隙間から這い出てきた影は、蓮の果托のような瞳に、目一杯の憎悪を纏っていた。 自分たちの棲んでいた世界を滅ぼした憎き女に、せめて一矢を報いてやろう、と。 けれど残党は僅か十にも満たぬ数。その上陽の光は彼らにとっては猛毒だ。 一体が斃れ、また斃れ。細胞単位であらゆるものと同化し、支配する彼らの力も、 その根本となる闇の世界との繋がりの絶たれた今、行使することはほとんど不可能だ。 ただ己の肉体の、じりじりと光に灼かれて朽ちていくのを感じながらも、 彼らはようやく、仇の所有する宇宙船に数体の決死隊を送ることができたのである。 宇宙船の暗がりの中でじっと、影は仇の戻るのを待っていた――命の削れる感覚と共に。 外に立っているその女は、全身を分厚い重金属の鎧で完全に防護していて、 体当たり程度しか手札のない彼らには、とても手の出せるような相手ではない。 宇宙船の内部で暴れて、諸共に星屑になってやるのが関の山――と考えていたところ、 一仕事終えて気が緩んだのか、女は乗り込む前に自らその鎧をすっかり脱いだのである。 艶めく金髪が、頭の振られるのにつれて揺れる。全身を包む青い肌着は、 彼女の豊かな胸と細い腰、丸い尻の輪郭をそのままそこになぞっていた。 己の船を見る碧い瞳は、その中に復讐者がいるとは想像だにしなかったに違いない。 女の顔には、彼女の頭部と同程度の大きさの個体が掴むようにへばりついていた。 いかに優れた戦士だろうと、鎧を脱いだ生身の状態ではさほどの脅威たり得ない。 当然、生まれついた地球人種――哺乳類の一種の性質に従って、 酸素を得られない時間が長くなればなるほど、生命に有害な影響が発生する。 初手で彼女の顔面にしがみついたのは、その意味においてもっとも効果的であった。 彼らはただ焦っていた。自分たちの肉体は、この光の大気の中では長く保たない。 彼女への復讐の途上で力尽きてしまえば、ここまで潜り込んだ意味がなくなる―― 顔にしがみつく個体とは別に、霧状の肉体を持つものが身体を希薄化させ闇を作り出し、 同胞の命を、ほんの少しでも長く保たせようとする――己の存在と引き換えに。 それでも、根本的な解決にはならない――よりこの女を苦しめてやるには? 彼女の肉体には、同化を防ぐ機構がまだ取り込まれている。融合して操ることは不可能だ。 それは逆説的に、“この女本人を操ることはできない”ということだけを意味している。 何体もの、彼らに同化され操られてきた生命体たちの――“有性生殖”という行為から、 彼らは己らの肉体を極小の、生殖細胞に擬態させて送り込み――彼女の体内の、 やがて“彼女自身ではなくなる”細胞と融合させてやる、という結論に行き着いた。 “雄”が細長く伸びた身体の一部を、“雌”の下半身に付いている穴のうちの片側に挿入し、 かくかくと不格好に腰を振って――最奥まで侵入し、卵子と同化する、という手法は、 まさに彼女の雌性を、最も侮辱する行為であったと言えよう。 別の個体が尻を鷲掴みにするようにしがみついてきて―― そしてその個体が、何やら男性器めいた突起を準備していることに気がついて、 女は“敵”が自分を犯そうとしているということを、本能的に理解した。 しかし視界と呼吸とを阻害される前にちらりと見えたあの姿は、有性生殖とは無縁のはず。 酸素を失って思考のまとまらぬ頭では、彼らの行為への対応が、一手、二手、遅れる―― ずぶり、と“槍”が突き立てられて、彼女は想像が正しかったことを悟ったが、 まだ顔面に張り付いている個体は、死に物狂いで足を顎骨に食い込ませて離れようとしない。 不気味なのは、その性器が明らかに、本来の用途に適さないであろう形状なことだ。 見様見真似で作り上げられた男性器は、何種類もの生物のそれを混ぜこぜにしたような、 不格好で、ただ雌の膣内を荒らす他に使いようのないような乱暴な形をしている―― それで臓腑を抉られるのである。女は悲鳴にも近い息の塊を何度も吐き出し、 上半身と下半身にしがみついているそれらを剥がそうと、身体を大きく振って抵抗する。 