【陰キャ転転生】  今日は晴れて高校生活が始まる大切な日だった。入学式での校長の言葉はただただ長く心に残らなかったが、新しく始まる高校生活への期待で胸は高鳴っていた。  だが教室で席に着くなり、僕たちクラスメイト全員の目に飛び込んできたのは信じられない光景だった。 「こ、これは一体、なんなんだ……?」  視線の先には宙に浮かぶ、おとぎ話で見るような美しい女神様の姿があった。  周りを見渡すと、みんなが僕と同じように呆然とした表情を浮かべていた。これは夢なのか? 本当に現実なのか?  クラス中が息を呑む中、女神様は僕らに言い渡した。 「わたしは転生を司る女神。お前たちには魔王を打倒するという重要な使命を与える。ゆえに、今すぐにお前たちを異世界に転生させる」  信じられない言葉を前に、驚きの声が教室に響く。 「え……えっ?」「うそでしょ!?」「なにかの間違いだろ……」  僕ももちろん混乱していた。転生? 使命? まさか拒否権もないのか? そんなバカな……。  しかし超常的な女神様の姿を前にして、それ以上の抗議の声は出てこない。僕もみんなも、恐怖と驚きですくみ上がってしまったのだ。  女神様は教室をゆっくり見回してから話を続けた。 「お前たちの転生後の能力は、前世での実力に比例する。高い実力を持っていた者ほど、強力な力を得られるだろう」  女神様の言葉が頭に残る。とっさに僕は思って、絶望した。  陰キャで運動も勉強もできない僕は、転生先でもろくな能力を得られないだろう。  その一方でこうも思った。  僕の視線の先にいるハヤトは最強の能力を得るに違いない、と。  彼は、僕と同じ中学に通っていた元生徒会長だ。文武両道で容姿端麗。誰からも頼りにされている。  そして僕が目を移した先には、アヤネがいた。  彼女もきっと強力な何かを手に入れるだろう。中学の頃は学園のアイドルと呼ばれる存在で、ハヤトと付き合っているのではと噂されていた。  ……アヤネは、実は僕の幼馴染だった。家が近所にあって、幼いころはよく一緒に遊んだ。けれど小学校で僕がイジメられるようになって、自分の醜さを自覚してからは距離を置くようになった。そして気づけば完全に疎遠になってしまった。  まさか高校で一緒のクラスになるなんて。それ知った時の僕の浮かれようと言ったら……。  僕は今でもアヤネが好きだった。  まあ、アヤネは僕のことなんて覚えていないだろうけど。それでも、近くにいられるだけで僕は幸せだった。  そんなことを考えていると、中学から僕をいじめていた陽キャどもが騒ぎ始めた。こいつらとも同じクラスになるなんて、最悪だ。 「見ろよあいつの絶望した顔! ブサイクで勉強も運動もできないもんなぁ!」 「ギャハハ! 転生しても大した能力は手に入らねえだろうなぁ?」  ドッと周囲に笑いが起こる。面識がないクラスメイト達もつられて笑っていた。  多分みんな、この不穏な空気を打ち払いたかったのだろう。だから僕は、何も言い返さないで黙っていた。  僕はそういう星の下に生まれついた人間だ。その自覚がある。  でも、アヤネだけは僕を笑わないでいてくれた。  子供の頃からずっと、彼女は優しい。  それだけが僕にとって唯一の救いになった。  でも、意外なことに味方は他にもいた。 「人は見た目じゃない。内面が評価されるのかもしれないぞ?」  それはなんとハヤトだった。  嬉しかった。残念ながら僕への中傷は止まらなかったけれど。 「では、ゆくぞ」  そうこうしているうちに、女神様による異世界への転生の儀が始まった。すぐさま教室の空間が歪み、まるで流体と化したかのように揺らめき始めた。 