられて、寝巻の襟から片方の手を差し入れられる。 おもむろにきゅうっと胸の先端を抓られて、思わず喘ぐ。 耳の先を食まれ、ふーっと息を吹きかけられながら、胸を撫でられ、時折摘まれて。 尻尾で叩いても、立ち上がって蹴り飛ばしても構わないはずなのに、すっかり期待して秘裂をしとどに濡らし尽くす自分が居る。 きっと彼も、そんな私を理解して、わざわざ背後から虐めるのだ。 火照った顔を彼の方へ向けると、小さく唇を食まれた。 少し乱暴に、しかも背を向けて押し倒された事に、期待していなかったといえば嘘になる。 トレーニング後のキスも、トレーナー室でのハグもお預けなのだ。そうして互いにじわじわと溜まったものが爆発した時、正直なところ、私は欲をぶつけられる方が嬉しい。 尾をぐいっと持ち上げられて、ぐにぐにと彼の一物が押し当てられる。 思わず息が荒くなり、耳がぴんと立つ。腰を揺らめかせて、催促してしまう。 ごちゅ、という下品な水音を立てて、最奥まで一気に突き立てられる。臍の下に刺さる衝撃と、尻たぶに当たる肌の感覚、腰への余波、全てが快楽へと変換されて、脳を襲う。 「ふぅ゙、は、ぅ♡」 熱い息と共に、嬌声が漏れる。無意識にぎゅうぎゅう締め付けた胎は、はっきりと彼の一物の形を身体に理解させる。 尾を引っ張られるたびに、腰が跳ねてしまう。ぺち、と軽く尻たぶを叩かれるたびに、肺から声が漏れて、甘い痺れが訪れる。 被独占欲と被虐欲を纏めて横殴りにされながら、甘イキを繰り返す姿はさぞはしたないだろう。しかし、そんな姿を暴いてますます硬くしている彼も彼で、同じ穴の狢なわけで。 抽送が激しくなって、水音と肌の当たる音もまた、激しさを増す。 犯されているような雰囲気がより高まり、互いの情欲を掻き立てていく。 元々止める人など誰もいない世界でより暴走していく欲望という名の特急が駆けていく中、スズカ、スズカ、と私を求める声。 呼びかけに応えたい。返してあげたい。そう思うのに、もはや喉からは獣のような喘ぎ声ばかりが出てしまう。 ようやく出した言葉も、まるで応えにならなくて。 「あ、あぁ゙、とれっ、なーさん♡すき、すきでっ、あ゙っ♡」 脳のとろけた声と、いやらしい音ばかりが響く部屋の中で、一際大きな水音が鳴った時、互いに果てる。 胎に欲の塊が吐き出される感触に、何度も身体を震わせた。 微睡のなかで、優しく背中を抱かれた。 臍、下腹部、額、頭、耳。ゆっくりと両の手を使って、労わるように撫でられる。 最後はぎゅっと抱きしめられて、そうして互いに眠りにつく。 どれほど乱暴にされても、結局は優しいところも、好きなのかなと思いながら、意識を断った。 --- 「トレーナーさん、今日も────」 どくん。どくん。 少し間隔の広い、しっかりとした心音。 大好きな匂い、代謝の高さを窺わせる高めの体温。 ────頭を、胸元で抱かれる位置。 愛する相手が生きている、その実感を直に得られるこの位置は、何より安心出来る場所だ。 まるで赤子に戻ったように頭を擦り付け、時折額や耳に口付けをしてもらって。 言いようのない不安や孤独に駆られた時、こうして甘やかして貰うのが、もはや定番となっている。 もっとも最近はそれだけではなく、頭から首筋、背中、そして尻尾へと、生殺しの愛撫をされて。 互いの熱が溜まって匂いが濃くなり、鼓動の高鳴りを感じ始めるのが、合図となっている。 気付けばお腹に向かってぐりぐりと硬さを増したものが押し当てられて、耳に触れる指はいやらしく耳介をなぞり、こちらの性感を煽ってくる。 