けれど、そのどちらも己の役割を果たすために、脚の全てに決死の力を込めている。 慣れない腰使いで、彼女の丸く分厚い尻にがすん、がすんと叩きつけている。 その目的まではわからずとも――執念にも似た彼らの行動原理そのものに、 やはり女は、本能的に恐れを抱くのだ――望まぬ子を孕まされゆく雌の宿命として。 膣内にねじ込まれた性器は、雌を悦ばせたり排卵を促したり、といった、 生物としての目的を持たないような、歪な変化の成れ果てであるのだから、 当然、与えられる刺激は快楽ではなく、苦痛に限りなく近いものである。 彼らは己の肉体がぼろぼろ崩れるのも構わず――女の胎内にもぐり込ませた小片が、 まさに本懐を果たしたのを、ざまぁみろ、と侮蔑を込めて死に絶えていったのであった。 女が意識を取り戻した時には、あたりには朽ち果てた生命の残滓が転がっているばかり。 がくがくと震える身体を無理矢理に引き起こし、椅子に身体を投げ出すように座る―― 犯された。だがあれは一体何のためか?考えを纏めるより早く、ずくん。 子宮の中に――否、卵管の奥の奥まで、“何か”に侵入されている。 それは意志を持った“精子”とでも言うものだ。生物の体内、最も深い場所には、 当然、光が差すわけもない――僅かながらに、生命を繋ぐことができている。 そしてそれで十分なのだ。無防備に卵巣の中に詰め込まれた卵子の一つ一つに対し、 生殖細胞の大きさに千切った肉体をぶつけて、融合、同化してやることには成功した。 後はそうしてこの女の肉体から栄養を奪って這い出してきてやって、 それからたっぷりと、復讐を貫徹してやればいいのだから。 女としての、雌としての大事なものを取り返しがつかないほどに汚されたことを察して、 ただひたすらに、涙がこぼれる。どうにかしなけれぱ、と考えることすら辛い。 “受精卵”は既に光の世界の側にある彼女の細胞と同化してしまっているから、 どのように施術して陽の下に晒したとて、滅ぼすことはもうできないのだ。 検査の結果は同時に、恐ろしい事実を彼女に突きつける――“全ての卵子が”と。 卵巣ごと摘出して破壊すれば、確かに殲滅すること自体は不可能ではないかもしれない。 けれどそれは女性としての生き様の一つを、永遠に奪われるということだ。 そして既に現存の卵細胞は全て侵食を受けていて、その全てが吐き出されない限り、 彼女は他のあらゆる雄と、子を成すことすらできなくなっているのである―― 悩むうちに、時間は矢のように過ぎていく。腹部の重みは、どんどんと増していく。 “第一子”は安全に堕胎できる期間をあっさりと踏み越えてしまって、 光と闇の混じり仔は、母の胎を蹴り破らん勢いで毎日不断にぐるぐると暴れ回っている。 彼女が銀河最強と呼ばれていたところで――その強さは母としてのものではない。 まして、誰にも相談できず、呪われた闇の世界の赤子を孕んでしまっている現状と、 卵巣にびっしりと、その予備軍を仕込まれてしまっているという秘密は、 彼女の精神を不安定にさせ――苦しめ、悩ませ、絶望の淵に追い込むのだ。 だが何より恐ろしいのは、“仔”が大人しく胎内でじっとしている短い時間の間に、 本当に刻み込まれた、母性という呪いが――精神を蝕んでくる、ということだ。 “陣痛”の始まりを悟った女は、愛用の銃を己の股間に向けてやる心積もりでいた。 もし“それ”が人類に仇なす存在となるなら――ここで討つ覚悟さえ持っていた。 けれど――いきむたびにその思いが薄れていく。輪郭を失っていってしまう。 手が震える――本当に自分は“この子”を殺せるだろうか――そんなことを考えてしまうと、 もう、どうにもできない。殺したくない、助けてあげたい、産んであげたい―― 頭部を覗かせながらも、産道でじたばたと暴れる我が子に対して、女は願った。 この子がちゃんと育ってくれるように、宇宙に害なす存在にはならないように―― たとえ生まれつきの復讐心をその子が保有していようと、愛してあげたい、と――