「うわあっ!?」  そして突然、まばゆいばかりの閃光が視界を射抜いた。目を閉じても遮ることができな光の中に、僕たちは包まれた。  一体いつまで続くのか。時間の感覚が失われかけたその時、閃光は急激に勢いを失った。  ゆっくり目を開ける。するとそこには見知らぬ大地が広がっていた。  赤土の平原、淡緑色の空、太陽の光は、なんと三つもある。全くの別世界だ。 「マ、マジで転生しちまったのか……?」  誰かが声を震わせて言った。  それに続くように、僕たちはお互いを見合った。  驚いたことに、年齢や体型は前世とほぼ変わらずに、ただ顔つきが異世界の人種に合わせて多少なりとも変化していた。中には性別が入れ替わった者もいて、みんな興味津々で騒いでいる。  そんな中でも、やはりハヤトは岩をも切り裂く無敵の勇者になった。  アヤネは重傷をたちまちに癒す聖女の力を得ていた。  しかし、唯一僕だけが醜いゴブリン、つまり魔物に転生させられていた。 「ギャハハ! マジかよあいつ!」 「ガチでブサイクな化け物になってんじゃねえか!」  僕はクラス中の嘲笑の的にされてしまった。いつもの陽キャどもが、転生で得た力の腕試しがてら僕を襲い始めた。 「オラオラ! 死ねぇ化け物!」 「ひっ……や、やめて……」  このままでは殺される! そう思っても痛みで声が出ない。  いよいよ意識を手放しそうになった時、ハヤトが毅然とした口調で言い放った。 「やめろ! そんな見た目でも中身は人間だぞ!」  庇いながら、しっかりとした態度で僕を守ってくれた。  しかし僕の口から出たのは感謝の言葉ではなかった。 「君だって、本当は僕を馬鹿にしてるんだろ……」  するとハヤトは言った。 「あんな奴ら一緒にするなよ。なあ、アヤネだって違うだろ?」  すぐ横にいた彼女は、頷きながら微笑んだ。 「たとえ姿が違ってもタロウ君は私の幼馴染よ。小さい頃は仲良しだったじゃない。また友だちになりましょうよ!」  そう言って、アヤネは僕の怪我を癒やしてくれた。  まさか僕のことを憶えていてくれたなんて! 泣きそうな気持ちをこらえながら、僕は二人に感謝した。  ◇ ◇ ◇ ◇  そうして僕はハヤトとアヤネのパーティに誘われ、魔王を倒すために旅に出発することになった。  アヤネは、やはりハヤトと付き合っているのだろう。それでも、醜いゴブリン姿の僕と一緒にいてくれるだけで嬉しかった。  旅に出てからは、不慣れなこと尽くめで大変な思いをした。しかし、二人と過ごす日々は新鮮で楽しかった。  険しい山道を歩いている時、アヤネが足を滑らせてよろめいた。僕が必死に支えたものの、一緒に転げ落ちてしまい、ハヤトに大笑いされた。  別の日には雨に打たれながら洞窟で雨宿りをした。拾った木の実をみんなで食べながら、焚き火を囲んで色々な話をして過ごした。  いじめられっ子だった僕には、かけがえのない思い出ができた。友達ができたみたいで嬉しかった。  しかしそんな日々は長くは続かなかった。  旅に出てしばらく経ったある日、パーティは強大な魔物に出くわしてしまったのだ。  ◇ ◇ ◇ ◇ 「くそっ、こんな化け物に……」  ハヤトは力一杯に剣を振るうが、魔物の堅い鱗に弾かれてしまう。  アヤネはすでに治癒の力を使い果たしていた。  僕は何の戦力にもならない。ただ遠巻きに見ていることしかできなかった。  三人とも逃げ切れないと悟った時、突如ハヤトが僕の方へ剣先を向ける。  その瞳に宿る冷たい光に、僕は背筋が凍るのを感じた。 「タロウ君!」  アヤネが悲鳴を上げる。と同時に、お腹の辺りが猛烈に熱くなった。  