負けじとこちらも押し当てられた一物の先端をパンツの布越しに人差し指でくるくるとなぞったり、鈴口を軽く押したりすると、じわりと先走りが染みてくる。 指に付いた分を舐め取ると、しょっぱい味に彼の匂い。これだけで思わずくらりと来てしまい、もはやショーツが要をなさないほど濡れそぼっていく。 上を向いて彼の表情を覗けば、少しだらしない、興奮した顔。 僅かな表情の差だって見逃さぬ間柄。きっと彼の目にも、私が今どれほど期待しているかは、伝わっている事だろう。 ぱさりと、床に布の落ちる音がする。 それは、僅かに残っていた牙城が崩れる音でもあった。 指で浅いところをなぞられ、突端をぐりぐりとこねられると、ぐしゃぐしゃに濡れそぼっていた秘裂から、溢れんばかりに愛液が滲む。 胎に浅く入ってくる指を、卑しくきゅうきゅう締め付けてしまい、思わず顔を伏せる。 そのうち、指先に甘い痺れが訪れる。ああ、来ちゃう、ダメ。そう思う間もなく、甘イキしてしまって。 びくん、と跳ねた腰を見た彼の指が、胎からずるりと引き抜かれる。 代わりに押し当たるのは彼の一物で、ぴたりと当たるだけで互いの気持ちが通じ合ってしまうかのよう。 もはや、言葉は一切発さない。ふぅ、ふぅと発情しきった息遣いだけでも、十二分に伝わっている。 一思いに貫くそれは、在りし日の私を大切にしていた頃とは大違いで、しかし愛の深さはむしろ勝っているように感じられる。 覆い被さった彼からは、動いている事もあって熱すぎるほどの体温と、慕情が強く伝わってくる。 ぱちゅ、ぱちゅと響き渡る水音に、彼の息遣いが混ざって、じっとりとした、いやらしいノイズになる。 そんな息の音源が耳元に来たかと思えば、耳を食まれる。甘噛みしながら唇を押し当てられたかと思えば、ずるりと湿り気のあるものが耳介の中に侵入。 厚ぼったい舌が、ぐちゅぐちゅと耳の中を動き回り、まるで脳髄を犯しにくるかのように這い回る。 「ぁ゙、だめ、や、みみっ、だめ♡」 鋭敏な聴覚を刺激された事はもちろん、トレードマーク、チャームポイント、ウマ娘としての証のひとつを虐められているという状況そのものにも、下劣に興奮している自分がいる。そんな事実に、ひどく心を掻き乱される。 そのうち、耳から侵入者が去ると、湿ってぐずぐずになったそこに向けて、スズカ、と囁く声。 どれほど小さくても聞き逃すことはない彼の声に、ギュッと抱きつく事で応える。 ごちゅ、と胎から水音が響き、抽送の激しさが増す。 スズカ、スズカ。そう呼ぶ声が、だんだんと切なさを帯びて。 呼ばれるたびにきゅうっと締め付けてしまう私もまた、だんだんと切ない気持ちになっていく。 「トレーナーさん、とれ、ぁ、さん、すき、すき、んっ、ぁ、は♡」 壊れたレコーダーもかくやというくらい互いに呼び合いながら果てていった後には、繋がりの間から情欲の証とも呼べるような、白露が溢れた。 どくん、どくん。 最初とはまた少し違う、僅かに早回しの心音。 まだ少し興奮の冷めない、そんな鼓動。 抜き身で寄り添う互いの体温はより暖かく感じて、春先の肌寒さにはちょうど良い。 大好きなものに囲まれて微睡むこの時間こそが、今の私にとって、かけがえの無いものなのだ。 --- 「……はぁ……はー……っ♡」 耳覆いの下。イヤホンから流れてくるのは、水音と、心音。静かに、しっかりとした声色でこちらの情欲を煽る声。 一部生徒の間で流行している音声作品。とりわけ、催眠音声や、ASMRと呼ばれるような作品群をいくつか試してみたのだが──── 「普段出来ないようなシチュエーションとか、なかなか言ってくれなさそうな事に想いを馳せたり……極端なシチュエーションのを聞いて、ぐーっと嫌な気分になってから甘えたりするって子もいますよ」 「トレーナーさんは厳しい事こそ言えど、乱暴はしませんから……たまに、少し、傾く事が」 と、熱弁するのはスペちゃんとグラス。双方の勧めで、ひとまず5作品ほどの音声作品を借り受けた。 初心者向けとされたもの、倒錯したもの、極端なもの……特に、全盲のトレーナーを介護するシチュエーションのものは、詳しくない私にもちょっとおかしいというのが伝わってくる。 とにかく多様性に満ちたジャンルであるようで、スペちゃん達は「気になったら他にも貸しますからね!」と鼻息を荒くしていたし、テイオーやエル、エアグルーヴもこの道に詳しいのだと教えてくれた。 案外、みんな抱えるものはあるらしい。大変だなあと思いながら、その日の夜、寝床で再生するに至る──── 再生を始めて12分。没入感を高める為に着けていた耳覆いの中で響くその音に、私は魅了されていた。 皆がハマるのも頷ける。高精度に録音された心音と、少し甘ったるい台詞が、寮暮らしのほんのり寂しい隙間に入り込むように響いてくるのだ。 スペちゃんの選んでくれたものが的確だったのか、私が初心者なのかは定かでないが、どうやら自分に合う物と巡り合えたのは確かな様子。 外泊をしない日でも、これならゆっくり眠れそう──── しばらくの後、妙に艶かしい水音が耳に流れ込んでくる。 聞こえる台詞もやけにいやらしく、まるで情事の……いや、まさしくソレを模したものだ。 耳の奥までくすぐられるような水音と、扇情的、官能的な台詞。少し意地の悪い台詞回しが、より情欲を煽るつくりで。 早く再生を止めないと。そう思うのに、耳が離せない。手が動かない。 寂しさを埋めるどころか、ますます恋しさが募る。ひたすらに情欲を掻き立てられる。 トレーナーさん、トレーナーさん。思わず口に出すのを我慢しながら、気付けば股座に手が伸びていて。 だめ、だめ、ここは寮なのに。思わず、指で慰めるように、突端をこねまわす。 「ふっ……ぅ、ん、ん♡」 イヤホンから流れ出る音のせいか、あっという間に果ててしまう。 おやすみ──── ファイルの最後の音声と同時に、意識が途切れた。 翌日も外泊申請はしなかったので、スマホに入れた音声作品にお世話になる事とした。 昨日とは作品を変えてみようと、グラスに勧められた方を再生する。 こちらが甘やかすシチュエーションをウリにした作品らしいのだが、なるほど確かに、これはちょっと、日頃はない感覚。 トレーナーさんは甲斐性に筋肉と服を着せたような人物だから、私に甘えるような事はまずない。 世にはトレーナーを甘やかして赤ちゃんプレイを楽しむスーパーな魔王も居るのだけれど、我々は至ってニュートラルな関係。しかし、ほんのり気になってくる。 果たして、トレーナーさんを甘やかしたらどうなるのだろう。 音声の没入感と相まって、思わず想像してしまう。 あんなに頼れるトレーナーが、あんなにたくましいトレーナーが、私の胸に甘えてくる光景。 身震いしてしまう。果たして、怖気か快楽か。 気付けば、作品は終盤の寝かしつけるパートに移行している。 微睡んで、意識を手放すには丁度良い。 おやすみ──── また、ぴたりと眠りに落ちた。 翌昼、トレーナー室でミーティングを終えると、トレーナーさんはいつものように私の頭を撫でてくる。