ハヤトの剣が僕の体を貫いたのだ! 「ど、どうして、こんな……?」  僕が必死に問うと、ハヤトはアヤネに聞こえないよう、冷酷な言葉を放った。 「悪いな、お前は始めから使い捨ての駒だったんだ。もしもの時の保険としてな」  そんなまさか……最初から、ハヤトは僕を切り捨てるつもりだったのか……。絶望感が僕を襲う。 「アヤネ、行くぞ! この化け物から逃げるには、こうするしかないんだ!」  ハヤトは抵抗するアヤネを抱きかかえると、その場から全力で逃げ出した。  まだ意識の残っていた僕は、遠ざかる二人の姿を捉え続けていた。  アヤネは悲痛な声で何度も僕の名を叫んでくれていたが、彼我の距離はあっという間に広がって、ついにはそれも聞こえなくなった。  後ろを振り返ると、魔物が一人取り残された僕を見下ろしてゲタゲタと笑っている。  あと数分もしない内に、僕は死ぬ。  でも僕は、ハヤトを恨むことはなかった。アヤネのことを思えば、こうして命を捨てられるのなら、むしろ本望だ。  幼い頃からアヤネのことが大好きで、一緒にいられるだけで夢のような気分だった。  こんな僕のことを、幼馴染の仲良しだと認めてくれた。普通なら誰もが避けるような姿でも、アヤネは嫌な顔一つせずに接してくれた。ただただありがたく、愛おしくてたまらなかった。  この世界でまた仲良くなれて、本当に良かった。  たとえハヤトに裏切られようと、僕はアヤネを守りたい。  だから僕は、残りの命を振り絞って魔物に立ち向かった。  ◇ ◇ ◇ ◇  宿屋の一室まで辿り着いたアヤネは、ハヤトと二人きりになった瞬間、胸の内に渦巻く感情を抑えきれなくなった。 「タロウ君を囮にするなんて、あなたは最低よ! 仲間を裏切るなんて許せない!」 「そう怒るなよ。たかが化け物が一匹、死んだだけじゃねえか」  その言葉を聞いてアヤネは愕然とした。目の前にいるのは、かつての正義感に溢れていたハヤトではない。  彼は、人の命すら簡単に踏みにじれる冷酷な男だったのだ。 「タロウ君は化け物なんかじゃない……! 化け物なのは、あなたの方よ!」  ハヤトの口元が歪み、薄ら笑いを浮かべた。 「かもな。でも、女神様は外面だけで評価してくれたみたいだぜ? 見せてやろうか、俺の力を!」  そう言うと、ハヤトは窓に向かって右手を突き出した。一瞬の静寂の後、轟音と共に宿の外壁が粉々に砕け散った。  アヤネは息を呑んだ。確かにハヤトの力は驚異的だ。でも、その目は狂気に満ちている。タロウを手にかけたことで、何かが決定的に壊れてしまったように見えた。 「あいつを切り捨てたからには、もうごまかす必要はねぇな! ずっと、お前を手に入れたかったんだ!」  ハヤトが一歩近づくたびに、アヤネは後ずさりした。だがすぐに背中が壁に当たり、逃げ場を失う。 「ダメ、やめて! タロウ君を殺した手で、私に触らないで!」 「黙れ! あのゴブリンなんか忘れろ!」  ハヤトの手が振り上がる。アヤネは反射的に目を閉じた。  しかし予想した痛みはなかった。代わりに、ドォン! と、何かが壁に叩きつけられる轟音がした。驚いて目を開けると、見知らぬ男がハヤトを押さえつけている。  男は叫んだ。 「アヤネから離れろ!」  その声に、アヤネは不思議な感覚を覚えた。だが考える間もなく、目の前で戦いが始まった。  ハヤトが先に動いた。その速さにアヤネは目を見張る。  炎を纏った剣が男めがけて振り下ろされた。男はそれを軽々とかわし、逆にハヤトの懐に潜り込んだ。  拳と剣がぶつかり合う音が部屋中に響き渡る。その衝撃で窓ガラスが割れ、部屋全体が震えている。アヤネは身を縮めながら、二人の戦いを見守るしかなかった。  