ミーティング中、集中を切らさなかった事に対する褒美だ。 その流れのままに口付けをしようと、彼の頭が下がったのを見計らって、両手でがっしと頭を掴む。 間抜けな声を上げてフリーズした彼の頭を、両手で不器用に撫で回す。 わしわしと、髪をくしゃくしゃにしながら、手のひら全体で撫でていると、彼も少し理解したのか、こちらに頭を預けるように向けてくる。 「いつもありがとうございます、トレーナーさん」 本心から出た言葉と共に、不器用に甘やかす。 しばらく撫でていると、彼が膝をついてこちらに頭を差し出す姿勢になったので、これ幸いと胸に抱くようにぎゅっと頭を抱える。 こんな時、スペちゃんやタイキのように豊かな体格なら、もっと甘やかし甲斐、甘やかされ甲斐もあるのだろうなと思ってしまう。胸郭に彼の額が当たる感触が、今だけはなんとも虚しい。 そんな気持ちを押し隠して頭を撫でてあげると、ゆるゆると彼の腕がこちらの胴を回って、抱きついてくる。 日頃とは逆の立場に、少し倒錯した感情が湧く。 いいこ、いいこ。 言葉には出さないが、そんな気持ちで、ゆっくり頭を撫でる。 つむじ、後頭部、耳、うなじ。やわやわと指先で撫でては、手のひらでもって、しっかり撫でてあげる。 段々と趣旨を理解した彼が、ぐり、と額を押しつけて、少し不器用な甘え方をする。 なんだかそれがじわじわと愛おしくなってくる事に、危機感と高揚感を感じる。 そのまましばらく頭を撫でていると、抱きついていた腕が緩み、制服の裾を掴む。 額が離れた次の瞬間、ぐいと制服を捲りあげてしまう。 お腹や脇腹をぺたぺたと触る手は、ゆっくりと下着を持ち上げてずらしていき、胸を露わにする。 「あ、まっ、あっ……」 思わず制止しようとしたが、脳の理性に反して、身体は僅かな期待から手の力を抜いてしまう。 厚ぼったい舌が胸を這って、先端を唇が食み、音を立てて吸われる。 ちゅうっと吸われるたびに思わず熱い息を吐くが、快楽よりも、愛しさが勝るのを感じる。 可愛い。優しくしたい。好き。 頭を撫でる手に、愛情がこもる。 時折息を継ぎながら熱心に胸を吸う彼が、ただ愛おしい。 その時、扉を叩く音。 私は慌てて制服の裾を下ろしてごまかし、トレーナーさんは扉へ向かう。 TPOを弁えろという事かな、と思っていると、扉の前でこちらを振り向いた彼が、また夜な、とこっそりこちらに伝える。 思わず咳払いをするが、本心は期待ばかり。 ほんの少し、世界が広がったばかりだから。 --- 「いっ、た────」 レースの前日、私たちは互いの存在を確かめ合うように抱き合い、求め合い、傷付け合う。 肩口に、首筋に、うなじに、背に 脚に、腹に、手首に 互いのものである事を示すように、印をつけていく。 それは時にキスマークで、時に歯型。 最初は寝る前のおまじないのように抱いてもらうだけだったのに、今では目一杯確かめ合わないと、不安で仕方がない。 大丈夫。私はここにいる。トレーナーさんと通じ合ってる。明日は走れる。必ず先頭に立つ。影も踏ませず、走り切ってみせる。 そんな気持ちを込めて求めれば、彼もまた応えてくれる。 首筋から離した口を、頬に寄せる。そっと口付けをして、そのまま滑らせるように、唇を重ねる。 既に互いの欲望は抑え切れぬところまで昂っていて、彼も私も、今すぐにでも繋がりたいところまで来ている。 あとはそう、どちらが言うか、本当にそれだけ。 だから。 「……来ないんですか?」 たまには、からかうのも悪くないと思って。 