激しい攻防が続く中、ついにハヤトの剣が男の頬を掠めるも、男にひるむ様子はない。むしろその瞬間を狙っていたかのように、ハヤトの胸に一撃を叩き込んだ。  衝撃波が部屋中に走る。勝敗は決した。  ぐったりとするハヤトに向けて、男は静かに言った。 「二度と僕たちの前に現れるな。もし次に会うことがあれば――」 「ひ、ひいぃ……!」  ハヤトは男の言葉を最後まで聞かず、ほうほうの体で逃げ去っていった。  アヤネは男の様子をじっと眺めていた。その姿は見知らぬものだったが、佇まいは何か懐かしいものを感じさせた。小さな希望と共に、彼女は囁いた。 「もしかして……タロウ君?」  口にして、アヤネは確信する。  その男の瞳に宿る、かつてのタロウの面影を見たのだ。  ◇ ◇ ◇ ◇  魔物との死闘の末に果てたゴブリンの僕は、再び女神様の声を聞いた。 「タロウよ。愛する者を守るための決意、しかと見届けさせてもらった。お前こそ、真の勇者にふさわしい」  ハヤトに斬り伏せられても恨むことなく、アヤネを守るために命を捨てた僕の姿に、女神様はいたく感動したらしい。 「転生後の能力は、前世での実力に比例する」  そして僕を、ハヤトと同程度の能力を持つ勇者に転生させてくれた。  なぜなら女神様は『転生を司る女神』だったからだ。この世界でもまた転生させられるなんて、思っても見なかったけど。  こうして人間に生まれ変わった僕は、ハヤトの本性を知っている。  悪い予感がして、アヤネのもとへ急いだ。  ◇ ◇ ◇ ◇ 「タロウ君? 本当にタロウ君なの? ありがとう、助けに来てくれて!」  アヤネは嬉しそうにしながら、ハヤトを倒した僕に感謝の言葉をかけた。そして転生した姿も褒めてくれた。 「凄くかっこよかったよ! 前のゴブリンの姿も可愛かったけどね」  正直、僕の見た目は前世の前世である高校生の頃と同じくらい醜い。アヤネの好意は、いわゆる吊り橋効果というやつだろうか。それとも、彼女の目には本当にかっこよく映ったのかもしれない。  気を良くした僕はそこで本心を打ち明けた。 「実はね、ハヤトとアヤネが付き合ってるんじゃないかと思っていたんだ。だからずっと、僕が邪魔者なんじゃないかと……」  アヤネは目を点にして言った。 「ハヤトなんか好きでもなんでもないわ。付き合ってなんかいないし!」  僕は驚いた。なんだ、噂なんて適当なものだ。 「そうか。じゃあ、これからは僕がアヤネを守るよ」  歯が浮くようなセリフが口をついて出た。僕の顔はたちまち真っ赤になった。  でもアヤネは笑って「うん」と大きく頷いてくれた。  こうして二人きりの旅が始まった。魔王を倒すために、そして新しい未来に向かって。  しかし、僕はふと気になって聞いた。 「ねえアヤネ、なんで好きでもないハヤトと一緒に旅に出たの? それに、あんな役立たずのゴブリンだった僕を仲間に加えてくれたのは?」  するとアヤネは素直に答えた。 「異世界ってわからないことだらけだし、最強の勇者ハヤトと一緒なら安全かなと思ったの。でも万が一のことを考えて、タロウ君も同行させた方がいいかなって」 「え? どういうこと?」 「ハヤトが私に何か企んでも、幼馴染のタロウ君なら守ってくれると思ったから」  つまり、アヤネの本心はハヤトと同じく打算だったのだ。僕は唖然とした。 (女の子って……怖いなぁ)  先行きに一抹の不安を覚えたけれど、前を歩くアヤネの背中をじっと見つめながら、僕は改めて思った。 「でも、アヤネを守れるのなら、それでいい」  僕はアヤネに追いついて、並んで歩みだした。幼馴染だったあの頃のように。