ぷつりと互いのタガが外れる音がしたかと思えば、あっという間に押し倒されて、そそり立ったものを突き立てられる。 こうなるのを期待してからかったとは言え、乱暴に貫かれるのは苦しくて、押し潰されて漏れる息が、その苦しさを増幅する。 しかし、脳はただひたすらに快感だけを伝えていて、背筋から指先に向かう甘ったるい痺れが、苦しみとの矛盾、そして行き着く先を知らせている。 「あ、トレ、あっ、んん゙っ♡」 最奥を叩かれるたびに、肌の当たる音と、粘っこい水音が響く。 その音と共に激しい快感が身体を貫き、甘ったるい声が漏れる。 なす術もなく胎を抉られながら、身体は勝手に快楽を追い求めていて、時折浮いては押し付けるように揺らめく腰が、自らの淫蕩なさまを示す。 互いの手を繋ぎ、指を絡め、恋人繋ぎ。そうして唇を重ねて、全身で繋がると、思わず先に果ててしまう。 「ん、ぁ、ごめっ、なさ♡」 大丈夫だよ、いっぱいイっていいよ、と宥めすかす彼の唇が、耳を食む。 可愛い、と意地悪に囁く声が耳元で響いて、さらに甘イキしてしまう。 そのたびに胎の中をぎゅっと締め付ければ、中の熱がじわじわとその硬さを増すのが分かって。 ああ、欲しい。彼の、その欲を受け止めたい。 ふと、彼の身体が少し離れる。 繋いでいた左手に唇を寄せて、指先に口付けられる。 ちゅっと音を立てて、2度、3度。そして、指を食まれて──── がり、と音がして、痛みが走る。 噛まれたそこは、左手の、薬指。 根本にしっかりと歯を立てられて、3度、4度、5度。ああ、これではしばらく残ってしまう。 今までつけられたどんな痕より、欲深い傷。 口を離せば、スズカ、と一言。 「は、ぃ、いっ♡」 痛みごと快楽に変えて、互いに果てる。 中に注がれる熱で、しばらく甘い快楽を味わった。 「行ってきますね、トレーナーさん」 地下で、彼と別れる。 向かいがてら、わざと彼に見せびらかすように、左手の手袋を外して手を振ると、少し顔を赤らめるのが見える。 ────嬉しいんですよ、本当に。 薬指に残る痕に口付けながら、手袋をはめて、コースに向かって駆け出した。 --- 悪い夢を見た。 急に重たくなる脚。走っても走っても、前に行かぬ脚。 もう少しで最後の直線に入るのに、どんどん動かなくなる。背後にいたはずの子が、ずっと先に居る。 みしり。ぱきり。ぐちゃり。動かそうとするたび、乾いた音の後に、湿った気持ちの悪い音。 あと少し。あと何百とない距離。走らなければ。走らなければ。 もがく脚が、すっかり冷たくなっていく。 やめろ、動くな、死ぬぞ。見知った同期が、慌てて止めに来る。 まるで私を終わらせるかのように、皆が私を止める。 嫌だ。走らなければ。私はあのゴール板の先に、全てを待たせているから。 脚だけでなく、手まで冷たくなっていく。 やめて。置いていかないで。離さないで。 いやだ、いやだ、いや──── 「────あぁっ!」 跳ね起きてみれば、そこは見慣れたトレーナー室。 ソファで何時間か寝かされていたようで、カーテンからは西陽が漏れている。 そうだ、トレーニング後に昼寝をさせてもらっていたんだった。 脚を触ると、しっかりと感覚がある。指を曲げ伸ばしすれば、きちんと動く。 手も冷たくない。寝起きで、むしろ少し暖かく感じる。 よかった。ただの夢だ。 安堵の息を吐いたその時、ソファの裏から荒い息と共に、そこそこな勢いで物音がした。 恐る恐る覗けば、床で座り込むトレーナーさん。着ているジャージの乱れを見るに、どうやら床で仮眠を取っていたらしい。 その顔には恐怖や悲壮感が滲み、脂汗が光る。 「どうしたんですか」 そう聞くと、彼はこちらに顔を向けてへらりと笑いながら、なんでもないよ、大丈夫、と小さく手を振る。 真っ青な顔で笑っておいて、何が大丈夫なものか。 硬い床で寝て、悪い夢を見たに違いないのに。 そう思うのが早いか、彼の前に駆け寄り、膝をついて近づく。 「大丈夫じゃないくせに。なんでそんな、つまらない我慢をするんですか」 不機嫌な表情で詰め寄ってみせれば、たちまち彼は申し訳なさそうな顔をして、ごめん、と漏らす。 そうじゃないんです。悩みくらい、聞かせてくれてもいいのに。 そう思ったのが通じたのか否か、ぽつりと、スズカも辛そうだし、と呟く声。 心配される程、辛そうな寝起きだったのだろうか。それとも、今現在もつらい顔をしているのだろうか。定かではないが、それは、 「お互いさまじゃないですか、そんなの」 間違いなく。 悪夢について打ち明けると、彼もまた、私が走れなくなる夢を見たらしい。 違うのは、私を置いて立ち去ってしまう夢であるという事。 そんなつもりはないのに、走れなくなった私に背を向け去る光景が離れず飛び起きたと聞いて、つい 「走れなくなったら、私を見捨てちゃうんですか」 と、少しからかった。 すると彼は思ったよりも狼狽して、そんな事は絶対にしないと大声を上げるので、それがおかしくて、でも嬉しくて。 くすくす、と笑ってあげれば、互いに笑顔が戻って、ようやく悪夢から覚める。 怖かった。辛かった。そんな感情からようやく解き放たれた時、ふと目が合うと、少しの後、どちらともなく顔を近づけて、小さく口付けを交わす。 「……一緒に居てくださいね」 そう呟くと、彼は頷いて、私の唇を奪う。 確かめ合うキスは蜂蜜より甘く、互いの全てを溶かしていく。 彼の手が背中を伝って、腰を撫で、私の尻を掴む。 僅かな不安を埋める為の、最後のステップ。 それが何かを、よく知っている。 ソファの軋む音と共に、水音が響く。 彼に跨って抱き合うようなこの体位は、互いにぴったりくっつくので心地良い。 なにより今は、不安を埋めたい。そう考えていたら、どちらが求める訳でもなく、この形になっていて。 抱きすくめてぴったりと重なった肌が、抽送のたびに揺れて、擦れる。 ごつこつとした男性的な身体に向かって、自分の身体が擦られるのが、胎の中を抉られるのとは別のやわらかな快感を生む。 怖かった、離さないで、一緒に居て。 喘ぎ声と共に発した言葉に、彼はきちんと返事をしてくれる。 大丈夫。愛してる。 その度に、抱きしめる腕の力と、胎の中を締める力が、少し強くなる。 「トレーナー、さ、私、もうっ、んっ♡」 ここまでに何度も甘イキした身体が、限界を感じる。欲しがる身体が、はしたなく何度も腰を打ち付けてしまう。 直後、私を抱く腕の力が強まり、最奥をごつんと突かれる。 臍の下で熱が弾ける感覚。その瞬間、こちらの胎もぎゅっと締まって、果てた。 互いに繋がったまま、ゆったりとした口付けを繰り返す。 睦言を交わしあいながら、肌から伝わる熱を楽しむ。 「いい加減、重くないですか」 と聞いても、何度も言っただろ、の一点張り。 降りるタイミングを失ったまま、ずうっと抱かれてしまう。 時折緩やかに抽送をされると、甘い痺れが走って、話してる最中でも上擦った嬌声を上げてしまう。 互いの不安を塗り潰すには、もうしばらく必要だから。 言い聞かせるように、また唇を重ねた。